波乱のGW(5)
老舗旅館の跡取り息子、肇さんの周りには、未来の女将狙いの綺麗な女性が言い寄ってくることが多かった。
そういう女性は、肇さんそのものより『珠鳳館』という家柄、旅館の若女将という華やかなポジション、そして当然お金持ちである、ということを重視することが多く、肇さんとしては辟易していたらしい。
そんな彼がある日気に留めたのは、病の父を抱えて懸命に働く一人の女性。珠鳳館の仲居だった。
「この女性は本当に優しくて辛抱強い良い人で、入院代を稼ぐために必死に働いていました。兄はこの方に憧れていたのですが、結局想いを伝えることは無く……」
入院していた父親が亡くなり独りになった彼女は、やがてそんな彼女を励ましてくれた若い板前と恋仲になった。結婚して二人でふもとの町で小料理屋をやります、と言い、珠鳳館を去っていったという。
このときどうして自分が励まさなかったのだろうと後悔した肇さんは、苦労している人を見るとたまらず声をかけるようになった、のだが。
「いやそれ、ヤバくない?」
「詐欺に遭いそうだよー」
「そうなんです」
恵とコバさんの言葉にふうう、と深い溜息をつく美沙緒ちゃんの眉間には、深い皺が刻まれていた。
「それ以降は本当に駄目ですね。彼女が困っているから、とお金を用意しようとしたり、女性からお腹の子の父親だと言われて慰謝料を請求されたり……」
それらはすべて嘘で塗り固められたもので、肇さんを心配した女将さんが調べて悪事を露呈し、被害を最小限に食い止めているという。
「そういう訳ですから、私が友人として連れてきた人が悪い人間のはずがない、と思っていますし……まぁ実際そうですし、今度こそ、というような気持ちが出たのだと思うのですが」
「いやいやいや! 困るんだけど!」
何のスイッチを押しちゃったんだ、私! 新川透も大概ヘンだけど、肇さんもだいぶんヘンだね。こじらせてるなぁ、おい!
「私、今は援助してもらってて恵まれすぎてるぐらいだし、第一、かっ……彼氏がいるし!」
「莉子、いつになったらそこサラッと言えるようになるの?」
「難しいんだよ、相手が相手だから!」
「もう莉子ちゃん、私の邪魔をしないでよぉ!」
「ごめんコバさん、そんなつもりじゃ……」
「――いえ、謝るのはこちらです!」
私たちが押し問答し始めたところで、美沙緒ちゃんがビシッと間に入る。
やっぱり実家にいる美沙緒ちゃんは、どこか逞しいというか頼りがいがある。
「そもそも兄が悪いのです。『旅館の跡取り息子』という吊り書きだけで寄ってくる女性は嫌だ、と言っているくせに、自分は相手の生い立ちだの境遇だのだけで判断してるんですから」
「……確かに」
もっともな事を言うなあ、美沙緒ちゃん。だけど思い込みの激しさは、似た者兄妹かも、とも思う。
「兄には莉子さんに恋人がいることも、現在はとても幸せに過ごしてらっしゃることもちゃんと伝えます」
「ついでに、私はお兄さん自身に興味があることも伝えてほしいな」
「承知しました、コバさん」
力強く頷くと、美沙緒ちゃんがくるりと私の方に向き直る。
「引き留めてしまったばかりか面倒なことに巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「いや、私の方が居残ったんだし」
「この際こちらの手が空き次第、帰って頂いた方がよいかもしれません」
「え、でも……」
「それも、何だか心苦しいのですが……何しろ、私もちょっと兄を測りきれないところがありますので……っ」
美沙緒ちゃんが拳を握りしめフルフルしている。
そういや、最初は私のストーカーをした美沙緒ちゃん。その兄の肇さん、かあ。
どうしよう、何だか変なことになってきたなあ、と思わず溜息が漏れた。
* * *
女将さんの具合がよくなったら夜の列車で帰ろうと思ったけれど、あいにくまだ起き上がれる状態ではなかった。
ただ、一晩経てばよくなることもあるだろうし、とりあえず明日、5日までいることにした。
新川透には、恵から連絡してもらった。私が電話をかけるべきだったのかもしれないけど……気まずい感じで別れちゃったし、電話じゃ表情が読めないから何だか怖い。
話すならちゃんと顔を見て話したいからと言っていた、と伝えてもらった。
5日になったけど、女将さんは熱が下がったものの眩暈が収まらず、旅館で立ち回れる状態じゃなかった。大事を取って今日まで休むことになり、私はトイレ掃除の他、チェックアウト後の客室の掃除も手伝った。
ゴールデンウィークは、明日6日で終わり。そして今日5日は、新川透の誕生日。
どうしても今日中に横浜に帰りたいから、夜5時には河口湖を出ないと、とは思っている。
* * *
「ふう……」
時刻は午後2時半。日本庭園に面した、片側全面ガラス張りの廊下。一部開いている窓からいい風が吹いているなあ、と思いながら歩く。
ふと、廊下にかけられた絵が曲がっていることに気づいて背伸びをしていると、さっと影ができる。ぬっと突き出た大きな手が、額縁を真っすぐに直してくれた。
ありがとうございます、とお辞儀をしたところ、足元は足袋と草履。
これは……と思いつつ顔を上げると、肇さんだった。
うーん、ちょっとマズい。早々にこの場を離れよう。
「えーと、それじゃ……」
「あの、莉子さん」
うわー、呼び止められた! ……けど、無視する訳にもいかないよね。
くるりと振り返り、とりあえず笑顔。
「はい?」
「美沙緒に聞きました……が」
「……はい」
「――今、幸せですか?」
かこーん……と、開け放した窓から鹿威しの音が聞こえる。
いったい、何のドラマのワンシーンだ? この人、シチュエーションに酔ってるだけじゃない?
