第8話 お泊り会~こころからのSOS
『夜もすっかり更けてからのことだ。
とんとんと、誰かに寝袋の上から叩かれて、私は目を覚ました。
さくらだった。
寝袋から出て、寝間着姿のまま、私の上へかがみこんでいる。
どうしたの、と聞こうとすると、さくらが唇に指を当てた。
それからついてこいとでもいうように、手を振って、視聴覚室の入口のほうへ歩きだした。
私は寝袋から抜けだして、後を追った。
渡り廊下のところで、私はようやくさくらに追いついて尋ねた。
「さくら、どうしたの?」
さくらが振り返り、じっと私を見つめた。
「絆」
声の調子が、いつもと違った。
凛として、透き通っていて、どこか懐かしい感じがした。
さくらが手を差しだした。
てのひらに、あの指輪があった。私がなくした、こころのお兄さんの指輪。
「もうなくさないでね」
私は信じられない気持ちで、指輪を受け取った。
「これ……拾ってくれていたの? でも」
なぜさっきまで黙っていたのだろう。一緒に探したのに。
「他の人に知られるわけにはいかなかったから。この学校には、いろいろな人達が来ているから」
私は唾を飲みこんだ。
違う。この話し方には記憶がある。
「……こころ……?」
さくらはかすかに微笑んだ。
やっぱり、分かってくれたのね、とでもいうように。
「どういうこと? 変装でもしているの?」
「この子は、<メッセンジャー>なの」
「メッセンジャーって?」
「脱魂者と言われる体と心の結びつきがゆるい人たち……私は未来から、この子の体を借りて話している」
こころは、未来へ、元来た世界へ、戻っていたのだ。
不思議な気持ちだった。
違う時代の人間と、さくらを通じて、こんな風に会話できるなんて。
「ここは、この時代から三百年ほど後に『卵』――研究所の建てられたところなの。感情エネルギーがたくさん残留している特殊な場所だから。今もこの学校のどこかで、装置が作動していて……」
こころは口をつぐんだ。
それから、どこか切羽つまった口調になって言った。
「お願い、絆、助けに来て」
私は驚いた。
こころは、未来の研究所で生みだされたテレパス――感応力者(リスナー)だった。感応力者達は、犯罪を未然に防ぐため、子供のころから、政府のために働かされる。こころはそれに耐えきれず、とある重大な犯罪者を逃してしまった。それで研究所から逃げだしたのだと聞いていた。
政府から追われる身となったこころは、時間(タイム)跳躍(リープ)の装置を使い、私の住む時代へ身を隠していた。
未来へ戻ったこころは、捕えられてしまったのだろうか。
「どうしたの? 政府に捕まってしまったの?」
「いいえ、今はVOICEの人たちと一緒にいる」
「VOICE……聞いたことがあるような気がするけど」
「研究所から逃げだした感応力者たちの作った組織よ。私たちが逃げるのをずっと応援してくれてた……でも、ここも結局同じだった。私は兵器として利用されようとしている」
「お兄さんは? 一緒にいるのじゃないの?」
「あの人は……」
さくらの姿を借りたこころは、どこか悲しげに目を伏せた。
「詳しく説明している時間がないの。この学校のどこかにタイムリープの装置があるはず。その指輪は、いざというときのサブ装置になっている」
こころの話はよく分からなかった。指輪がスイッチのようになっているのだろうか。
「教えて、こころ。どうすればいいの? どうすれば助けてあげられるの?」
「装置の近くで……やっぱりダメね、絆を危険に巻きこんでしまう」
「大丈夫。きっと助けに行くから。くわしく教えて」
さくら/こころは、きゅっと唇を噛んだ。
「人が来たわ。さようなら、絆」
「待って、こころ……!」
さくらが目を閉じ、ぐらりと揺れた。
倒れそうになったさくらを、私はあわてて抱きとめた。
腕の中に、さくらの小柄な体の、けれどずっしりした重みがあった。
うっすらと目を開いたさくらは、驚いた顔をした。
「絆……?」
「さくら。大丈夫?」
「ここはどこ?」
「渡り廊下だよ。三階の」
「……ああ……まただ、私」
さくらは身を起こし、眉間に皺をよせた。
「ごめん、私、ときどき、夢遊病みたいになっちゃって。絆、ついてきてくれたの?」
視聴覚室に戻る間、さくらは、ごめんね、ごめんね、と、しきりに謝罪を繰り返した。
私は、まともに返事する余裕もなかった。
こころはどんな危険に遭っているのだろう。
助けにいかなくちゃ。でもどうやって?』
チャイムが鳴った。
ナオミはあわてて立ちあがった。
昼休みがもっと長ければいいのに。
続きが気になってしかたない。
未来からやってきた、テレパスの友達。そんな子がいたら、どんなにわくわくするだろう。
これから私は戻らなければならないのだ。友達もいない、灰色の教室に。
五時限目の数学の授業も、六時限目の古文の授業も、ほとんど上の空だった。
授業が終わるのを、ひたすら待ち続けていた。
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