第28話 禅問答

 放課後、ナオミはまた準備室へ行って、ノートの続きを読み始めた。

 たしか、迷子になってしまった絆の肩に、見知らぬ男が手をかけたところだった。

 絆は追っ手に捕まってしまうのだろうか。


『男は私を向きなおらせると、鋭利な目を細めた。

「フタバ・キズナか?」

 恐怖のあまり、私は凍りついていた。

 男は苛立った様子で、もう一度繰り返した。

「フタバ・キズナだろう? 違うのか?」

 その時、後ろから別の誰かにぐいと腕をつかまれ、私は悲鳴をあげそうになった。

 振り返ろうとしたけれど、体が動かない。

 押し殺した声がした。

「なぜこんなところにいるんだ」

 どうにか体をよじった私は、立ちすくんだ。

 私がずっと探していた人、けれど、それまで一度も目にしたことのない人がそこにいた。

 昔、こころを叱り飛ばした時も、その頬に平手打ちをした時でさえ、その人はこんな顔をしなかった。

 こんな険しい、恐ろしい顔は。

 感情の量を調節するのはとても危険なことだ。サルースさんがそう言っていたのを思いだし、私は少し怖くなった。

「すみません、お兄さん……」

 私はやっとのことでそう言った。

「へえ、が感情を手に入れたっていうのは本当だったんですね」

 反対側にいた男が声をあげた。

 なんとなく癇に障る声だった。

 お兄さんは、目を細めて男を見つめ、問い返した。

「ニセコ、なぜ君がここにいる?」

 表情らしきものはすでにかき消えていた。

 男は頭を下げて、慇懃無礼な調子で言った。

「危険な任務に、要人を二人きりで行かせるわけにいかないでしょう? 近辺を見回るよう申しつかりまして」

 男はVOICEのメンバーだったらしい。

 話しぶりからすると、お兄さんより年下のようだ。

「君が護衛を?」

「僕ではご不満ですか? タイプDのできそこないでは? 危険な任務には、かえってうってつけですよね。万が一の時、タイプBやCではもったいありませんから」

 ニセコは歯をみせたが、目は笑っていなかった。

「お兄さんも気をつけたほうがいいですよ。連れとはぐれるなんて失態、普段のあなたなら考えられませんからね。どうですか、感情があると、やっぱり任務がやりにくいですか?」

 お兄さんは、何も言い返さなかった。

「よかったら、お兄さんが何を感じていたのか教えてもらえませんか」

「君に話す必要性は感じない」

「そうでしょうか。政府の研究所にいたころ、犯罪者の見分け方を教わりましたよね。不安や焦り、罪悪感。今のお兄さんには三つとも感じ取れたように思いましたが、落ちこぼれの勘違いですか?」

 不安や焦り、罪悪感……

 私はニセコの言葉を、心の中で繰り返し、ああ、そうか、と思った。

 お兄さんは、怒っていたのではなく、心配してくれていたのだ。

 こころの気配を探っていたお兄さんは、私があの場を離れたことに気づかなかったのだろう。

 突然私がいなくなれば、不安に思って当然だ。焦るのも当然だし、責任感の強いお兄さんのことだから、部外者を危険に巻きこんだとなれば、罪悪感だって感じただろう……

「フタバ・キズナの確保、ご苦労だった。ありがとう」

 お兄さんは、これで話はしまいという風に宣言した。

 ニセコは肩をすくめ、会釈すると、立ち去った。

 ニセコが去っても、お兄さんは、まだ私の手を痛いほど握りしめたままだった。

 けれど、手の痛みよりも、心のほうに、より強い痛みを感じた。

『この人を支えてあげて』

 リナにそう言われたのに、私は、生まれて初めて心を持ったお兄さんを不安にさせ、焦らせ、罪悪感を与えてしまった。

それより何より哀しかったのは、私を助けにきてくれたお兄さんを、一瞬であっても怖がったりしてしまったことだった。

 他の人たちがどう考えようと、私だけはお兄さんの味方でいる、そのつもりだったのに。

「心配かけて、すみませんでした」

 そっと謝ると、お兄さんは、少し戸惑った表情を見せた。

 まるで私に言われて、自分が心配していたことに、初めて気づいたみたいだった。

 そして、手の力を少しゆるめ、つぶやくように言った。

「いや、注意していなかった僕も悪かった」

 私はほっとし、じんとして涙が出そうになった。

 優しさに意味なんてない。そう言っていたくせに、この人は、やっぱり優しい。

心を持っていても、いなくても、こころを十年以上も守り続けてきた人だ。別の時代にいる私に、緊急連絡用の指輪を残してくれた人だ。

こころと同じ、思いやりを持っている……

「だが、教えてくれ。なぜ、一人で会場を出たりしたんだ? こんな人ごみの中で」

「こころに似た子を見た気がして……」

「こころを見た?」

「見間違いかもしれません。会場から離れたとたん、消えてしまったし……戻ろうとしたんですけど、戻れなくて。本当にすみません」

 お兄さんはしばし考えていたようだったが、やがて言った。

「君はまだこの世界に慣れていない。この世界は一見平和に見えるだろうが、僕らはとても危険な旅をしているんだ。護衛が必要なくらいにね。これからは絶対に僕のそばから離れないこと。いいね」

