第25話 東京の未来
お兄さんの言葉は、ナオミにとっても意外だった。
感情のない人間が、こんなことを言うなんて。
私だって、できることなら人の役に立ちたい。でも……
『人は一人では生きていけない』
その言葉は、友達をなくした身には、つらい一言に感じた。
『やがて車はゆっくりと上昇していき、水面へ出た。
海藻のようなものがべったりウィンドウに張りついた。
車が、まるで犬のようにぶるぶると身震いし、海藻を振り落とした。
車内が急にまぶしくなった。今は昼間だったのだ。
海の中が暗かった理由は、すぐに分かった。
海藻がびっしり覆い尽くしているせいで、海は、上から見下ろしても、黒くよどんで、のっぺりとして見えた。
少し先に、陸地が見えた。
陸には奇妙にとがった緑の山が、にょきにょきと立っていた。
「ここはどこですか?」
私が不思議に思って尋ねると、予想もしなかった返事が返ってきた。
「東京湾だ」
どこを見ても、私の知っている東京湾の面影はどこにも見当たらなかった。
湾岸に立ち並ぶビルも、お台場の観覧車も、新宿の高層ビル群も、スカイツリーや東京タワーも……
見慣れぬ外国、というより、別の惑星に来たような気分だった。
遠くに見える青々した富士山だけが、唯一私にとって見慣れたランドマークだ。
「地上の大半は、立入禁止の自然保護区になっている、と話しただろう」
茫然としている私に、お兄さんは説明した。
「壊滅的な打撃を受けた自然を、今、専門家が再生しようと努めている。だが、まだ安定した状態にはなっていない。僕らは、安全で快適な都市(ポリス)の中で暮らしている」
お兄さんはあまり多くを話してくれなかったが、どうやら地球規模での食糧危機・エネルギー危機が起きたようだった。
資源の奪い合いで戦争や紛争が頻発し、混乱した状態が長らく続いた。
不毛な争いに終止符が打たれ、世界を統合する『統一政府』ができるまでに、人口は一時期の三分の一にまで減少していた。
それでも、人々が望む生活レベルを維持するには、まだまだエネルギーが不足している。
政府は、これ以上の惨事を防ぐため、徹底した管理社会を築きあげた。
人間の活動を人工的な『都市』内部に限定し、行き来を制限した。人口をコントロールし、一人一人に必要なエネルギーを計算して分配し、食肉を禁止、栄養源の大半を合成細菌の作りだす純粋栄養に切り替えた。
遺伝子を洗練させることによる『先天職業制』も最大限に活用した。
たとえば、政府や都市の運営は、統治者(ガヴァナー)と呼ばれる遺伝子を持つ管理層が実施する。
先端技術の研究には科学者(サイエンティスト)を、実用化には技術者(テクニシャン)を割り当てる。
そうした階層社会は不満を生みだすため、感情を感知する感応力者(リスナー)を配備し、犯罪や反乱を防止した。
『都市』外部の自然環境の再生にも努めているが、一度壊滅的な打撃を受けた地球環境は、まだ安定した状態に達していない。
太陽エネルギーの大半を、人間たちが『都市』の供給に利用するために使ってしまっている上、大陸は砂漠化し、湖沼には鞭毛虫が繁殖し、毒素を持つ海藻が海洋を覆い、日本列島はジャングル化して未知のウイルスの宝庫になっている。
聞いているうちに、私は背筋が薄ら寒くなった。
この旅の後、私は常に考えるようになった。
歴史は、変えることができるのだろうか? と。
変えることができるとしたら、私が会った人々は、どこへ消えてしまうのか。
私たちは、過去の歴史を学んで、より良い未来につなげていくことはできるのだろうか。
けれどそれは、この物語とはまた別の話だ……
近づいてみると、山はクリスマスツリーのように、いくつもの層に分かれていた。ただし、その大きさたるや、何百メートルあるのか、とても想像がつかない。
車はツリーの真ん中あたりにある、平坦な部分に着地した。
苔むした平地の先に、翡翠色の沼があり、車は沼地へ乗り入れてそのままずぶずぶと沈んでいく。
窓の周囲が真っ暗になり、下降を続ける間、どこからか音楽が聞こえ、私のIDを読みあげ、認証する声が流れた。
正面のウィンドウに、光で書かれた文字が点滅した。
『江戸シティへようこそ』
それから文字が、映像が、ウィンドウの上下に目まぐるしく流れ始めた。
『江戸祭り限定浴衣セット 無料配布中』
『原因不明の停電が一分三十六秒発生』
祭りのお神楽や、法被を着た人々の姿が現れては消える。
「お祭りをやってるんでしょうか」
「そうらしいね。移動するとき、祭りでも思い浮かべたのかな。だが、こんな感情だらけの人ごみに飛びこむなんて暴挙だ。人ごみには、政府のリスナーがいる可能性も高い」
「こころは無事でしょうか……」
「今のところは大丈夫だろう。あいつに何かあれば、リングに反応があるはずだ」
お兄さんは、不安げな私を励まそうと思ったのか、私のほうを見てちょっと笑ってみせた。
心配するということを知らないお兄さんが、こういう時はかえって頼もしかった。
いろいろと厳しいことは言っていても、お兄さんは今までずっとこころを守り抜いてきたのだ。きっと今度も無事に見つけられるはずだ。
不安は政府の追っ手を引きつける。
リナの言葉を頭の中で繰り返し、私は小さく深呼吸した。
お兄さんは、しばらくフロントグラスに目をこらしていたが、『盲目の歌姫――テラ・メムル コンサート 18:00より』のテロップを指差した。
「こころがここに来たわけが分かった。こころが好きだった歌手のコンサートがあるらしい。移動するとき、彼女のことを思い浮かべたのかもしれない」
「盲目の歌姫――ですか」
これだけ科学の進んだ時代でも、目の見えない人がいるのだろうか。
私が不思議に思ったのを感じ取ったのだろう、お兄さんが小さく首を振った。
「テラは特別だ。自ら視力を放棄したんだ」
一瞬わけが分からず、少ししてその言葉の意味することに気づいて、私は身震いした。
視力を放棄した。
見えていたはずの目を、わざわざ見えないようにしたというのか。
「どうしてそんなことを……?」
「そうでもしないと彼女が夢をかなえることはできなかった。もともと彼女は、アーティストとして生み出された人間ではなかったから」』
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