第26話 盲目の歌姫

『テラ・メムルは政府の研究所で、統治者(ガヴァナー)として生みだされた。

 政府の研究所から政治手腕に長けた遺伝子を与えられ、特別な教育を受けて、やがては政府の中核を支えるはずだった少女が、歌手になりたいと願うようになった理由は、定かではない。

 統治者(ガヴァナー)同様、歌手や音楽家もまた、特別な環境で生まれた人間でなければ

 大手の音楽レーベルは、どこも独自の研究所を持っている。音感に長け、容姿と優れた身体能力を持つ遺伝子の専売特許を有し、幼少のころから徹底した英才教育を施す。生まれながらの歌い手や音楽家でなければ、趣味の域を超える歌声や、AIを超える音楽は生み出せない、というのがこの時代の定説だ。

 一般人向けの登竜門がないわけではなかったが、その道は針の孔のように狭く、音楽専業で食べていける人間などまずいない。

 それでもテラはあきらめなかった。

 聴覚を鋭敏にするために、視覚は余分だ、と、眼球の摘出手術を受けたのが、わずか十二歳のころのこと。

 統治者(ガヴァナー)の遺伝子を持ったテラのこと、センセーショナルなニュースが人目を引くことは無論計算済みだったろう。

 すぐに優秀な仲間達も見つけた。優れた声楽の教師、敏腕プロデューサーに、著名な作曲家。無料で配信された音楽は話題を呼び、彼女はスターの座を手に入れた。

「こころは、ずっと憧れていたんだ。生まれ持った運命を、自らの意志の力で変えたテラに」

 そうお兄さんは言った。

 だが、テラの転身に感動する以上に、私はテラの常軌を逸した一途さにぞっとしてしまった。

 こころもテラのように、大胆な手段に出たらどうしよう。

 そう思うと気がかりだったが、お兄さんは静かに笑って首を振った。

「その心配はない。こころはテラとはまったく違う」

「どうしてですか?」

「テラは夢をかなえようとしたが、あいつは何かを成し遂げようとする強い意志なんて持ち合わせていない。ただその時々の感情に流されて、責任から逃げ回っているだけだ」

 お兄さんの言葉は、相変わらず手厳しかった。


 ライブ会場の周辺は、おそろしく混雑していた。

 未来に来てからというもの、これだけ大勢の人に会うのは初めてだった。

 この中にこころがいたとしても、探しだすことなんてできるのだろうか。

 正面に櫓のようなものが立っており、その上から、太鼓の音が降ってきていた。

 祭りの囃子のようなざわめきと、次第に早くなるリズム。

 太鼓の鼓動に合わせて、私の心臓の鼓動も早くなった。

 何かとてつもないことの始まる予感が、胸の奥にうずき始める。

 どーん、と、ひときわ大きな音が鳴り響いた後、鳥のような不思議な声が響き渡った。

 いつのまにか、櫓の上に、女性の姿があった。

 両手を高く空に掲げて声を張り上げる、盲目の歌姫。

 マイクを通さない美しい声が、耳に、胸の奥に、まっすぐに響いてくる。

 私は知らぬ間に鳥肌を立てていた。

 たった一声発しただけで、会場の空気が変わる。

 そして、歌い始めた瞬間、テラは世界を変えてしまった。


  昨日までの自分に さよならを告げて

  見知らぬ明日へ 今 歩きだすよ


 遠くで歌っているのに、耳元でささやかれているような歌声だった。


  神様のくれた 宝物を捨てて

  全てを捨てた私は 今 私に帰る


  あなたは 私を 笑うのかしら

  愚かなことだと でも これが 私の生き方


 こんなに切ない声を、これほど力強い声を、私は聞いたことがなかった。

 テラは文字通りわが身を投げうって、望んでいたものを手に入れたのだ。


  あなたと離れ 歩いていくから

  時には 私を 思いだしてほしい


  旅立ちの歌 あなたに捧げるよ

  あなたの命が 輝くように


  いつの日かまた 出会えた時は

  変わり果てた私に ほほえんでほしい


 哀しいのか、嬉しいのか、それとも誇らしいのか。涙が知らぬ間に盛り上がってきて、私は思わず瞳を拭った。

 私はテラになり、『私たち』になり、会場を包む不思議な一体感に身をゆだねていた。


