第23話 こころをさがす旅
ナオミはそれぞれの気持ちを想像しようとしたが、やはりよく分からなかった。
この主人公も相当なお人よしだ。突然未来に連れてこられて、友達に逃げられた挙句、裁判を受けさせられた。なのに、友達が自分を選んでくれた、なんて喜んでいる。
心を持たないお兄さんとやらの言うことのほうが、まだ理解できる。
もっとも、お兄さんも、何か絆に話していないことがあるようだ。
アニマ/こころの考えも分からない。
心を読みとる能力を持った人の気持ちなんて、想像の範囲を超えている。
でも、こころが逃げだしたくなった気持ちは、分かる気がした。
周り中敵だったら、誰だって逃げだしたくなる。
私だってそうだ。
こころにとっての『絆』みたいに、助けに来てくれる親友がいたらどんなにいいだろう。
どういうわけか、霧島の姿が頭に浮かんだ。
黙って落書きを消してくれた霧島の姿が。
ばかばかしい。
ナオミは急いで頭から現実世界のことを追いやり、話を読み続けた。
『リナ達が割りだしたところによると、こころの転送先は、『江戸シティ』と呼ばれるポリスの中だということだった。
この時代では、地上の大半は、立入禁止の保護区になっていて、人口の九十%以上が、都市(ポリス)と呼ばれる閉鎖された居住区に住んでいるらしい。
ポリスの住民は、決まった税金さえ払えば、寝泊りする個室(ユニット)を与えられ、風景、家具、食事、衣服などを、エネルギー割り当ての許す限り作りだすことができる。
ユニットはここでも江戸シティでも共通なので、サルースさんの与えてくれた魔法はずっと使えるという。
こちらで選んだ洋服や家具や家が、向こうでも好きな時にとりだせる。つまり、家財一式、身に着けて持ち運べるようなものだ。お兄さんの言った通り、『どこにいるか』は、この時代ではさほど重要ではないらしい。
けれど、お手軽な市内観光とは、もちろんほど遠かった。
都市の中には、政府の側の感応力者や、逃げだした感応力者を検知し捕まえる『ディスカバラー』がいるはずだ。
住民ではない私たちに対して、リナは江戸シティの一時滞在ビザを取得してくれたけれど、おそらく正当なやり方ではなさそうだった。
なにせ、別の時代から来た私にいたっては、存在そのものが本来は違法だというのだ。
不安な気持ちになりかけた私に、リナは何度も言い聞かせた。
「不安は政府の追っ手を引きつけるわ。できるだけ心を落ち着けていなさい。そして、この人を支えてあげて」
リナはそう言って、眠っているお兄さんに目をやった。
お兄さんは、私がリナから説明を受けている間、サルースさんに施術を受けていた。
「私にできることなら何でもします。でも……私なんかが、支えになるんでしょうか……」
私は、力も勇気も人並み以下の、無力な高校生にすぎなかった。
私にあるのは、こころのために何かしたいという気持ちだけ。
その私が、私より何もかも優れているように見えるお兄さんを支えるなんて、あまりにもおこがましいことのように思えた。
「感情エネルギーを与えるのは危険なことなのよ。アニマは、感情が飽和して不安定になっていた。お兄さんが感情を持った時、同じことが起こらないとは限らない。その時に、そばにいてあげる人が必要だと思うの」
私はお兄さんの顔を見つめた。
生まれてこのかた、怒りも悲しみも喜びとも無縁だったお兄さんの顔は、人形のように美しかった。
いつも冷静だったあのお兄さんが、動揺したり不安定になったりするのだろうか。
感情を持った時、そこにどんな表情を浮かぶのか、私にはまるで想像がつかなかった。
「さて、出発の時間だ。目を覚ましたまえ」
サルースさんが芝居がかった柏手を打つと、お兄さんは目を開け、ゆっくりと身を起こした。
「どうだ、生まれ変わった気分は」
私はかたずをのんで返事を待ったが、お兄さんは、小さくかぶりを振っただけだった。
「まだよく分からない」
「まあ、そうだろうな。慣れるまでに少し時間がかかるだろう。エネルギーの出力が徐々にあがって、最終的には標準の人間並みになるように調整してある。万一、不測の事態があったら、連絡してくれ」
「不測の事態?」
眉をひそめたお兄さんに、サルースさんは肩をすくめてみせた。
「さあ。恐怖でパニックに陥る、怒りで我を忘れる、悲しみのあまり死にたくなる……何が起きるか、私にも想像がつかんよ」
「今回は、アニマを連れ戻すのが最優先事項だ。一時の感情に振り回されるつもりはない」
「そう願うよ。やれやれ、どうせなら、プロジェクトFは、任務と別に試したかったな。お前にしても、せっかく感情を持ったら、溺れてみたいだろう?」
「言っていることがよく分からないが、あれこれ実験してみたいのは、サルースのほうじゃないのか」
「まあ、それもある。何しろ世界初の一大実験だからな。できればこの目で見届けたい」
サルースは、あっさりと認めた。
お兄さんを、というより、そもそも人を実験材料としか考えていないように見えたが、お兄さんは別にむっとした様子もなく言った。
「あいつを長いこと外でうろつかせておくわけにはいかない。エネルギーはおおよそ一週間分だったか。一日、二日であいつを連れ戻したいと思っている。後は、好きにしてくれて構わない」
お兄さんが床に目を落とすと、見えないペンでもあるかのように床に直線が引かれ、長方形が描かれて、その部分全体が床ごと下からせりあがってきた。一メートルばかり持ちあがったところで、急にぐにゃりと、溶けたアイスクリームのように形を崩す。
しまいにミルクのような白い液体となって流れ落ちた後に、見覚えのある黒いセダンが現れた。
昔、この車に乗って、お兄さんとこころを捜しに走り回ったのだ。
お兄さんがこの車を選んだのは、あの晩のことを思いだしたからだろうか。
私は懐かしくなってお兄さんの顔をうかがったけれど、表情のない横顔からは何を考えているのか分からなかった。
そうして、私たちは出発した。
こころを探す旅へ。』
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