波乱のGW(6)

 迷子の男の子を探すために、森の中に入る。散策ルートは三つに分かれていて、その中で一番奥が見えないルートを進むことにした。

 というのも、他の二つは比較的見晴らしのいい場所にあったので、この奥からでもある程度は見通すことができたからだ。

 そしてこの一番奥のルートは、自然を生かした作りなのか足場はかなり悪い。生えている草木や樹木も高いし多いしで、すぐにでも迷子になりそうな場所だった。

 そういえば男の子の名前を聞くのを忘れた、と思いながら注意深く辺りをキョロキョロと見回す。



 うーん、いないなあ……と思いながら奥へ奥へと進んでいく。

 やがて、一畳ほどだけぽっかりと空いた空間に出た。ふと何かが動いた気がして顔を向けると、黒い羽根に青いスジが入った綺麗なちょうちょが飛んでいるのが目に入った。

 ひょっとしてこれを追いかけたのかも、ともう一度辺りに視線を走らせる。


 いつの間にか、散策ルートからは逸れてしまったようだ。遠くから川のせせらぎが聞こえる。

 これはまずい……まさか、川に落ちてないよね?


 嫌な予感が脳裏をよぎった瞬間、遠くで声が聞こえた気がした。


「どこ!?」


 反射的に声を上げ、思わず走り出す。

 だけど地面は小石と呼ぶには少し大きい石がゴロゴロしていて、この木のサンダルでは無理だった。バランスを崩し、派手によろけてしまう。


「きゃっ……わーっ!!」


 咄嗟に視界に入った影が樹だと思って腕を伸ばしたけど、単に丈の長い草だった。

 のれんに腕押し状態、体重を支え切れずそのまま横回転で転がってしまう。


「わ、わ――! ちょっ、待った――!」


 叫んだところで、身体は止まらない。

 そもそも散策ルートからは完全に逸れていたここは、完全な森の中。私の体は、土の斜面を派手に転がり落ちてしまった。


 とにかく頭は守らねば、と丸くなる。そのうちズボッ、ドバッみたいな音がして、身体がどこかに落ちて止まった。不思議と痛くはなくて、何が起こったのか解らずにしばらくじっとしてみる。


 バサバサバサ、と顔に土がかかった。

 うぷっ、口の中に土が入った。何だ、ここは。落とし穴?


 ペッペッと土を吐きながらジタバタと腕を動かし、顔を出す。

 どうやら私が丸まってたから視界が土だらけだっただけで、そんなに深い穴ではなかった。せいぜい50cmほど。


 のそのそと外に出ると、目の前には小川がさらさらと流れていた。やけに薄暗いな、もう夕暮れだっけと思いながら顔を上げると、上に木の橋がかかっている。幅は1メートルぐらい、長さは……どれだけだろ? とにかく、ジャンプしてもギリギリ届かない高さ。その真下にいたせいで日陰になり、暗く感じたらしい。

 とりあえず川に落ちなくてよかった。泳げるけど、どこまで流されるか分からないもんなあ……。


 あ、財布! 良かった、ちゃんとあった……。

 エプロンの膨らみを上から手で確認して、ホッと息をつく。


 改めて、自分の身体を見回した。ビョンビョンとその場でジャンプする。

 体中泥だらけだったけど、幸いどこも怪我はしていない。昨日の夜は雨が降っていたから、滑りやすくなっていたぶん土が柔らかく、クッションになったようだ。

 神様ありがとう、と心の中で唱えながら、もう一度辺りを見回す。


 ここって珠鳳館の敷地内なのかな。それとも途中の森の中? この橋は散策ルートっぽいけど……。

 迷子の男の子を探して私が迷子になってる場合じゃないよね。どうにかして旅館に戻らないと。

 あれ、でもちょっと待って。よく考えたら、男の子も転がり落ちてここに来ちゃったんじゃ? その可能性も捨てきれない。


 どうするか迷ったけど、まずは川べりを探してみることにした。どっちみち斜面を這い上がるのは無理だし、川べりから上に行けそうな場所を探さないといけない。


 しばらく川沿いを歩いてみたけど、男の子の姿は無い。上に上がれそうな場所もなく、諦めて落下地点まで戻ってきた。反対側に向かってしばらく歩いてみる。

 あまり外れると、旅館がどっちかも分からなくなる。方向音痴だからなあ、私……。


 行けるだけ行ってみたけど、男の子の姿は見つからなかった。外での迷子じゃないことを祈りつつ、仕方なく元の場所へと向かう。

 思ったより歩いていたようで、見覚えのある落下地点に戻ってくるまでにかなり時間がかかった。これ以上動くとマズいなあと思いながら、その場にしゃがみ込む。


 どれぐらい時間が経ったんだろ。ああ、ガラケーを持ってきておけば良かった。持っているものと言えば新しい財布だけ。こんな場所じゃ使い道もないしなあ。

 どうしよう。絶対に1時間以上は経ってると思う。転がったしウロウロ歩いたしで、体感時間はグチャグチャになってるけど。みんな心配してるだろうな。


 そうだ、頭上は橋なんだよね。ここを通る人に気づいてもらうようにしないと。誰か通るから橋がある訳で、一日中誰も通らないとか、ないよね。……あるかな?


