第21話 審判
双葉先生の研究日、ナオミはまた史学研修室を訪れた。
双葉先生へ感じていたもやもやが晴れたわけではないけれど、やはりあのノートの続きが気になっていたのだ。
研究日ならば、先生と鉢合わせして気まずい思いをすることもない。
隠し場所からカギをとりだして中に入り、デスクの上にお弁当とノートを広げる。
間が空いたせいで、どこまで読んだのか忘れてしまっていた。
そうだ、未来の言葉が分かるように施術を受けて、尋問を受けにいくところだ。
『私たちは、こころのいた部屋を後にして――どうやって出たのかよく分からなかった――細い通路を延々と歩いた。
通路は薄暗く、床や壁全体がほんのりと光っているせいか、どこにも影が落ちず、夢の中を歩いているような気分になる。
私は歩いた道を記憶しようとしたけれど、とても覚えていられなかった。
右に折れたり左に折れたり、長いカーブを歩いたり。
通路はわずかに傾斜していて、少しずつ登っているようだった。
左右の壁には、ところどころに文字が書かれていた。
ドアらしきものは見当たらなかったが、たぶん『ユニット』の入口だったのだろう。
この世界の言葉で、『保管庫』、『処理室』、『使用中』、『第三十一広場』などと書いてある。
それから、私の知っている概念に合わないのか、なにを意味しているのだか分からない、『陽光・補食・整体』、『メンタル記録係』、『属人有限エリア』、『無人宇宙』などというのもあったし、漢字で『東雲』『白鶴』『立葵』などと書かれているものもあった。
途中、何人か歩いている人に出くわした。
みんな、サルースを目にすると、脇にどいて一礼した。
サルースは、ここでは偉い人らしく、鷹揚にうなずき返すだけだった。
しまいに『予約』と書かれた文字の下にやってきた。
と思ったのもつかのま、私たちはどうやってか、円筒形の部屋の中央に立っていた。
部屋の床は廊下と同じようにぼんやりと光っており、天井からの照明はなく、相変わらず薄暗かった。
私とサルースの立つ位置は一段低くなっており、部屋の周囲に立っている人々の姿がぼんやりと、石像か何かのように見えてきた。
まるで神殿のようだった。
サルースと同様、『神の色』の服を身にまとった男女に見下ろされた私は、見知らぬ神々に裁かれようとしている異教徒の罪人の心持ちで立ちすくんでいた。
それぞれの頭上には、どういう仕掛けなのか、光る文字が浮いていた。
カタール・アバロン。
アウディ・サライ。
エレモア・ティアス。
外国人のような名前だが、みんな日本人といっても差し支えない風貌だった。
フリギドゥス・プラーナ
と書かれた文字の下に、こころのお兄さんが立っていた。
私は少しだけほっとしたが、神秘的な色の服を着て、端正な顔立ちを、床からのぼんやりとした白光に照らし出されたお兄さんは、やはりどこかこの世のものではないようで、近づきがたかった。
みんなから一段低いところ、私とサルースのそばに、ショートヘアの女性が立ってていた。
「フタバ・キズナ」
女性が、読みあげるように言った。
「私はリナ・ハーバルと言います。質問に答えてもらえますか」
「……はい」
「あなたは、アニマ・プラーナ、またの名を『こころ』と呼ばれる女の子の友達ですね」
「はい」
「あなたはここに来る前に、アニマと話をしていましたね」
「はい」
リナは、淡々と事実を確認していった。
私は聞かれたことに「はい」と、ごくたまに「いいえ」と答えるだけだったけれど、恐怖と緊張とで、膝がガクガク震えていた。
しばらくすると、リナはいくつか質問を交え始めたが、そこで私は、記憶がすっかりあやふやになっていることに気づいた。
たとえば、さくらがなぜ私に黙って地下室へ降りていったのか。
牢獄にいたこころが、どうやって私の前から消えたのかさえ、はっきりと説明できなかった。
すべてが夢で見た出来事か、幼い頃の記憶のようにぼんやりとしていて、断片的でつながっていなかった。
やっぱりあれは夢だったのではないか。いや、今まさに私は夢を見ているのではないか。
そんな風に思っていると、リナが私に背を向けて、皆のほうを見渡した。
「この子が嘘をついている様子はありません」
髭を生やした男性――カタール・アバロンが、苛立ったようにつぶやいた。
「こんなきな臭い話があるか。おまけに肝心なところだけ覚えていないと来ている」
カタールの言葉に、私は怖くなった。
「リナの診断に間違いがあったことはないわ。嘘や隠し事があればきっと見破る。この子は、急に見知らぬところにやって来て、混乱しているのよ」
エレモアが、助け船を出してくれたが、カタールが頭を振った。
「政府の連中に、記憶を操作されているのかもしれない」
「どうやって? やってきてから、ずっとこの基地の中にいるのよ」
「我々も、研究所の技術が今どこまで進んでいるのか全てを知っているわけではない。それに……君も例の噂は効いているだろう?」
