第58話 思い出の歌声

 ノートはそこで途切れていた。

 読み終わった後、ナオミはしばらく呆然としていた。

 こころが、そっと右手で宙をなでるようなしぐさをした。

 床からテーブルが現れ、その上に、物語に出てきたテラの人形が現れた。

 歌声が流れ始めた。

 強く、物悲しい、耳元でささやかれるかのような声だった。


  昨日までの自分に さよならを告げて

  見知らぬ明日へ 今 歩きだすよ


 想像していたのと少し違っていたし、似ているようでもあった。

 ナオミは耳を傾けた。


  神様のくれた 宝物を捨てて

  全てを捨てた私は 今 私に帰る


  あなたは 私を 笑うのかしら

  愚かなことだと

  でも これが 私の生き方


  あなたと離れ 歩いていくから

  時には 私を 思いだしてほしい


  旅立ちの歌 あなたに捧げるよ

  あなたの命が 輝くように


  いつの日かまた 出会えた時は

  変わり果てた私に ほほえんでほしい


 力強く、孤高の歌姫が歌い上げる歌は、まっすぐ心の中に流れこんできた。


  あなたもいつか 見つけるでしょう

  あなたのための あなただけの道を


  あなたは その時 分かってくれる

  愚かなことでも そう これが 私の生き方


  私を見て 私の声を聞いて

  私はここにいる 私は生きている


「あの……私……」

 涙で声がつまりそうになって、ナオミは急いで目をぬぐった。

 双葉先生のことを誤解していた。

 か弱くて、頼りない先生だとばかり思っていた。

 双葉先生は強い人だ。人の心に寄り添ってしまうあまり、一見弱そうに、頼りなげに見えるのだ。

 まるで私と正反対。

 強がっているくせに、怖くてたまらず、人の気持ちも理解できずに、土壇場で任務を投げだしてしまった私とは。

「本当に。私たちがこうしていられるのは絆のお蔭だわ」

 ナオミの心の中の声を聞いたように、こころがつぶやいた。

「絆と別れてからいろいろあったけれど、VOICEは政府とは休戦した。少なくとも今は、政府は敵というわけではない」

「じゃあ、若草先生は? 双葉先生は、感情エネルギーを集めていました。私、それを若草先生に取り上げられて……」

 ナオミは手の中に握りしめたままだったペンダントを見せた。

「ようやく取り返したんです。あの人は、敵じゃないですか?」

 こころは小さくため息をついた。

「若草先生は、政府の一組織である時空管理局の人間よ。任務を忠実に果たそうとしたのでしょうね。この時代にそのペンダントが存在することは間違っている、そう判断したんでしょう」

「双葉先生は、間違ったことをしているってことですか? 先生は、病気の生徒を助けようとしていたんです。未来の技術を使って今の人間を助けるっていうのは、いけないことなんでしょうか」

 こころは長いまつ毛を伏せた。

「何が正しくて何が間違っているのか判断するのは、とても難しいことだわ」

 ルビンの壺。そういうことだろうか。

 ナオミは、横たわっている霧島を見た。いつか史学準備室で見たのと同じ、穏やかな寝顔をしていた。

 このペンダントがあれば、霧島さんは助かるんだろうか。

 そうであれば、私にとってこれはここにあるべきものだ。ナオミはそう思った。

「そうね。もし、彼が……」

 ナオミの心の声に答えかけたこころは言葉を切り、ふと、緊張した表情になって顔を上げた。

「若草先生が、絆のところへたどりついたわ」

「え?」

「話し合いましょう。若草先生と」

 こころが手で宙をなぞるようにした。

 目の前に扉が現れ、こころは中へ入っていった。

 ナオミは緊張しながら、後を追った。


 扉の先で、ナオミは立ちすくんだ。

 見たこともない無数の花が咲き乱れていた。

 むせかえりそうな甘い匂いがたちこめている。

 双葉先生が、若草先生が、その向こうに、向き合うようにして立っていた。

「フタバ・キズナ。あなたは過ちを犯しています」

 若草先生が言った。

「そもそも、過去の人間が未来の記憶を持つことは禁じられています。まして生徒を利用して感情エネルギーを貯めるなど、論外です。あれだけ多量のエネルギーを、いったい何に使うつもりだったのですか」