 急に、ゾッと寒気がした。思わず後ろを振り返る。

 ゴロゴロとした岩がところどころにある小川。乱立して太陽の光を半分以上遮っている背の高い樹々。

 本当にここには自分しかいない、ということをひしひしと感じる。


 誰にも見つけられない、とかあるだろうか。いやいや、勝手にウロウロ歩き回るから見つかりにくくなるわけで、最初の場所にいれば……。


 本気でちょっと怖くなってきたところで浮かんだのは、新川透の顔だった。

 そう言えば、火事のときも助けてくれたんだっけ。そう考えれば、命の恩人でもあるんだよね。あのあと何か色んなことが起こり過ぎて忘れてたけど。

 文字通り、私を救ってくれたんだよなあ。


 でも、今回は勝手が違う。前は私自身が住んでいるアパートだったけど、今は私がここにいることは、誰も知らないんだもん。


「おーい!」


 こうなったら叫ぶしかないかもしれない。遠くで声を拾ってくれるかも。


「ちょっと、新川透! 出番だよ! いないのー!?」


 あんたのストーカースキルが活かされる時だ!と半ば本気で祈りながら、思いっきり叫ぶ。

 だけど、私の声は小川と森の木々の間を遠くへとそのまま抜けていってしまった。さわさわさわ……とやけに気持ちのいい風が吹くだけ。

 はぁ、バカなことを叫んだもんだわ……。



「――いるって言ったら、褒めてくれる?」


 不意に頭上から、聞き覚えのある声が振ってくる。

 ギョッとして振り返ると……新川透が、橋の上から私を見下ろしていた。



「…………」


 一瞬、脳ミソが停止した。 

 川べりで、仲居姿の泥だらけの私。そしてその頭上の木でできた橋の上には、立ち膝で私を見下ろす新川透。

 何、このシチュエーション。何がどうしてこうなった?


「何でいるのーっ!? 怖っ!!」


 ハッと我に返って思わず叫ぶ。

 心の底から安心した。良かった、ちゃんと旅館に帰れる。そう思ったのは確かなんだけど。

 だけど、どうしても拭い去れないモヤモヤが。


 何で河口湖にいるの? いや、美沙緒ちゃんの実家の旅館に行くことは分かってたから、仮に付いてきてたとしよう。それもどうかと思うけど。

 だけど散策ルートは三つに分かれていたし、私はさらに途中で逸れてしまったし。

 でもって、誰も私が斜面を転がり落ちたことを知らないハズなのに、何でここにいるってわかったの?


「第一声がそれ? 普通『わー、助かった!』『嬉しい!』とかじゃないの?」

「現れ方がタイミング良すぎて逆に怖いの!」


 ピンチにヒーローが助けてくれる、大感激!……は、予定調和だと思い知る。

 いるはずのない人が突然現れるの、マジでビビるんですが!

 だいたい、いつから橋の上にいたの? 私を驚かせようとそーっと背後から近づいたの?

 だから、そんなサプライズは要らん!


「とにかくこっちにおいで、莉子」


 そう言って新川透が差し出したのは、右腕ではなくバスタオルとロープ。バスタオルを腰に巻き付けてその上からロープでギュッと縛ってね、と言う。

 ……準備し過ぎてて、本当に怖い……。


 そうしてプラーンとロープでぶら下げられた私は、新川透によって橋の上に引き上げられた。

 ふう、と息をついたとたん、ギュッと抱きしめられる。


「本当にもう、どうしてこう次から次へと……ウロチョロするから場所を絞り込むのに時間がかかるし。まぁ、怪我は無いと分かってホッとしたけど」

「だって、迷子が……そうだ、男の子! 男の子がどこかに……」

「大丈夫、旅館の中で見つかった。ったく、あの夫婦……」


 チッという舌打ちの音が聞こえてさらにギュウウと抱きしめられる。

 ちょっ、苦しい、タップタップ!

 ……と肩を叩こうとして、気づいた。何か高そうなスーツ着てる! 森の中で! どういうこと!?


「ちょ、私、泥だらけ、スーツが汚れる!」

「どうでもいいでしょ、そんなことは」


 そのままグイッと立ち上がり私も立ち上がらせると、ひょいっと肩に担ぎあげてしまった。そしてスタスタと歩き始める。


「ちょーっ!」

「暴れないで。今日はもう離さないから」

「そんな殺し文句を言ってる場合じゃなくて! 不可解なことが多すぎて怖い!」

「あのバカ夫婦が、莉子が外で迷子を探していることをちゃんと伝えてくれてたら、こんなことにはならなかったんだ」

「はい?」


 どうやら今は、あの私に駆け寄ってきた若夫婦への怒りが収まらないらしい。時系列はさっぱりだけど、とにかく黙って新川透の話を聞くことにした。

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