第55話 最後の30分

 基地に戻ってすぐ、悟さんはアウディに面会を求めた。

 残念ながら、すぐには引き合わせてもらえなかった。

 VOICEの人々は、連絡を断っていた私たちが、政府の手で洗脳されていたらと心配したらしい。

 やがて私たちの前にサルースが現れ、サルースはすぐにアウディに連絡を取ってくれた。

 アウディは要点をすぐに理解したようだった。

「<逆流>で内乱を防ぐ。みんなの<声>を、感応力者たちの想いを、政府軍の感応力者たちに届ける。そういうことだな」

 アウディは微笑んでみせた。

「君たちが政府の手で細工されていたら、私たちも一網打尽だが」

 そう言ったアウディだが、結局は私たちを信頼してくれた。

「もしここで失敗するなら、私もそれまでの人間だ」

 それから私たちは、「機密室 関係者以外立ち入り厳禁」と書かれた部屋へ案内された。

 代わり映えのしないいつものユニットの中には、船で見たのに似た座椅子が据えつけられていた。

 こころは、嫌な記憶を思い出したのか、ぶるっと身を震わせた。

 悟さんが、そっとこころの腕に触れた。大丈夫というように。

 こころが緊張した面持ちで椅子に腰を下ろし、悟さんはその肩に手を添えた。

 椅子から、地面から色とりどりの紐が伸びあがり、こころの頭上に集まって、白く輝く球体となった。

 サルースの手が球体に触れると、輝きが弱まった。

「出力を絞ってテストする。アニマ、<調和>をイメージしてみなさい」

 アニマがうなずいて、目を閉じた。

 一瞬、アニマの姿が大きくなり、私の目の前に迫ってきたように感じた。

 それから、さまざまなイメージが流れこんできた。

 信頼、安全、共感。

 仲間、使命、絆。

 運動会でクラスが優勝した時のこと。合唱で音がぴたりと重なりあった時のこと。

 こころと初めて会った時のことを思いだす。嵐の中、こころを助けに行ったこと。

 テラのあの歌声が、頭の中に鳴り響く。力強く、会場を包みこむひとつのオーラと  一体感。

 一瞬、喪失感と痛みを感じた。

 そして、ふいにそれがかき消えた。

「悪くはありません。ただ、計算値より少し出力不足です。それと、ノイズが少し……」

 サルースは悟さんに目を向けた。

「まだ感情が残っているだろう?」

 悟さんが目を伏せた。

「整流役のお前に感情があると、余分なものが入り混じる。お前はタイプAの感情を外へ送り届けるパイプ役だ。<逆流>を成功させるには、お前は空っぽな状態でなければならない」

「分かっている」

 悟さんは低くつぶやいた。

 サルースさんは腑に落ちぬ様子だった。

「もうとっくに空っぽになっているはずなんだがな。エネルギーの計算が間違っていたのか。あるいは、感情エネルギーの流れる回路が活性化されたことで、お前自身にもわずかながら感情エネルギーを生みだす力が生まれたのか」

「今の状態では、逆流は不可能なのか」

「方法はある。リナにしたように、一時的にお前の感情を切り離せばいい」

「一時的に?」

「そう、一時的にだ」

 悟さんの瞳に、わずかに希望の色が浮かんだように見えた。

「失敗は許されないぞ、サルース」

 アウディが言った。

「チャンスは一度きりしかない。失敗すれば、この基地は壊滅する」

「おっしゃる通り。まず、原因を突き止めるのが先です。ちょっと見せてくれ、フリッジ」

 サルースは、悟さんの胸に手を当てた。

 手の中に、赤く輝くものが現れた。まるで心臓を取りだしたようで、私は息を呑んだが、よく見ればそればこころが渡したあのペンダントと同じ形をしていた。

 ペンダントについた紐は、どうなっているのか、悟さんの胸につながったままだった。

 紐の周りに細い光の筋が絡みつき、悟さんの体に吸い込まれていくのが見える。

 それは細くなったり太くなったり、強く輝いたり弱く輝いたりして、生き物のように動きまわっていた。

 ペンダントは呼吸するように明滅を繰り返していた。

「エネルギーが減っていませんな。どこかから補充されているとしか思えない」

 サルースはアウディに向かってそう言うと、ペンダントを手にしたまま私を見つめた。

「フタバ・キズナが連れてきたものかもしれない」

「私が?」

 思いもよらぬ言葉に、私は驚いて聞き返した。

 ざわめくように私の後を追いかけてきた不安の塊。あの学校の残留思念が、ペンダントに乗り移ったとでもいうのだろうか。

「死者のエネルギーは、多かれ少なかれ減っていく。これは生きた人間の発するものだ」

 サルースは私の顔を探るように見つめた。

「信じがたい話だが、おそらく君は友達のエネルギーを連れてきたんだろう」

 いったいなんの話をしているのか。

 私は考え、それから頭を殴られるような衝撃と共に思いだした。

 闇の中に浮かぶようにして眠っていたさくら。

 地下室の暗闇に、私はただ一人で残してきた友人のことを、私はすっかり忘れていた。心配するどころか、思いだしさえしなかった。

 あとになって気づいたのだが、この世界にやってきてサルースの施術を受けた時、指輪に関わることはすべて、私の記憶の底に封印されたのかもしれない。けれど、その時の私は混乱し、さくらに申し訳なく思った。