カタールの言葉が引き金になったのか、みんなが口々に話し出した。
「最悪の状況も考慮したほうがいい」
「今の証言をサルースの記録と照合するに……」
「念には念を入れて……」
サルースの施術をもってしても、早口で飛び交う未来の言葉は、私には聞き取りにくかったが、事態があまりいい方向に向かっていないことだけはなんとなく分かった。
基地にスパイが潜り込んでいるという噂のある中、私のやってきたと同時に、切り札のこころがいなくなった、とあっては、疑われない方がおかしい。
いったいどんなことになるのか、とハラハラしていると、静かな声が響いた。
「すみません、よろしいでしょうか」
お兄さんだった。
決して大きな声でなかったが、白熱した議論の中で、落ち着いた声がかえって皆の注意を引いたようだった。
皆は静まり返り、お兄さんの次の言葉を待った。
「ひとつ、お話ししておくべきでした。アニマを逃がしたのは私です」
私は驚いた。
そんなはずがない。
こころは、お兄さんが助けてくれないからと、私に助けを求めてきたのだ。
けれど、私はそれを口に出すことができなかった。
こころがいなくなった時の記憶は、靄がかかったようにぼんやりとしていて、ならばどうやってこころが逃げたのかと言われても、答えられないのは確実だった。
「どういうことだ。なぜそんな真似を?」
カタールがお兄さんを睨みつけた。
炎のような視線を受けてもお兄さんは、微動だにしなかった。
「意図的に逃がしたわけではありません。アニマが逃げる原因を作ってしまったのは私だという意味です。実は、少し前から、アニマのいるユニットの中に、時空転送用のサブ装置を隠していました」
「なぜ、そんなことを?」
「このところ、アニマの精神状態が不安定になっていて、<逆流>が暴走するのではと危惧していたからです。いざという時には、基地に悪影響を及ぼさないよう、遠くへ転送する予定でした。フタバ・キズナが転送されてきたことで、アニマは近くに転送装置があることに気づき、逃げだしたのだと思います」
部屋の中がざわついた。
何かが違う、と思ったが、何が違うのか、やはり思いだせなかった。
カタールが、切羽詰まった声で尋ねた。
「それで? アニマはどこに行ったんだ?」
「タイムリープには、向こう側にも転送装置が必要です。それにエネルギーも大量に消費します。となると、移動先はこの時代のどこかでしょう」
「どこか?」
「場所までは特定できません。転送装置はとても小型で、こころが一緒に持ち出してしまったので。地球上の、人間の生息可能な場所であることは確かだと思われますが……」
「ふざけているのか!」
カタールは声を荒らげた。
「ふざけていません。みなさんに心配をおかけして、申し訳ないと思っています」
お兄さんは誠実な口調で言ったが、カタールは顔色を青くしたり赤くしたりしていた。
「怒らないでください、カタール。彼は反省しています」
リナがなだめたが、
「タイプFが反省などできるものか。どうせ口先だけだろう。我々に隠し事をしても、何の罪の意識も持たないのだから」
カタールは憎々しげに言い放った。
「だから、この兄妹を招き入れるのには反対だったんだ。情緒不安定な爆弾と、血の通わないロボットみたいな組み合わせを、使いこなせるなどと思うのが、そもそも間違いだ」
カタールは、まるでお兄さんが目の前にいないかのように話していた。
妹を爆弾呼ばわりされ、自分をロボットよばわりされても、当のお兄さんは、顔色一つ変えなかった。
部屋の中の人々が、ふたつの反応を見せていることに私は気づき始めていた。
お兄さんとカタールを不安げにちらちら見つめている人と、むしろ関わり合いを恐れるように、目を合わせずにいる人と。
カタールがひどいことを言っても、お兄さんは腹を立てることはない――腹を立てることはできないのだけれど、その冷静さがかえって薄気味悪く見えるのだ。
緊迫した空気の中、低い声が部屋の空気を震わした。
「過去を嘆いている暇はない。問題はこれからどうするかだ」
それまで口を開かずにいた、リーダーのアウディ・サライだった。
アウディの背後の壁はぼんやりと光っていたが、ちょうどそれが逆光のようになって、表情がよく見えなかった。
アウディの声には、音楽のような、どこか不思議な存在感があった。
「アニマの行き先を推論できる者はいるかな」
リナがアウディを見上げた。
「アニマがここを出た時、周囲のエネルギーが吸い取られて停電が起きました。停電時間とエネルギーを計算すれば、アニマの移動範囲が推定できます。移動先でも同じように、エネルギーが使われているはずです」
「いい推論だ。すぐに計算にとりかかってくれ」
「分かりました」
「場所が特定でき次第、人を送ろう。さて、誰が適任かだが……」
「アニマは私が探しに行きます」
お兄さんがすぐに言った。
「許可できないわ」
カタールの隣にいたエレモア・ティアスがかぶりを振った。