まぁ何はともあれ、ここはキッパリ断言して肇さんの妄想を止めた方がいいんだろうなあ。
「はい。良い人に出会って、救われました」
「良い人……」
「あ、実のところはどうかは分からないんですけど!」
何しろ手段を選ばないからなあ新川透って、とふと思い、思わず口が滑る。
適当に素敵な人とか並べればいいのにバカ正直だな、自分。だけど、そういう嘘はつきたくない。
「うーんと。救われたといってもお金を出してくれたとか、そういう物理的なことじゃなくて」
「……」
「それも無い訳じゃないですけど……何て言うんですかね、精神的に救われたというか。私、自分のことは自分でやりたい、という意思が強くて」
「自分のことは自分で、ですか」
「はい。でもその割に、できないこともすごく多いんですけど」
そう言えば生け花とかド下手なところを見られちゃってたっけ、これじゃ説得力ないな、と思いながら苦笑する。
「そういうの、全部わかってくれてて。私のことを大事にしてくれて、いつも私を優先するので、ついつい甘えちゃってたんですけど……でも、やっぱりそれじゃ駄目だな、と思ったり」
「……」
「いろんな意味で、ちょっと他にはいないな、と」
「好きなんですね」
「えっ! えっと……」
えーい、ここで躊躇ったら駄目だ!
久々登場、プチ莉子ズが太鼓と笛を鳴らしながら「ガンバレ、ガンバレ♪」と列をなしている。
そうだよね、肇さんの思い込みをぶっ壊さないと!
「はい、大好きです、ね。えへへ」
ぐはーっ! 何で私がこんな照れ臭いことを言う羽目になってるんだろう! 何の罰ゲームだ!
でも、本人に言うよりは百倍マシ!
ぐわわーっと顔が赤くなるのが分かる。これ以上この場にはいられない、私は役目を全うしたよ!……と心の中で叫び、
「そ、それじゃ!」
と早足でその場を去った。
本当は走りたい気持ちでいっぱいだったんだけど、仲居が旅館の廊下を走る訳には……っ!
このぉ、こじらせ男子は、本当にめんどくさいね!
肇さんも……新川透もね!
* * *
「頑張った! 私、頑張ったからね!」
15分ほど休憩してください、と美沙緒ちゃんに言われたので、離れに急いで戻ってきた。そこには恵とコバさんもいて、ペットボトルの紅茶を飲みながらグテーッとしている。
「いきなり、何?」
「肇さんに、はっきり彼氏がいるって言ったからね!」
「わ、ありがと、莉子ちゃん! だけど、どうしてそんなに真っ赤になってるの?」
「そこは聞かないで!」
あああ、エネルギー使った! もう駄目! 喉が渇いた!
ここには熱いお茶かお水しかない。
私も甘い紅茶が飲みたい……体が糖分を欲している!
「それ、どこで買ってきたの?」
「自販機。玄関から外に出て駐車場に入るところにあったかな。森と反対側」
「ふうん、そっか。……ついでにちょっと散歩してくる。15分ぐらいは休憩していいって言ってたし」
何だか森林浴をしたい気分。樹でも見て落ち着こう……。
鞄から買ってもらったばかりの財布を取り出し、エプロンのポッケに入れる。ガラケーはどうしようか迷ったけど、邪魔になるしまぁ15分ぐらいなら体感時間でどうにかなるか、と鞄の中に戻した。
「じゃあね」
「はーい」
二人に見送られ、離れを出る。母屋を出て旅館内に入り、玄関に向かった。
クセで自分のスニーカーを探したけど、そう言えば片付けられているんだったと思い直す。
それに仲居さんの恰好をしているんだし、と、歩くとカコンカコン鳴るサンダルのようなものを履いて外に出た。
森と反対だったよね、と駐車場の方に向かって歩きながらキョロキョロと辺りを見回すと、困った顔で辺りを見回している若い夫婦を見かけた。私の姿を見つけ、ダダダッとすごい勢いで駆け寄ってくる。
「あの、すみません。小さい男の子を見ませんでしたか?」
「男の子?」
「はい。赤い野球帽をかぶってて、白い半そでポロシャツに青い半ズボンを穿いた子なんですけど」
「チェックインの時間を確認するためにロビーに行ったんですが、目を離した隙に姿が見えなくなってしまって」
「先に外に出たかとも思ったんですが」
「小学1年生です!」
夫婦はオロオロとしながらも矢継ぎ早に私に話しかける。
困ったな、私は旅館の人じゃ……って、今は旅館の人か。
駐車場の反対側は森になっていて、散策ルートみたいなものもある。ヒラヒラと蝶が飛んでたりするから、うっかり追いかけてしまったのかもしれない。
だけどロビーまで一緒だったんなら、旅館の中で迷子になってる可能性もあるよね。
「あの、じゃあ私が外を探してみますから、中の受付に行って、旅館の中も探してもらってください。かなり広いので、中で迷子になっ……」
「わかりました!」
「ありがとうございます!」
若夫婦は私が言い終わらないうちにババッとお辞儀をし、すごい勢いで玄関へと走っていった。
うーん、そそっかしい夫婦みたいだな。でもそんな呑気なことを言ってる場合じゃない。早く探さないと!
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