第4話 イケメンってズルいよ
私が連れてこられたのは、新川透が住むマンションの一室だった。
昼飯奢るよ、要りません、を繰り返した結果、
「じゃあウチでいい? パスタぐらいなら作れるし。食べてくれる?」
と子犬のような目ですがるので断れなかった。
だからその顔は、ヤメロ……。
あなた、自分がイケメンだって分かってやってるでしょう。自分の武器は最大限利用する、侮れないな!
新川透の部屋は四階建ての三階にあった。1LDKで小奇麗だったけど、お金持ちのボンボンが住むマンションにしては普通だな、と思った。
二畳ほどのキッチンから続く12畳ほどのリビングには、端に二人掛けのダイニングテーブル。奥には汚れが目立たなそうなベージュのラグが敷いてあって、40インチぐらいの液晶テレビとこれまた二人掛けの緑色のソファ。ソファの前のガラステーブルの上には新聞が3紙にリモコンが2つ、無造作に置かれていた。
こざっぱりとした感じだが几帳面過ぎるほど片づけられている訳でもなく、何だか居心地のいい部屋だった。
要するに、庶民的と言うか……普通。
ひょっとして、お家から勘当でもされてるんだろうか。医者にならなかった訳だし。
まぁ正直なことを言うと、子犬にやられただけじゃなくて、この新川透という人にちょっと興味が沸いた、というのもある。
人は、本音を隠して他人と接する。それでも、心の奥底にある悪意はふとした拍子に滲み出るものだ。
母子家庭だった私は、優しそうな友達のお母さんが
「あの子と遊んじゃ駄目よ」
と陰で言っていたり、新聞配達所のおじさんが
「困ったらおじさんに言うんだよ」
と言いつつ舐めるような視線で私を見ていたり……とにかく、そういう「心の奥底に潜む悪意」みたいなものを感じる経験が多かった。だから何というか、そういう人の表と裏みたいなものに敏感なのだ。
最初は意地悪そうな笑みを浮かべておきながら、この人からはなぜかそういうものを一切感じない。
だけど、何を考えているのかもよくわからない。
さて、そんな新川透はと言うと、ワイシャツの袖をまくり先程から台所に立っていた。私はと言うと、ダイニングテーブルの片側に腰掛け、ボーッと彼が作業する様子を見ている。
腕の筋肉と筋の感じが結構好き。さすがテニスで鍛えられたのか、いい感じです。
実は私は腕フェチなんだよね……って、それはどうでもいいわ!
「はい、どうぞ」
私の好みの腕が目の前にやってきて、ホカホカと湯気を立てたタラコスパゲティが置かれた。
これ、市販のソースじゃないや。本当のタラコを使ってる。
偶然の一致だろうが、タラコスパゲティは私の大好物だ。
「美味しそう! いただきます!」
私は合掌をしてお辞儀をすると、フォークとスプーンを手に取り早速一口食べた。
タラコの風味とバターの塩加減が絶妙だ。
「美味しいです。お店で食べてるみたい!」
「そう、よかった。そう言えば、普段の食事はどうしてるの?」
「ご飯を炊いてますよ」
ずるずる、ふうふう。
いやマジで美味しいわ。料理スキルまであるのか……新川透、恐るべし。
「ご飯……」
「まとめて炊いて、おにぎりにして冷凍してます。お茶漬けや雑炊にすると膨れるので腹持ちがいいんですよね。掃除の仕事が夕方までのときは、おにぎりを持っていってますけど」
「え、ご飯って、ご飯だけ!?」
「鮭の切り身を焼いたりはしますよ。冷凍がきくから。お茶漬けに入れます」
「いや、それじゃ全然栄養が足りないよね」
そう言いながら新川透は……私の胸を見たような気がする。
そうですね、彼も男です。まぁそれぐらいは許しましょう。
おじさんだと気持ち悪いのにイケメンだとこっちが恥ずかしくなるのは何でだろうな。
やっぱズルいわ、この人。
「山田さんたちがおかずをくれたりするんです。後はそれで」
「料理、できないの?」
「母が生きていた頃は、定食屋の残りを持ち帰ってくれてたから、だいたいそれでしのいでたんですよね」
「……」
新川透はふう、と溜息をつくと「心配だなあ」と独り言のように呟いた。
いや、私の食生活なんてどうでもいいでしょ。
こういうところが教師のサガ、なんだろうか。
「……ご馳走様でした」
あっという間に食べ終わると、私はパンッと両手を合わせて一礼した。そのまま席を立ち、空いた皿を流し台に持っていく。ご馳走になったんだから、食器洗いぐらいはすべきだと思ったし。
「別にいいのに」
「そんな訳にはいきません。……あ、下げますね?」
新川透から皿を受け取ると、私は食器を洗い始めた。たかだか皿2枚とスプーンとフォークが2つずつだから、すぐに終わってしまう。
台所は調味料なども整然と並んでいて、普段から料理をする人だということもわかった。食器棚は私の背丈よりも大きいけど、中に入っている皿や器は全部2つずつしかなかった。だからスカスカで、ガランとしている。
彼女はいるんだろうな、きっと。まぁ、これだけの好物件だもんねー。
そうか、彼女も料理をするからいろいろ揃えてあるのかも。
あれ? じゃあ私、家に入って良かったんだろうか。後から話を聞いた彼女が嫌な気分になるんじゃないかな?
