波乱のGW(4)

 5月4日、朝。お昼の12時には横浜に着けるように、私は9時少し前の列車に乗らなければならない。恵とコバさんは、美沙緒ちゃんと一緒に河口湖周辺を観光してから昼過ぎの列車で帰る予定だった。

 私達三人は朝6時に起きて布団を畳み、荷造りをした。

 旅行って不思議だよね。持ってきたものを持ち帰るだけのはずなのに、帰りの荷造りは何だかパンパンになって入れにくい。


 ギュッギュッと奥に入れていると、カツンと何かが右手の中指の爪に当たった。

 これ何だっけ、と思いながら掴んでみると、硬い四角い箱。

 そうだ、新川透の誕生日プレゼント。4日に戻るけど、万が一マンションに取りに帰る暇がなかったら困る、と入れておいたんだった。

 そーっとそのまま手を離し、奥へぎゅうぎゅうと押し込む。

 

 すっかり荷造りが終わったけど、いつもなら6時半には

「朝食ですよー」

と華やかな笑顔で現れるはずの美沙緒ちゃんが来ない。


 どうしたんだろうね、でも勝手に母屋に行ったらマズいよね、と三人で話をしていると、パタパタという足音が聞こえ、着物姿の美沙緒ちゃんが現れた。


「ご、ごめんなさい……」

「どうしたの? 何かあったの?」


 美沙緒ちゃんは旅館のお手伝いをする訳じゃないので、普段は普通の格好をしている。昨日は一緒に着物を着たけど、髪は自分で適当にまとめて毛先も無造作なまま、無骨なピンで止めているだけだった。

 だけど今朝の美沙緒ちゃんは、編み込みを入れながらゆるく後ろで丸くまとめていて、可愛らしい小菊のピンまで差している。

 どこからどう見ても美人若女将、という雰囲気。


「実は、母が倒れてしまって……」

「ええっ!?」

「あ、いえ、重病ではないんです」


 畳に膝をついた美沙緒ちゃんが慌てて右手を振る。


「ちょっと疲れが出たみたいで熱を出してしまって……」

「それで、美沙緒ちゃんはその格好なの?」

「はい。とりあえずお客様の朝食のお世話までは母も頑張ったのですが、私もいることだし休んだほうがいいだろう、と。お客様へのご挨拶などは代わりにできますし、職人との打ち合わせ等はスケジュールを把握している兄が行います」

「だけど、女将さんって他にもいろいろ仕事してたよね……?」

「お花とか、掃除とか」


 女将の仕事は把握していても、実際に働いたことのない美沙緒ちゃんが全部をやり遂げるのは想像を絶するぐらい大変だ。当然ベテランの仲居さんが補佐についたりするんだろう。

 そうなると必然的にあちこちで人手不足になるのでは。いつもと違うシフトになって、連絡も立ち行かなくなるかもしれない。

 パチパチパチッと私達三人の目が合った。自然と同時に頷く。


「美沙緒ちゃん、手伝うよ、私達」

「うん。ここにせっかく人員がいるんだし」

「ね、私が花を生けるから!」


 私と恵が声をかけた後、コバさんが自分を指差す。


「ですが……」

「勿論、お客様に出すレベルまでは無理だけど。美沙緒ちゃんが最後ちょっと手直ししてくれればどうにかならないかな? 一から生けるより早いよね?」

「そうですね、それなら……」

「私はコバの補佐とか箸置き作りとか、作業的なことや連絡係をやるよ。掃除は莉子に任せればいいし」

「え?」


 美沙緒ちゃんが不思議そうな顔で私を見る。

 そうだよね、昨日はポンコツなところしか見てないもんね。


「私、プロの清掃員として一年半働いてたの。任せて」

「そうなんですか?」

「特にトイレは私のテリトリーだったから、自信ある」


 女将さんのようにおもてなしの気持ちでやっていた訳じゃない。ただ綺麗にしていただけだけど、それでも素人よりはちゃんとできると思う。


「ですが、莉子さんは今朝帰る予定だったのでは……」

「そうだけど、非常事態だし。大丈夫だから」

「でも……」


 美沙緒ちゃんがひどく気まずそうな顔をしている。

 あ、そうか。前の『大丈夫』で結局ケンカになっちゃったことを知ってるから、心配なんだ。

 私の配慮不足がこんなところまで影響している。


「大丈夫。新川センセーは、こういう理由なら怒ったりしない」

「え?」

「それは、絶対に」


 これについては妙に自信があった。

 自信というより……信頼している、というか。


「うん、そうだねー。私もそう思うよ、美沙緒ちゃん」

「確かに新川センセーはそうだね」


 コバさんと恵も援護してくれたことで、美沙緒ちゃんも納得できたようだ。少しだけホッとしたような顔をする。


「じゃあ、お願いできますか?」

「OK! 恵、スマホから新川センセーに連絡入れてくれる? 私ガラケーしか無くて……」

「わかった、ショートしか送れないもんね。それに私からの方が、変な誤解を生まずに済むかも」


 そう言いながら、恵はさっそくスマホを取り出して操作し始めた。


「さ、美沙緒ちゃん。頑張って乗り切ろう!」


 私の言葉に、美沙緒ちゃんは「はい!」と元気よく頷いた。



   * * *



 私達三人は、昨日とは違い二部式着物に着替えた。桃色の上着とスカートに分かれていて、紺色の『珠鳳館』と印字されたエプロンを身につける。旅館の仲居さん達がしている格好だ。

