第48話 忘れたくない

『船がゆっくりと降りてくるさまは、SF映画か何かで、宇宙船が降りてくるのを目にしているようだった。

 黒光りする船体が着地すると、中央にぽかりと穴が開いて、中からタラップが飛びだした。

 こころはニセコにかついでどこかへ連れていかれ、悟さんと私は、後尾にある一室に放りこまれた。

 もともと倉庫か何からしく、四角い箱がいくつか詰まれているきりで、椅子らしきものも見当たらなかった。

 私は地面に座りこんで、箱にもたれかかった。

 小さな丸い窓から明かりが漏れている。

 船が飛び立ってしばらくすると、窓の外が暗くなり、また明るくなった。

 ポリスから飛びだして、どこか別のところに向かっているらしい。

「政府の施設に向かっているんだろう。研究所だとしたら、皮肉な話だね」

 悟さんは青ざめた顔で、かすかに微笑んだ。

「現在の研究所は移動式になっているらしい。正確には、どこにあるのか、僕も知らないんだ。長い間、探しまわってきたのに、向こうから連れていってくれるなんて」

 噂に聞く研究所がどんなところか、考えるだに恐ろしかった。

 人を人とも思わないところ。粘土細工のように、人を作り変えようとするところ。

「大丈夫、少なくとも君は部外者だ。元の世界に返すように説得してみる」

 悟さんは、半ば自分に言い聞かせるように小声で言った。

 おそらく意図的にだろう、こころの話はしなかった。

 仮に私を逃がしてくれたとしても、こころは、悟さんは、どうなってしまうのか。

 縄でがんじがらめにされていたこころの姿を思い返した。

 あのまま研究所の手で、兵器にされてしまうのだろうか。

 道具として扱われるのを、あれほど嫌がっていたのに。

 裏切り者として捕まったフィオレは、記憶を消され、容姿も変わって、別人になっているだろうとニセコは言っていた。

 政府に捕まったニセコは、記憶も残っていたし、容姿も変わっていなかったけれど、恐ろしいことをしでかした。

「あいつがああなったのは、中途半端なやり方で、感情を除去したせいだろう」

 悟さんがつぶやいた。

「VOICEの体制に不満を感じていたとしても、感情を持ったままなら、あんな極端なことはしなかったはずだ。情緒不安定だからといって、急にすべての感情を切り離せば、自分を見失う」

 無表情に銃口を向けていたリナの顔を思いだした。

 リナに施術したのはサルースだろう。傷つき動揺していたリナを助けようとした結果、最悪の事態を招いた。

 昔の恋人、リナは悟さんのことをそう呼んだ。

「リナさんと、つきあってたんですか……」

 おそるおそる尋ねると、悟さんは小さく首を振った。

「サルースに勧められた心理実験みたいなものだ。形から感情が生まれることもある、形だけでもつきあっているうちに情が沸いてくるかもしれない、そう言われた。リナも僕に興味を持っていたから、協力してくれた。初めは、同情、だったかもしれないけどね」

「同情、なんて」

「欠陥だと言われ続けているタイプFを、なんとかしてやれればと思ったんだろう。彼女は自分がタイプDであることにも劣等感を感じていたから」

 初めはそうした気持ちでも、演技を続けるうちに、リナは次第に悟さんに心惹かれていったのだろう。

 でも悟さんは違った。

 感情が芽生えることはなかった。

 けれど、リナは、悟さんが何かを感じていると期待した。

 人の感情を読みとるのが苦手なタイプDだったから。

「タイプDは自分の気持ちを相手の気持ちと読み違えるお陰で、親近感を持ったり、逆に憎しみを抱いたりしやすい。リナもフィオレもニセコも、僕には親近感を持っていてくれた。他の人が僕に対するのと違って、普通の人に接するように接してくれた。なのに僕は……」

 ガシャン、と音がして、船が小さく揺れた。

 私は身をすくめた。

悟さんが、窓の外を窺うようにした。

「母艦にドッキングしたらしい」

「母艦?」

「ポリスに出入りする時は小型の船だが、長距離を移動する時は母艦を使う」

 いよいよ研究所に連れていかれるのかと思うと恐ろしかった。

 銃を持った大勢の黒服の男たちの姿や、見たことのない研究所の景色が、頭の中に浮かんでは消えた。

「心配しなくていい」

 悟さんがもう一度言ってくれた。

「研究所の連中も、違う時代からやってきた君をどうこうしないだろう。記憶を消されるぐらいは免れないかもしれないが……」

 記憶を消される。元の時代に送り返される。それは恐ろしい想像だった。

 嫌だ。二人を残して、一人だけ逃げ帰るなんて嫌だ。

 何もなかったふりをして、大切な人たちのことを何もかも忘れて、元いた時代で暮らしていくなんて……

「私……忘れたくないです……」

 ようやく会えたこころのことも、心を持った悟さんのことも、忘れたくなかった。

 二人にも、私のことを覚えていてほしかった。

 二人に会えて、ようやく分かった。高校生活で感じていた虚無感を満たしてくれるのは、私の人生に生きる意味を与えてくれるのは、この人たちだけだ。

 悟さんは私を見て何か言いかけた。

 それから窓の外に目を移した。

 その時の悟さんの表情を、なんと表現したらいいか分からない。

 一見空っぽにも見えたその横顔には、たしかに何かの感情が浮かんでいた。

 それは、絶望だったろうか。切望だったろうか。

「僕もだ」

 私はぎゅっと目をつむった。

 悟さんがつぶやいた。

「……忘れたくない」

 それが、私たちが二人きりで交わした最後の会話だった。』


 ナオミは、今朝、若草先生を目にした時のショックを思いだした。

 クラスメートたちはみんな、双葉先生が、初めからいなかったかのようにふるまっていた。

 記憶を失う。自分の存在そのものを忘れられてしまう。

 なんておそろしいことだろう。

 けれど、双葉先生がたしかに存在していた証に、私はこのノートを持っている。私は双葉先生のことを覚えている。

 それに霧島さんも。

 双葉先生は、研究所へ連れていかれてしまったのだろうか。

 ナオミは身震いした。

 もしあのペンダントを身に着けていたままだったら、双葉先生がいなくなったに気づいても何も感じなかったろうか。

 きっとそうだろう。

地下の暗闇へ降りることも、なんとも感じなかったのだから。クラスメートをびっくりさせるためだけに、屋上から飛び降りてもいいとさえ思ったのだから。

 傷つくくらいなら、心なんてないほうが気楽だと思っていた。

 でも、やっぱり嫌だ。

 存在したことすら知られずに、初めからいなかったみたいに、消えてしまうなんて。

 双葉先生のいたことを、忘れたくない。

 私のいたことを、忘れられたくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る