「実は、地下室にいたVOICEの仲間から連絡があってね。さくらはもともとこの時代の人間――タイプDの感応力者だ」

 タイプDは感情エネルギーが切り離しやすいのだとサルースは話した。

 ニセコもリナも、だからこそ感情を切り離すことができた。

「つけ加えるならば、彼女は永遠の子供だ」

 こわばった表情のまま、黙りこんでいた悟さんが、ふいに割って入った。

「待ってくれ、タイプDの永遠の子供?」

「その通り。非常に珍しい実験体だ。長期的な記憶を持たない<永遠の子供>は、スパイとしては使いにくい。私の知る限り、一度実験的に作られたきりだ」

 ペンダントから、一瞬、稲妻のように、強い光がほとばしった。

 悟さんの感じた衝撃を、そのまま表しているかのように。

 悟さんは、身を震わせた。

「フィオレ……」

 悟さんが、聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。

 さくらがフィオレ?

 私も信じられない気持ちで、胸の内に繰り返した。

 あのさくらが、この時代の人間なんて。まして、それが話に聞いていたニセコのお姉さんだったなんて。

 サルースは、地下室に入り込んだのがフィオレだったことに、とっくに気づいていたようだった。

「おそらく、あの学校にVOICEの人間が入りこんでいることに気づいて、政府がスパイを送りこんだんだろう。本人も意識してはいないだろうが、おそらく地下室の装置を見つけだし、壊すか、未来へ連絡するように暗示をかけられていた……」

「さくらは……フィオレは、無事なんでしょうか」

 私を忘れないで。さくらのメールが、今になって頭の中によみがえった。

 あの言葉は、記憶を消され、行く先々で利用されてきたさくらの深層心理の、切実な願いだったのではないか。

「生きてはいる。向こうにいるメンバーから、眠ったままだと報告を受けている。なぜだろうと思っていたが」

 サルースは悟さんのほうへ顔を戻した。

「感情エネルギーが、不自然な形で未来へ連れてこられたからかもしれない」

「エネルギーをもとに戻せば……フィオレは目を覚ますのか?」

 悟さんが尋ねた。

「おそらく。だが……」

 悟さんが何を言おうとしているかに気づいたのだろう。サルースは何か言いかけたが、悟さんは構わず先を続けた。

「このエネルギーを切り離せば、<逆流>は成功するんだな」

「分からん。少なくとも、こいつを手放さない限り、逆流は成功しないだろう。逆流には、飽和する感情エネルギーと、その流れを制御する知性を持った空洞が必要だ。後者は前者に共鳴せず、届けるべき感情を正しく選り分ける必要がある」

 サルースの残酷なセリフを、悟さんは黙って聞いていた。

 ペンダントから流れる光は、幾筋にも分かれ、行く先に迷うように、紐の上をのたくっていた。

「タイプAがタイプFを十分に信頼していないと、感情エネルギーの出力が不安定になって暴走が起きる。お前が感情を持ったためにアニマと信頼関係を築けたのなら、これをお前から取り上げるべきかどうか私には判断できん」

「厄介だな。感情というやつは」

 悟さんがかすかに笑った。

「何を決断するにも、時間がかかる。すべきことは、はっきりしているのに」

 それから、小さく息を吐き出し、きっぱりと言った。

「このエネルギーは、フィオレに返すべきだ。ペンダントのエネルギーを使って、絆は元の世界へ帰れる。フィオレは眠りから目を覚ます。逆流を成功させるため、僕が感情を持つことが一度は必要だったかもしれないが、これからは必要ない」