 館内をうろつくことになるのだから、普段着でお手伝いする訳にはいかない。


 まずは宴会場の近くのトイレに行く。昨日の夜まで女将さんがきちんとチェックしていたのかそんなに汚れてはいなかったけど、お客さんが使用した形跡はある。

 ちょっと前までは毎日こうして便器を磨いていたっけな、と思いながら手だけは素早く動かす。


「本当に手馴れてるんですね」


 不意に涼やかな声が飛んできて振り返ると、肇さんだった。どうやら美沙緒ちゃんから事情を聞いて様子を見に来たらしい。

 そうだよね。旅館の若旦那なら、学校のトイレ掃除感覚で手伝われても困る、ちゃんとできてるんだろうか、と心配になるよね。究極の客商売だもん、旅館って。


「れっきとした仕事としてやってましたから」


 微笑みながら手だけは忙しなく動かす。何となく、体が覚えている。


「仕事……?」

「生活費と大学の学費を稼ぐために、高校を辞めて掃除婦として働いていたんです。一年半ほど」

「えっ?」

「今は親切な人との出会いもあって、大学生活だけに打ち込めるようになったんですけど。でも、私の中では誇りというか、ちゃんと働いてたなって自負があって」


 余計なことまで喋っちゃった気もするけど、ここまで言えば信頼してもらえるでしょ。

 作業の手を止め、肇さんに向き直る。


「だけど、女将さんのようにおもてなしの気持ちは無かったです。だから、教わったようにできるだけ頑張ってみますけど、後で必ずチェックしてくださいね」


 どうか信じてほしい、と気持ちを込めながらしっかりと肇さんを見つめて微笑むと、肇さんがぽかんと口を開けた。そのままジーッと私を見つめている。

 あれ? 真剣に仕事の信憑性をアピールしたつもりだったのにな。はずした?


 そのとき、仲居さんが肇さんを呼ぶ声が聞こえてきた。ハッと我に返った肇さんはいつもの無表情に戻ると、

「じゃあ、また後で」

とだけ言い、足早に去っていった。


 何だったんだ、いったい……。そんなに変なこと言ったかな?



   * * *



 午前のお客様のチェックアウトの時間が過ぎて、ロビーがやや閑散とする。

 その頃を見計らって今度はロビー横のトイレの清掃。

 コバさんはお花を活けていて、美沙緒ちゃんか肇さんのOKが出たら部屋に飾りに行っている。

 恵はというと、お花の運搬を手伝ったり、箸置きを折ったり、頼まれて誰かに品物を届けたりとあちらこちら動いているようだ。

 そんなこんなで、私達が一応昼休憩らしきものを取れたのは、午後2時を過ぎてからだった。


「ねぇ、莉子ちゃん。肇さんと何かあったぁ?」


 コバさんが賄いのうどんをちまちまと食べながら、不服そうな顔をしている。


「何も? トイレ清掃の確認をしてもらったぐらいかな」

「何かさ、私達がどういう繋がりなのかって聞かれたんだけどさ。よくよく聞いてみると、どうも莉子ちゃんのことを聞きたがってるみたいなんだよねー」

「あー……」


 ひょっとして私の話が信じられなくて、裏を取りに行ったのかな。

 思い当たって思わず声を上げると、コバさんが「ねぇ、何があったの?」と急に身を乗り出してきた。


「何で私に聞くんだろって思ってさあ」

「そりゃコバが肇さんに話しかけるからでしょ」


 ズズーッと豪快にうどんを啜っていた恵が呆れたような声を出す。


「私はあちこち走り回ってたし、母屋に長くいたの、あんたしかいないんだから。積極的に話しかけるのもコバぐらいだろうし」

「そうだけどぉ」

「ごめんね、コバさん。多分私が、自分の事情を喋っちゃったからじゃないかな」


 ちゃんと仕事としてやってました、信じて!と強めに訴えたのが仇になったかな。トイレチェックでOKさえ出ればいいんだから、余計なことは言わない方がよかったかも。美沙緒の友人にそんな怪しい素性の人間は、とか思われたかもしれない。


「掃除がちゃんとできるのか疑われたかな、と思ってさ。高校を辞めて生活費と大学資金稼ぐために一年半掃除婦として働いてましたって言ったの。生きていくために仕事としてやってました、だからいい加減な気持ちじゃないですって言いたかったんだけど、ひょっとして逆に怪しまれちゃったかな。何か肇さん、呆気にとられたような顔をしてたし」

「そうなんだ。でもそれ、別に怪しくは無いよね?」

「私はそう思うけど、こういうちゃんとした家の人にとっては……」

「――いえ」


 それまで黙って聞いていた美沙緒ちゃんが、ピシッと箸を置き低い声を出す。全員がビクッとして一斉に美沙緒ちゃんの方を見た。


「え、何? ヤバかった?」

「いえ、そうではなく……兄の悪い癖が出たな、と」

「悪い癖?」


 それって素性で人を差別しちゃうってことかなー、と思ったら。


「兄は、身寄りのない人とか苦労している人とか、そういう背景を持つ女性に惚れっぽいんです」

「「「はあ?」」」

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