 私はうなずいた。

 私が迷子になってしまったら、こころを探すどころではない。

「これからどうするつもりですか?」

「テラの楽屋へ行く」

 私は驚いた。

「コンサート中のMCで、テラが言ったんだ。今日の停電のさなかで、ある不思議な女の子に出会って、この会場の人に向けたメッセージを受け取ったと」

「それってまさか……」

 お兄さんがうなずいた。

「こころかもしれない。その後に続いた曲の名は『メッセージ』だった。観客の大部分は、歌のつなぎの作り話だと思ったろうけどね」

 この時代のビッグネームが、こころからの伝言を預かっている、なんていうことがありえるだろうか。

 だがやはり、停電のさなかで、という言葉は聞き逃せない。


 それから、どこをどう戻ったのかよく分からない。私たちはテラの控え室のあるテントへやってきていた。

 テントの表に立っていた係員に、お兄さんが事情を話した。

 じき、中に招き入れられた。

 テントの中は、色とりどりの布で覆いつくされていた。

 その中央に、やはり色とりどりの布きれを身に着けたテラが、人形のようなたたずまいで立っていた。

 トンボ玉のような瞳が、こちらを向いた。

 右目にはピンクの花が散らされ、左目には青いうずまき模様があった。

 どこにも焦点の合っていない瞳に見つめられると、なんとも落ち着かなかった。

「事情は聞いたわ。あなたは、メッセージを残した女の子の知り合いだとか」

 会場で聞いた張りのある声とは違う、澄んだかわいらしい声だった。

「はい、その子はおそらく、僕ら宛てに残したのではないかと思っています」

 テラは、神秘的な瞳をお兄さんと私に向けて、謎めいた笑みを浮かべた。

「メッセージを伝える前に、あなた達に聞きたいことがあるの。いいかしら」

「はい、もちろん」

 こころには追手が迫っている。

 テラがこころから事情を聞いたなら、私たちがこころの味方かどうか試しているのかもしれない。

 私はそう思ったが、テラの口にしたのは、まったく別の言葉だった。

「私のコンサートをどう思った?」

 お兄さんはよどみなく答えた。

「とても素晴らしいコンサートでした」

「素晴らしいって、何が良かったの?」

「歌も声も楽曲も演出も、すべてが想像以上でした」

「それは答えにはならないわ。一番素晴らしいと思ったのは、何?」

「一体感です」

 お兄さんは、感応力者らしく明確な答えを返した。

「あの場にいたみんながあなたの歌に引きこまれていました。テラ、あなたに会いに来た女の子は、おそらく僕の妹です。妹もあなたの熱烈なファンで……」

「知っているわ。でも、私が聞きたいのは、そういうことじゃないの。あなた達は、私の歌を聴いて、どう感じた?」

 テラの見えないはずの瞳が、上下左右にさまよった。

「私の歌を一言で表してくれないかしら?」

 お兄さんは、さすがに困惑した様子で、私の顔をちらりと見た。

 なぜテラはこんな風にしつこく尋ねてくるのか。

 気まぐれなアーティストのわがままなのか。

 いや、テラは、私たちを試しているのかもしれない、と、ふと思った。 

 こころのメッセージを話すのにふさわしい人間かどうか。

 でも、ようやく感情を持ったかどうかというお兄さんに、歌の感想を求めるのは酷だろう。

 私はテラの歌を思い返した。力強く励ますような、あの歌声は、まだ耳の中から離れなかった。

 歌声の中から、あるキーワードが浮かびあがってきた。

「……信念」

 私が言うと、テラは、愛らしい口元を、満足げにほころばせた。

 正解だったらしい。

 我ながらいい答えだと思った。

 意志の力で人生を変えたテラに、一番ふさわしいキーワードだ。

 私は胸をなでおろしたけれど、テラはそれだけでは満足してくれなかった。

 お兄さんのいる辺りに見えない瞳を向け、重ねて尋ねた。

「あなたは? 正直に答えて。嘘をついても、私にはすぐ分かるの」

 他にもっといい答えがあるとも思えないし、お兄さんが答えられるとも思えなかった。

「あの……」

 どうか勘弁してください、こころからの伝言を教えてくださいと、おどおどと言いだしかけた時、だしぬけにお兄さんが言った。

「孤独」

 私は驚いた。

 テラも虚をつかれた表情をしていた。

 お兄さんが言い添えた。

「気を悪くされたらすみません。孤高、かもしれない。孤独で気高い」

「そうね……そうかもね」

 テラは目を閉じ、頭を揺らした。

「私は視覚を失った時、涙をなくしたの。だから泣きたい時には、歌を歌う。でも、私は本当には孤独ではないわ」

「あなたには大勢のファンがいるから」

「そうよ、あなた達が私の歌を感じ取ってくれる。そうして、私の代わりに涙を流してくれる」

 それから、テラは詩を読みあげるように言った。

「あの子はこう言っていたわ。『私は、緑の森へ行く。私を包みこんでくれた、あの安らぎを求めて。温かい思い出にめぐりあうために』」

「それが伝言ですか?」

「そう。お役に立てたかしら?」

「他には何も?」

「今言った通りよ。頼まれた通りに、正確に伝えたわ」

「突然現れた見知らぬ女の子から、その言葉だけ聞かされて、あなたが伝言役を引き受けたとは思えない。他にも何か話し合ったのでしょう」

「これ以上話すことはないわ」

 テラは首を振り、言葉の通り、それ以上何も話してくれなかった。

 まるで禅問答のようだったが、私たちは、お礼を言って外へ出た。』

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