 泣きそうな顔をしていた双葉先生が、ふと、ナオミの気配に気づいてふりかえった。

 双葉先生は、驚いたように目を見開いた。

「水城さん」

「先生、ごめんなさい、未来の日記、読んでしまったんです。ペンダントは、私が霧島さんに貸してもらいました」

 ナオミはペンダントを掲げてみせた。

「先生は悪くないと思います。霧島さんを助けたかったんですよね。未来の技術で霧島さんを治療する、そのためにエネルギーを貯めていたんですよね」

 若草先生が、きっとした顔でナオミのほうを振り返った。

 双葉先生は、、不安げに立ちすくんでいる。

 しまった、余計なことを言っただろうか。

 若草先生が鋭く言った。

「水城さん、ペンダントを渡しなさい」

「嫌です。だったら先に、霧島さんを治療してください。あの人の病気を治してください」

「この時代の人の病気を、みんな治して回れというの?」

 若草先生が険しい顔になる。

「私はただ、霧島さんを……」

「それは公平ではないわ。例外を許すわけにはいきません」

 青い空に、四角い黒い箱が現れた。

 箱がゆっくりと降りてきて、花の中に降り立つのを、ナオミは緊張しながら見つめた。

 双葉先生の物語に出てきた、銃を手にした黒服の男たちを想像し、ペンダントを後ろ手にして後じさる。

 けれど、箱が開いて、中から現れた人影を見て、ナオミは少しほっとした。

 薄汚れた白衣を着て、メガネをずり落ち気味にかけた――古瀬先生だ。

「やっぱりここにいたんだ、若草先生」

 古瀬先生は、ぎこちない笑みを浮かべ、若草先生に目を移した。

「……あなたは? どうやってここへ来たんですか?」

 若草先生は、古瀬先生を睨み返した。

「それは私の質問です。この学校はどうなっているのかしら。こんな巨大なユニットを地下に隠して、この時代の人間が当たり前のようにそれを使っている」

 古瀬先生は、何か言い返そうとしたが、口ごもり、結局こう言った。

「あなたは未来から来たんですね」

「私は時空管理局の人間です」

「あなたと話したがっている人がいます」

「まだ他にも関係者がいるというの? とんだ茶番だわ」

 古瀬先生の姿が、一瞬、わずかににじんで見えた。

 ナオミは目をこすった。

 古瀬先生がうつむき、メガネをはずした。

 顔をあげたところを見て、ナオミは思わず目をしばたたいた。

 古瀬先生はこんなにハンサムだったろうか。

 違う、これは別人だ。

 けれど、よくよく目をこらすと、そこに立っているのはやはり古瀬先生で、ナオミは混乱した。

 まるでそう、だまし絵を見ているように、二人の人物が重なりあい、見る時々で入れ替わる。

「失礼。エネルギーが少々不足しているらしい」

 古瀬先生がそう詫びた声はやはり、それまでとまるで違って響いた。

「あなたは……?」

「僕はVOICEの人間だ。アウディ・サライの代理人として何度か時空管理局にも足を運んだことがあるが、覚えているかな」

 不安定だった古瀬先生の印象が、しだいにひとつの形にまとまってくる。

 いつもの古瀬先生とはまるで違う、自信に満ち溢れた男の人の姿。

 涼やかな目元の印象は、こころと似ている。

 ああ、この人だ、と、ナオミは思った。

 双葉先生があの日記の中に書き記した人は。双葉先生が未来に残してきたもう一人の大切な人。

 若草先生が、どこか怯えた表情になった。

「フリギドゥス・プラーナ、あなたがなぜここに……」

「VOICEの特殊技術を使って、彼の身体をしばらく拝借した。むろん、本人の同意のもとでね。この場所は長らくVOICEが利用してきた。双葉さんも古瀬さんも、この時代の協力者で、この場所に意図せぬ人間が近づかないよう管理してもらっていた」

 若草先生は戸惑ったように言葉を探していたが、やがて言った。

「生徒から感情エネルギーを奪い取ったのも、VOICEの計画のひとつだというの? VOICEが何をしようとしていたとしても、この時代の人間の人生に介入する権利はないはずよ」

「その件の全責任は僕にある。二人で話をさせてほしい」

 不正な行為を問い詰めているのは若草先生のほうなのに、非を認めたはずの悟のほうが堂々として見えたのはなぜだろう。

 二人の姿がふいに縮んだ。

 花畑がぐんと広がったように見え、気がつくとナオミは、こころと双葉先生と三人で取り残されていた。

「こころ、さん……」

 ナオミは不安になって尋ねた。

「大丈夫、姿が見えなくなっただけ。あの二人も近くにいるわ」

 こころが静かに言った。

「私は……自分の意志でエネルギーを集めていたのに」

 双葉先生がつぶやいた。

「責められるのは私なのに」

「いいえ絆、あなたは何も悪くない。あなたがエネルギーを集め始めたのは、もとはといえば兄さんのことが始まりでしょう」

こころはぽつりぽつりと、それまでのことを話し始めた。

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