第3話 消えた文字

 終業のチャイムが鳴ると、ナオミはさっさと校門を出た。

 このところ、なるべく早く学校を出るか、反対に帰宅部のみんなが帰った後まで待つようにしていた。

 待ち合わせるような友達もいなかったし、今では人と顔を合わせるのが、わずらわしかった。

 人が周りにいるときは、弱みを見せられない。そうでないと何を書かれるか分からない。

 学校の裏ブログの事を教えてくれたのは、クラスメートの陽(ハル)菜(ナ)だった。

『気をつけた方がいいかも』

 教えてもらったページを覗いて、血の気が引いた。


『N、チョーうざい。学級委員になってから調子にのってない?』


 その下に、いくつかコメントがついていた。


『分かる分かる。先生が質問すると、真っ先に手をあげるよね。いい子ぶりたいわけ?』


『何かっていうと、向こうの夏は気持ちいいとか、向こうの家は広かったとかね。

 あれでも日本人かよ。』


『久しぶりの日本はどう? 懐かしかった?』

 そう聞かれたとき、ナオミは、ついこう答えてしまったのだった。

『なんてジメジメしてるんだろうって思った!』

 みんな笑ってくれた、ように思った。

 だからナオミも笑いながら言った。

『汗がじとーってまとわりつくみたいなんだもん。向こうの夏は暑くってもカラッとしてるから』

『分かる気がする。梅雨のころなんてじめじめするし、クーラーをつけるほど暑くもないし』

 そうあいづちを打ってくれたのは、琴音だったっけ。

『特別校舎なんかクーラーもないんだ。大昔に建てたままで、トイレの辺りも薄暗くて気持ち悪いし』

『トイレといえば、この学校、まだ和式が残ってるんだね。びっくりしたよ』

『ナオミってば、外人みたい』

 そう言ったのは、誰だっただろう……たしか、帆(ほのか)花だ。

 あの時は、悪く思っている風には見えなかった。本当は不快に感じていて、あんな書きこみをしたんだろうか。

 それとも、書いたのは、それを聞いていた別の子だろうか。

 駅の改札を通りぬけ、家のある郊外へと向かう電車に乗りこんだ。

 この通学電車というやつも、ナオミの大嫌いなもののひとつだった。

 特に、朝のラッシュアワーはひどい。

 息苦しいし、臭いし、電車が止まったり発進したりするたびに、もみくちゃにされたり、足を踏まれたりする。チカンにあったことさえある。

 カリフォルニアのスクールバスのほうがよかったと、やっぱり思ってしまう。

 東京から県境をまたいだ辺りの、急行の止まる大きな駅でぞろぞろと人が下りていく。そこでやっと息がつけ、運がよければ座席にも、ありつける。

 その日も幸い、ナオミのすぐ前に座っていた人が立ちあがった。

 シートに腰を下ろしたナオミは、鞄の中から双葉先生の大学ノートを取りだした。

 人のノートを勝手に盗み読みするのは気が引けたが、どうしても先が気になった。

 この高校にやってきたのが、運命だなんて。

 誰にも言えない秘密の冒険をしたなんて。

 ……よりによって、おとなしくって地味な、あの双葉先生が!

 ページを開いたナオミはしかし、凍りついた。

 自分は、夢でも見ていたのだろうか。

 一字一句、あれほどはっきり目にしたのに。

 だが、何度見返しても、確かに昼間文字を読んだはずのページには、何も書かれていなかったのだ。

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