 悟さんはこころの顔を覗き込んだ。

「大丈夫だろう、こころ」

 こころは小さくうなずいた。

 今にも泣き出しそうな顔で。

 サルースが、少しためらったように口をはさんだ。

「フィオレが政府のスパイだったとするなら、起こさないほうが賢明かもしれない」

 あの非情なサルースも、二人の様子には心を動かされていたらしかった。

 けれど、悟さんは首を横に振った。

「一度はVOICEに身を投じようとした子だ。政府の洗脳を解く方法はあるはずだ。それに、フィオレは絆の友人だ」

 それから悟さんは、私のほうを向いて言った。

「絆、あの子が二度と地下室へ近づかないように見張っていてもらえないか」

 私に何が言えただろう。

 二人がやり取りする間、私は凍りついたまま何も考えられずにいた。

「私……私は……」

 こんな状況で、二人を残して去れというのだろうか。

 悟さんから、ようやく手にした心を奪って帰れというのか。

 私は、目を閉じてさくらの姿を思い浮かべた。

 こころの顔と、悟さんの顔がその上に重なった。

 とても選べない。こんな選択は、残酷すぎる。

 私はきっと、こころと同じ顔をしていただろう。

 悟さんは、アウディの方を見た。

「僕の考えに、間違ったところがあるようでしたら教えてください」

 アウディは首を横に振った。

 アウディの瞳は、深い色をたたえていた。

「VOICEを代表して、君に敬意を表する。この基地が救えたら、君の望むことを聞こう」

「ひとつだけお願いがあります」

 悟さんが言った。

「一時間……いや、三十分だけ時間をください。僕を一人にさせてください」


 部屋を出て、通路を歩いていこうとする悟さんを、私は無我夢中で追いかけた。

「悟さん、待って!」

 悟さんは立ち止まった。

 そうして振り返ってくれたけれど、いざそうしてみると、私にはかけてよい言葉が見つからなかった。

 自分でも何をしようとしていたのか分からず、ただもう必死で、今にも気持ちが爆発しそうで、後を追ってきたのだ。

 泣き出しそうなこころの顔が頭をよぎる。

 もう少し、こころと一緒に過ごしてほしかった。私もそばにいたかった。せめて、みんなが無事でいるのを見届けるまで。

 基地が安全に戻り、こころと、悟さんの笑顔が見られるまで。

 私はようやく言った。

「いいんですか、本当に」

「それは、残された時間の使い方について? それともフィオレに心を返していいのかという意味?」

 悟さんが問い返した。

「すまない。君の気持ちが読みとりにくいみたいだ……僕も混乱しているのかもしれない」

 さりげない言葉に、ぎゅっと胸を締めつけられるような思いがする。

 やっと気持ちが通じたのに。こころもあんなに嬉しそうだったのに。

 なぜ手放さなければいけないんだろう。

「こころなら大丈夫だ。逆流も……あとは僕らでなんとかできる」

「でも……」

「フィオレは、君にしか助けられない」

 言い聞かせるような声に厳しさはなかった。

 こんな優しい目をされたら、どうにかなってしまいそうだ。

 私はうつむき、唇を噛んだ。

「大切な友達なんだろう。こころの次に」

「私、でも……」

 さくらを救ってあげたい、と、思う。

 でも、目の前にもとても、大切な人がいる。

 とてもとても大切で……こころと同じぐらい……それとも……

 悟さんが人差し指を伸ばして、私の唇に触れた。

 それ以上話すなというように。

「僕は誰かのエネルギーを吸い取って、吸血鬼みたいな生き方をしたくはない。君の友人に感情を返すことが、僕が心を持った証だと思う」

 私はきゅっと目をつむった。

 私はもう必要ないのだ、と思った。

 この人には。この時代には。

 悟さんの声がした。

「君にお願いがある」

 私は目を開いた。

「君にはずっと迷惑をかけ通しだが、もうひとつだけ、頼まれてくれるかい」

「言ってください。なんでも」

「フィオレを見守ってやってくれ」

 私は目を見開いた。

「不安定なタイプDには、支えてやる人間が必要だ。君が旅の間ずっと僕を支え続けてきてくれたように、あの子を支えてやってほしい」

 その言葉は、私の心の中に染み入った。

 この人は、私を必要としてくれていたのだ、と思った。

「僕はフィオレの夢を奪ってしまった。研究所にいたころから、あの子はずっと自由になりたがっていた。永遠の子供に、過酷な任務はふさわしくない。君の時代で幸せな高校生活を送れるなら、それがあの子にとっては一番いいことなのかもしれない」

 悟さんは、私の目を見つめた。

「君が僕の罪をつぐなってくれないか。初めてできた僕の友人として」

 友人、と私を呼んでくれた。

 それだけでも私には十分だった。

 涙が頬を流れ落ちた。

 うれしくて、誇らしくて、そしてやっぱり哀しくて、涙が止まらなかった。

「離れていても、僕らはずっとつながっている」

 私はうなずいた。

 生きていける、と思った。

 私は元いた場所で、あの学校で、生きていける。

「いってらっしゃい」

 小声でささやいた。

 声がかすれたけれど、涙声にならなかっただけ良かったと思う。

 悟さんはかすかに微笑み、通路の向こうに消えていった。

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