とにかくさっさと退散することにしよう。
「……で、要件は何でしょうか」
ダイニングテーブルに向い合わせに座り、新川透が食後のコーヒーを出してくれたところで、私は強めの口調で切り出した。
「食べてるときはあんなに無防備だったのに、急に構えるね」
「タラコにやられました。……って、それはいいんですよ」
「えー……」
何でそんな寂しそうな顔をするのよ。調子が狂うな。
とにかく話って何ですか、ともう一度言うと、新川透は渋々「そうだね」と言って立ち上がった。
「スマホはないって言うし……コレがいいかな。大きいし」
チェストの上にあったタブレットを持ってくる。
そして何やらちゃかちゃか操作したあと、私の目の前に差し出した。
『今日の新川センセー。
今日も白のワイシャツがすっごく素敵だったー。イケメンは脇汗とかかかないのかな? すごく不思議。
明日はお休みらしいから、今日のうちに存分に見ておこう❤❤❤』
誰かのブログのようだ。新川透が生徒に教えている様子の写真と、テンション高めの文章。
……えーと? これが何だっていうの?
「ストーカーされてるんだよね、多分。ウチの生徒に」
「はあっ!?」
私はもう一度画面を見た。写真は確かに、光野予備校の職員室でのものだ。
ウチの予備校は一階に受付があって部外者は簡単には中に入れないようになっている。私達清掃員は裏の出入り口から出入りしているし、カギは山田さんともう一人の人が保管してるから関係ないけど。
「ネットに流出……?」
「いや、ログインしないと見れなくなってるから、多分仲間内だけで見てるんだろうけどね」
「はあ……」
どうやって知ったのか……まぁ、女子生徒のタレコミだろう。
でも、だからこれが、何?
「ただね。誰がやってるのかはわからなくてね。女子だけでも200人以上いるし……」
「はあ」
「で、ここからが莉子ちゃんに頼みたいことなんだけどね」
「莉子ちゃん?」
何で急に下の名前呼びやねん。
引っ掛かりを感じて思わず呟くと、気配を察した新川透が困ったように頭を掻いた。
「あ、ごめん。君のこと知ってから心の中でそう呼んでたからさ……」
「……はぁ」
「駄目?」
「……まぁ、いいですけど」
私は新川透から見れば7歳も下だ。「仁神谷さん」と言うのも違うし、彼の生徒でもないから「仁神谷」と呼び捨てにするのも違う、と感じたのかもしれない。
高校時代も、苗字の言いにくさと名前の言いやすさから、下の名前で呼ばれることが多かった。まぁ、わからんでもないということでよしとしよう。
「でね。これをやってる子を見つけてほしいんだ。内々に」
「何で内々に、なんですか? それこそ全体ホームルームとかで注意すればいいじゃないですか」
「悪気はないと思うんだよ。それに『俺の写真を晒さないでくれ』とか全体に向けて言うの、何か恥ずかしくない? 他の先生たちの手前……」
「うーん……」
「言っただろ? 生徒はお客様。不用意に傷つけたくないんだよ」
まぁ、言ってることはわかるけどさあ……。
何か腑に落ちないんだよねぇ。
「莉子ちゃんなら、女子同士が話をしているところに遭遇することもあるんじゃないかと思ってね」
確かに、彼女らにとって掃除婦なんて全く気にしない存在だから、しょうもない噂話とかうっかり聞くこともあるけどね。
「お礼に、理数系教科は面倒みてあげるから」
「へっ!」
思わず顔を上げる。至近距離で、バチッと目が合う。はぁ、本当に整った顔をしてるな。間近で見ても肌がきれいだし。
イケメンには自己浄化作用も備わっているのだろうか。
「トイレのミネルヴァは理数系が弱い。誰かが言ってたよ」
「そ、それは……」
「俺は月曜と木曜は夕方上がりだし、夜は空いてるから」
「え……」
「莉子ちゃん、夜は働いてないよね? だからここに来れば……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
いかん、このままでは新川透のペースに巻き込まれてしまう。
私はピンと背筋を伸ばして大声を上げた。
とにかく彼から距離を取り、いつもの自分を取り戻さねば。
はい、冷静な方の莉子、スタンバイはOKかしら!?
「……何?」
新川透が拗ねたような顔をして私を見上げる。
や、ヤメロ、その目は!
「彼女さんがいるでしょう。申し訳なさすぎます!!」
違う、そっちじゃなーい!と思ったけど、後の祭り。
冷静莉子ピンは職務放棄して逃走していました。
何でこんなことを言ってしまったのか、私にもよくわからない。
自分で自分の気が知れないっすー。
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