第24話 正しさと優しさと
『どんな仕組みになっているものか、ユニットの壁にぽっかりと穴が開き、車はその中へ飛びこんだ。
暗いトンネルを抜け、しばらくすると基地の外へ出たようだったが、外は薄暗く、どうなっているのかよく見えなかった。
ヘッドライトの向こうに、銀色の光がたくさん、キラッキラッと反射して見えた。
闇の中から突然、太い蛇のようなものが飛びだしてきて、宙を飛んでいったのを見て、私は目を見張った。
驚いている私に、お兄さんがここは海の中なのだ、と説明してくれた。
私は今まで、VOICEが潜んでいる基地――遺棄された海底都市の中にいたのだ。
ガラス窓に顔を押しつけると、上のほうに、星明りのような光が、ちらちらと踊っているのが見えた。
けれど、暗い海の底をいくら見つめていても、それ以上何も見えなかったので、私はそれまでのことを考え始めた。
お兄さんは、なぜ自分がこころを逃がしたと言ったのだろう。
私がどこかからやってきたスパイだと疑われていた。お兄さんは、私をかばってくれたのだろうか。
私の疑問を感じ取っていたらしく、お兄さんが、ふいに言った。
「君が気に病む必要はない。僕はこれを彼らに取りあげられたくなかっただけだ」
左手の指輪をかかげてみせる。
記憶の底で何かがうごめいたが、なんだかよく分からなかった。
「少し記憶を操作させてもらった」
そう言われて初めて、私はこころが指輪を使って逃げだしたことを思いだした。
未来の人たちが記憶を自由に操れることは知っていたけれど、いい気分はしなかった。
けれど、そう意識するかしないうちに、お兄さんがすばやく言った。
「不快だったかな。すまなかった。一時的なもので、永久に消したわけではないよ」
私は急いで不快感を脇へ押しのけた。
そして、思い直した。
お兄さんは私の記憶をすっかり消してしまったわけではないし、むしろ私をかばってくれたのだ。今こうして誠意を持って、説明もしてくれている。
それより、お兄さんはなぜ指輪のことを隠しておきたかったのだろう。お兄さんも、VOICEの人たちを信用していないということだろうか。
「僕は誰も信用していない」
それが、お兄さんの私の心のうちに感じた疑問に対する答えだった。
「こちらからVOICEを裏切るつもりはないが、向こうが僕を切り捨てようとした場合に備えて、逃げだす手段も必要だ。心を持っている人間は簡単に気持ちが揺らぐからね。こころと同じように」
「そんな。こころは……」
言い返そうとした私に、お兄さんが鋭い口調で尋ねた。
「君はこころのことをどれだけ知っているんだ?」
わずかだが、そこには感情がこもっていた気がして、私はたじろいだ。
「あいつは簡単に仲間を裏切る」
「そんな……」
「前にも話しただろう。僕らが政府の研究所を出なければならなくなったのは、こころが機密を敵の重要人物に洩らしてしまったからだと」
「敵?」
「VOICEのリーダー、アウディ・サライだ」
私は言葉を失った。
「政府を裏切ったことで、僕らは研究所を出て、逃げ回らなければならなくなった。代わりに、VOICEのメンバーが、僕らを君の時代に身を隠せるよう手配してくれた。VOICEの支援がなければ、僕らはとっくの昔に捕まるかのたれ死んでいたはずだ。ところが、今度はVOICEまで裏切ろうとしている」
厳しい口調で言われて、私は自分が非難されているみたいな気持ちになった。
それでも、なんとかこころをかばおうと、私は一生懸命言った。
「こころは……一見強く見えるけど、繊細で、傷つきやすくて……相手の気持ちになってしまうんです。すごく優しいから」
「優しい? そのことに、なんの意味があるんだ?」
お兄さんは小さく頭を振った。
「僕は心を持たないと言われるが、人として何が正しいことかは分かっているつもりだ。その場の気分で考えをふらふら変えるのは間違っている。でなければ、かえって多くの人を傷つける。そうは思わないか」
私はショックを受けて黙りこんだ。
裏を返せば、お兄さんはこころが人として正しくないことをしていると言っているのだ。
何か反論したかったけれど、お兄さんの論理には隙がなかった。
こころが逃げだしたのは、お兄さんにとってはただの気まぐれに見えたのだろう。
けれど。
私は、これから何をしに行くのだろう。
私に助けを求めにきたこころを、私は同じ場所へ連れ戻さなければならないのだろうか。
辛くても、兵器として生きろと言うしかないのだろうか。
私が悩んでいるのに気づいたのか、お兄さんは少し声をやわらげて言った。
「あいつが辛かったのは分かっている。だが、誰でも我慢しなければならないこともあるはずだ。少なくとも、何かを成し遂げるまでは」
その後続けたお兄さんの一言は、私にとっては意外だった。
「与えられた能力は生かさなければならないんだ。人は一人では生きていけないから」』
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