「タイプAの<逆流>を制御するには、整流役のタイプFが必要です。アニマが政府の手に渡ってしまった時のことを考えれば、タイプFを外に出すわけにはいきません」
「切り札の半分はこちらに残っているというわけだ」
カタールが、皮肉げな笑いを浮かべた。
「タイプFの感応力者など、普通なら間引かれる存在だ。この時代ではアニマの兄以外にいない。もっとも、妹と相性が悪いのか、いまだに<逆流>の制御に成功していないがね」
二人の話で、政府の人たちが、こころと、お兄さんの悟さんを、なぜ血眼になって探していたのか、私にも理解できた。
こころ一人だけではダメで、二人そろって、初めて武器になるというわけだ。
武器ーーなんとゾッとする言葉だろう。
「いずれにしろ、タイプFを政府に渡すことだけは、絶対に許してはならない。こころ以上に厳重に、閉じ込めておく必要がある」
エレモアがうなずいた。
「アニマを逃がした罰ということもあります。彼女が見つかるまで、見張りをつけるのが妥当だと思います」
なぜこの人たちがこんなひどいことを言うのか、理解できなかった。
こころを閉じこめておいただけでは飽き足らず、お兄さんまで閉じこめようとするのか。
だが、お兄さんは、あくまで冷静だった。
「他の人では、アニマを連れて帰ることはできません」
「なぜ?」
エレモアが眉をあげる。
「感応力者が近づけば、アニマはすぐに感知します。そうすれば、捕まる前に逃げてしまうでしょう」
「確かにそのとおりだ」
アウディが面白そうに頬をゆるめた。
エレモアが眉をひそめた。
「でも、彼を送り込むのは危険すぎます。タイプAとタイプFが同時に政府の手に渡ったら? あるいは、二人して政府の側に寝返ったら?」
「アニマが政府の手に寝返ることなどありえません。必ず私が連れ戻します」
お兄さんの言葉はとても誠実に聞こえたが、カタールは神経質な笑い声を上げた。
「アニマが裏切らなくても、タイプFならば裏切るかもしれない。こちらが不利だと思えば、躊躇なく我々を切り捨てるだろう。異論のある者は?」
声をあげる人は誰もいなかった。
「タイプFの嘘は誰にも検知できない。その道のプロのリナにも」
「だからこそ、アニマに感知されずに近づけるのです、僕だけが」
お兄さんの言葉にが、カタールは頭を振った。
「だとしても、裏切らないという保証がなければ……」
と、すぐそばから声がした。
「恐れ入ります。『執行者』をつければよいのでは?」
サルースだった。
握っていた手を前に差しだし、広げてみせる。
てのひらで、小さな赤い虫のようなものがうごめいていた。
いささか芝居がかった様子で、サルースがぐるりと部屋のみんなにてのひらを見せると、部屋にいた人々は、不安げな様子になって顔を見合わせた。
「みなさんも聞いたことはおありのようですね。政府がスパイに仕込む装置です。重要な情報を知る者の体内に潜み、敵に捕まった時、記憶を再生されないように、脳神経を切り刻む」
私はちぢみあがった。
リナがためらいがちに口をはさんだ。
「ですが、もし『執行者』が動きだせば……」
「さよう、飲みこんだ者は、命を失います。非人道的で、我々の流儀に反しています。だが、我々に残された時間は多くない。道を間違えれば、この基地にいる全員の命が危うい」
サルースは、部屋の中に、ぐるりと手の上のものを掲げてみせた。
「『執行者』には、二種類の利用法があります。執行者を体内に入れた者自らがスイッチを入れる。つまり、捕まった際の自死ですな。あるいは、期限をつけることができます。一週間でアニマを連れて戻るか、さもなくば、すべての記憶を失った上で死ぬか。そういう二択を迫られれば、みなさんも、彼が裏切るとは思われないでしょう」
「では、一週間で、アニマが見つけられなかった場合は?」
「その場合は、彼が一人でここに戻ってくることになるでしょうな。私が『執行者』を取り外しましょう。もっとも」
サルースは意味ありげに言葉を切ってから言った。
「この中にスパイがいるという噂もある。一週間後にはこの基地もなくなっているかもしれませんが」
カタールが直接口にしなかったスパイと言う言葉を、サルースはためらわずに口にした。
しばらく誰も言葉を発しなかった。
やがて、お兄さんが言った。
「『執行者』の使用に同意します。僕にアニマを探しに行かせてください」
サルースの差しだしたものを、お兄さんは無造作につまみあげた。
見ていた私は、自分が死刑宣告されたようにぞっとした。
お兄さんは、飲み下す時、かすかに眉をひそめたが、それだけだった。
「では決まりだ。それぞれの仕事にとりかかってくれ」
アウディが手を打ち、次の瞬間、身の毛のよだつようなことが起きた。
カタールが、そして部屋中の人々が……みんな蝋人形のようにぐにゃりと溶けおち、床の中へ消えていったのだ。』
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