  あなたもいつか 見つけるでしょう

  あなたのための あなただけの道を


  あなたは その時 分かってくれる

  愚かなことでも そう これが 私の生き方


  私を見て 私の声を聞いて

  私はここにいる 私は生きている


 歌が終わってしばらくしても、私はしばらく余韻に浸って我を忘れていた。

 甘く切ないテラの声。それでいて励ますような声が、ずっと止まらずに耳の中で響いていた。

 パラパラと拍手の音が響き、それがすぐに周囲に広がっていくのにつれて、私はようやく自分がどこにいるのか思い出した。

 そうだ、私は今、ライブ会場にいたのだ。こころを探すためにここへ来たのだ。

 隣にいたお兄さんの顔を見上げると、じっと目を閉じて耳を澄ましているようだった。

 こころの気配がないか、探っているのかもしれない。

 私は恥ずかしくなり、手を叩きながら周囲の様子を見渡した。

 もちろん、こころがすぐに見つかるだろうと思っていたわけではない。

 だが、私の目に飛び込んできた姿があった。

 人混みの向こう、こころによく似た、長い黒髪の女の子の姿が。

「お兄さん……!」

 私はお兄さんに呼びかけてみたが、割れんばかりの拍手の音にかき消されてしまって届かなかった。

 次の曲のイントロが響きはじめたが、私はちらちらと女の子のほうを気にして見やっていた。

 と、女の子が、人波をかき分けて、歩きだすのが見えた。

 まさか。人違いに違いない。

 でも、長い黒髪も、姿勢のよい姿も、やっぱりこころとよく似ている……

「すいません、ちょっと向こう、見てきますね」

 私は急いでお兄さんに言った。

 お兄さんは、小さくうなずいたようだった。

 私はこころに似た女の子を追って、人波をかき分け始めた。

 できる限り急ごうとしたのだが、立ちはだかる人々が邪魔をして、思うように近づけない。

 幾度か見失いかけ、また見つけては追いかけ……

 そうやって人垣の外までやってきて、さあ追いついて声をかけようとした途端、不思議なことがおこった。

 不意に、まるで手品か何かのように、女の子の姿がかき消えてしまったのだ。

 私は驚いて辺りを見渡し、後ろを振り返って、ぞっとした。

 ついさっきまでいたはずの、ライブ会場が、まるで見当たらなかった。

 私の後ろには、神社の参道のような細い通りが長く伸びていた。

 左右には提灯を灯した屋台が連なっている。

 そんなはずはない。ついさっきまで、私は会場の人波にもまれていたのに。

 いつの間にこんなところへ来ていたのだろう。

 私は思わず左の薬指を撫でた。

 あの指輪があれば、お兄さんは私の不安を察知して助けにきてくれたに違いない。だが今、携帯も持たない私には、お兄さんとの連絡手段はひとつもなかった。

 私はうろたえ、ライブ会場を探して細い通りを戻り始めた。

 参道には、さまざまな店が並んでいた。

 ヨーヨー釣りや綿菓子屋といったおなじみのものから、見たことのない屋台まで。

 通り行く人たちは、みな仲間とのおしゃべりに忙しそうで、私のほうなど見向きもしない。

 ライブ会場への入り口を探して、屋台の間をふらふらと歩いていた私は、しばらくして足を止めた。

 ずっとまっすぐ歩いているはずなのに、前に見たのと同じ店が、行く手に現れたのだ。

『似顔絵屋』と書かれたそこには、不思議な形の蜘蛛の巣がはりめぐされていたから、間違えようがなかった。あの高校にいる蜘蛛を思いだしながら、横目に見ていたのだ。

 狐か何かにでも化かされているようだった。

『不安は政府の追っ手を引きつけるわ。できるだけ心を落ち着けていなさい。』

 リナの言葉を思い出し、心を落ち着けようとしてが、とても無理だった。

 こんな見知らぬ場所で、迷子になるなんて。

 心臓は口から飛びだしそうだったし、今にも涙が出てきそうだった。

 助けて。誰か助けて……!

 その時だ。

 誰かが後ろから、私の肩をつかんだ。

 振り返った私の前には、見知らぬ男の顔があった。』

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