第32話 修学旅行に向けて

 ガチャガチャとカギを確認する音が聞こえてきた。

 ナオミはあわててノートをしまい、準備室から飛びだした。

 警備員のおじさんが、廊下の向こうに立っていた。

「驚いた、こんな時間まで、何やってるの」

「すみません、ちょっと、その、遅くなってしまって……」

「玄関のカギ、閉めちゃうところだったよ。表はもうカギをかけたから、裏口から出ていってくれる?」

「分かりました」

「気をつけてよ」

 夜の校舎はなんだか冷え冷えとしていて、いつもと違う風に見えた。

 今、地下室へ行ったら、あのノートの中に出てきたような別の世界に行ってしまいそうな気がした。

 心を読める人たちに見張られている未来の世界。それでも、どこか心惹かれるのは、今自分のいるこの世界に、居場所がないと感じているからだろうか。

 私が未来に呼ばれたなら、あの主人公よりもうまくやれるのに、と、思う。

 この主人公は、なんだかふわふわしていて頼りない。『こころ』を連れ戻したいのか、逃がしてあげたいのか、それすらはっきりしない。

 きっと『私』には、テラみたいな『信念』がないのだ。だから周りに流されている。

 感応力者が弾圧されているなら、お兄さんの言うように、まずはVOICEの革命を成功させるしかないだろう。それから自由の身になればいいと思う。

 もっとも、お兄さんが本当に信頼できる人なのかどうか怪しい。妹が逃げだすぐらいだから、『私』の知らないところで、もっとひどいことをしていたのかもしれない。

 一階まで降りてきて、特別校舎への渡り廊下を見つめた。

 ドアに手を伸ばし、とってを回そうとしてみた。

 カギがかかっている。

 バカバカしい。私もどうかしてる。こんな創作を真に受けるなんて。

 ナオミはため息をつき、帰途についた。


 二学期の中間テストが終わると、修学旅行がある。

 如月高校では、二年生は例年、二泊三日で京都に出かけることになっていた。

 おおまかな旅程は決まっているか、どこを見学するかは生徒たちが自主的に決めることになっている。

 また檀上に立って、みんなの意見を募らなければならないと思うと、ナオミは息苦しくなってきた。

 学級委員を辞めさせてください。

 いっそのこと、先生にそうお願いしたいくらいだったが、言いだす勇気は持てずにいた。

 私はダメな子です、そう触れ回るみたいなものじゃないか。

 とうとうホームルームの時間がやってきた。

 教壇の前に立って、クラスルームを見下ろすと、胃の辺りがむかむかしてきたけれど、必死に唾を飲みこんで我慢した。

 霧島の姿がないのに気がつく。

 午前中はいたのに、どこに行ってしまったのだろう。

 連絡事項を読みあげた後、ナオミはクラスのみんなに向かって尋ねた。

「修学旅行の見学ルートについて、意見はありますか」

 相変わらず、手はまばらにしかあがらなかった。

 ナオミは端から順に、淡々と生徒を指名し、書記の榊原に黒板に書きとめてもらった。

 自分の意見は、あえて口にしなかった。

 考えないで、と、自分に言い聞かせた。

 ロボットみたいに、義務だけこなしていれば傷つかない。

 黒板には、清水寺、金閣寺・銀閣寺など、定番の観光スポットがいくつか上がったが、ナオミはまだ足りないように思った。

「来週までに、行きたいところを三つ、考えておいてください。一番、二番、三番を、それぞれ三点、二点、一点として、点数の多いところから決めたいと思います」

 ナオミはそう言って話を打ち切り、次へ進めようとした。

「あのー」

 岳が手をあげた。

「それぞれ意見を考えてきて、来週もう一度、みんなで話し合ったほうがいいんじゃないでしょうか。それだと、似たようなところがかぶってしまうかもしれないし、回るルートも考慮しないといけないし」

 うるさい、と思った。

 話し合いほど不毛なものはない。

 どうせ、どんなに意見をまとめようとしても、次から次へと反対意見が出てくるのだ。

「クラスで希望を出しても、通るとは限りません。最後には、学年全体でルートを決めるので、まずはうちのクラスの希望として、上位五つを提出すればいいと思います」

 ナオミが答えると、ひそひそと、後ろのほうの女子がささやき交わすのが見えた。

 独断専行だとか、強引だとか、また悪口を言われているのだろうか。

 だったら、あなたがとりまとめてほしい。私だってこんな役、やりたくないのに。

「じゃあ、もう少しだけ議論をしましょうか」

 双葉先生が調整に入った。

「来週のホームルームでは、班決めもあるので時間が少ししか取れません。今日話した内容をもとに、行きたいところと、その理由を考えてきてください」

 班決め。

 きゅっと胃がつぶされるような感覚があった。

 あみだくじとか、出席番号順とかならまだいい。けれど、この学校の校風からして、好きな人と自由に組んでくださいと言われる可能性が高い……

 それからの議論の間、ナオミはほとんど上の空だった。

 班のことが気になって、みんなの話す内容が頭に入ってこない。

 ようやくホームルームの終わった時は、解放された気分だった。

 教室内でまだおしゃべりしているグループを置いて、ナオミは逃げるように教室を去った。

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