第47話 復讐
『女の子に言われた東へ向けて、ひんやりとした廊下を、悟さんは大またに歩いていき、私は小走りに後を追った。
すれ違う人々もいたが、誰もこちらに目を向けなかった。
今度こそ。もう少しで、こころに会える。
私は心の中で祈るように繰り返した。
待っていて、こころ、今すぐ迎えに行くから。
タイルのパターンは、歩くごとに少しずつ変化していった。
花柄に。星の模様に。青空に浮かぶきれぎれの雲のように。
やがて、床一面が、真っ青なタイルに塗りつぶされ、前方にドアが現れた。
悟さんが勢いよくドアを押し開けた。
向こうから、硬い声が響いた。
「動かないで」
突然向けられた銃口に、私たちは立ちすくんだ。
銃を掲げて立っているのは、リナだった。
同じ部屋の奥の椅子に、こころが横たわっているのが見えた。
薬か何かで眠らされているようだ。服の上から縄で縛りあげられ、身動きが取れないようにされている。
「どういうことだ、リナ」
悟さんがショックに打たれたようにつぶやいた。
「政府の<船>に連れられたニセコがコンタクトしてきたの。アニマを連れてくれば、相応の地位を与えると、政府が約束してくれたそうよ」
悟さんが小さく頭を振った。
「バカなことを」
「そうかしら。アニマを差し出せば弟を救える。それどころか、弟には政府の下で重要な役割を果たせる。大丈夫、政府もアニマを殺しはしないわ。私は合理的に判断しただけ。今までのあなたと同じように」
リナは微笑んだ。
「感情が邪魔をしなければ、物事が見えやすくなる。便利なものね。昔の恋人に銃を向けても、手が震えることもない」
私は驚いて、悟さんの顔を窺った。
リナは悟さんを昔の恋人と言った。
二人はつきあっていたことがあるのだろうか。
「お蔭で、あなたの気持ちもよく分かったわ。私に会って、少しは何かを感じてくれるかと思った。でも、あなたからは、後悔しか感じとれなかった。だから私はVOICEを捨てて、弟を取ることにしたの」
悟さんはしばらく黙っていたが、やがて尋ねた。
「僕らをどうするつもりだ」
「私はあなたの口から答えを聞きたいわ。こころを置いて逃げるか、一緒に来るか、どちらを選ぶつもりかしら。どちらにしても、今のあなたには辛いものでしょうけど」
「生かしておく必要なんかないのに」
後ろから声がした。
私は振り返り、息を飲んだ。
向こうの柱の影から姿を現したのは、ニセコだった。
「アニマと姉さんがいればいいんだよ。でなければ僕が。タイプDが一時的にでもタイプFの代わりをできるなら、そいつらは必要ないんだ」
「それは私たちが決めることではないわ。施術の効果がいつまで持つかも分からない。それよりニセコ、船の人たちはどうしたの?」
リナが尋ねると、ニセコは薄ら笑いを浮かべた。
「連れてきても、邪魔なだけだろう」
「殺したわけじゃないでしょうね?」
物騒なリナの台詞に、ニセコが溜息をついた。
「なんでそんなこと気にするかなぁ。<最終兵器>が手に入れば、誰だって思い通りにできるのに」
じっとニセコを見つめていた悟さんの顔がゆがんだ。
「お前なのか? ビッグ・マザーを殺したのは……」
私は驚いてニセコを見た。
この人が……? まさか……
「あおいこだろう。あんただって僕らの……」
ニセコが言い返す。
声がかすかに震えている。
「くそ……もう効果が切れてきた。あのやぶ医者」
「お前も施術を受けたのか? リナと同じ施術を」
「政府の研究所でね。研究所も、<逆流>を起こす方法を模索していたんだ。タイプAはいまだに誰も再現することができない。でも、タイプFの方は、タイプDから感情を切り離せば、近いものが生みだせる」
ビッグ・マザーを殺した人間が、殺意を感知するはずの緑の森の洞窟に入りこめたのは、セキュリティシステムに感知されるような感情を持たなかったからなのだ。
武器の持ちこみのほうは、システムを操るのが得意なリナが、うまく細工したに違いない。
「アニマがいけないんだ。言うことを聞かずに逃げだそうとしたりするから……逃げたら容赦なく撃つと言ったのにね。急所は外すつもりだったのに、あの女が邪魔に入った」
「お前は何をしたか分かっているのか? 聖地に武器を持ち込んで、殺人を犯したんだぞ。おまけに無関係な人間を巻き込んで……」
悟さんが激しい口調で言った。
「あんたに言われる筋合いはない!」
ニセコは顔を赤くし、悟さんをにらみ返した。
「フィオレを捕まえたあんたを、姉さんも僕もVOICEに受け入れたんだぞ。それなのに、僕だって見殺しにしようとしたじゃないか」
フィオレは、ニセコのもう一人のお姉さんのことだったのだ、と、私は気がついた。
悟さんはニセコを睨みつけたままだった。
「僕を恨むなら、僕に復讐したらいい。どうして何の罪もない人を巻きこむんだ?」
「姉さん、こいつを黙らせてくれ」
「ニセコ、答えて。政府の船のクルーはどうしたの? 私は応援を連れて来るように言ったはずよ」
リナが、気味の悪いほど冷静な声で尋ねた。
「姉さんが二人相手にどうしているか気になって、抜けだしてきたんだ。誰も殺したりなんかしてない。例の洞窟の件で、武器は取りあげられているしね」
ニセコは面白くなさそうな声で答えた。
「ねえ姉さん、あいつらに従う必要なんてないんじゃないか。アニマさえ手の内にあれば、僕らで世界を思い通りにできる」
「私たちだけでどうにかするのは無理よ。<逆流>を試したことがないし、私の施術の効果にしても、いずれは消える」
「政府の連中が約束を守らなかったら? アニマとそいつだけ手に入れて、僕に約束した地位を与えてくれなかったら」
「彼らは嘘をついてはいなかったわ」
「<嘘>のスペシャルリストの姉さんが言うなら、そうなんだろうさ。だけど、気が変わって、僕らを厄介払いしたくなったら……」
「こころは、どのみち思い通りにはならないぞ」
悟が低い声で言った。
「あいつは誰の言うことも聞かない。脅したって無駄だ。僕が一番よく知っている」
「どうかしら。あなた達がいれば、アニマも考えを変えるかもしれない。目の前で大切な人が撃たれるのを見た後ならばね」
リナが、銃を前方へ小さく動かした。
「さあ、歩いて。ニセコも。船へ戻るのよ」
ニセコは不承不承、気を失ったままのこころを、肩の上にかつぎあげた。』
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