第8話 水面下で計画進行中……

 玲香さんと恵と私の三人による謎の作戦会議は、かなりの盛り上がりを見せた。

 正直に言えば、まだ私は行くとは決めていない。だけどこのまま押し切られてしまうかもなー。

 まぁそうなったとしても、理由についてはこの際、置いておけばいいのだ。楽しい文化祭を見に行く、ぐらいのテンションでいればいいに違いない。


 翌日、新川透の個別補習があったけど、当然この話はできなかった。

 表に出ること……ましてや昔のクラスメイトに会う可能性のあるこの行動に出ることに絶対に疑問を持つと思ったし、玲香さんのことも話せないからだ。

 そういえば結局、中高時代の新川透の話しか聞けなかったな。玲香さんは東京の大学に行ったらしいから、それ以降は知らないのかもしれない。



“莉子。今日の補習だけど、時間を早めて6時からに変更できる?”


 そして月曜日。掃除婦の仕事を終えてちょうどアパートに戻ってきたとき、新川透から電話があった。

 パッと時計を見ると、5時40分だった。新川透の息がちょっと上がっている。慌てて予備校を出てきたようだ。


「いいけど……」

“じゃあ、今からすぐに迎えに行くから”


 急いでいるらしく、何で?と聞く前にプツンと電話が切れてしまう。

 いつもは7時から9時でやっている個別補習。これは、5時半上がりの新川透がいろいろ準備をして余裕を持って始められる時間がこの時間だったから。


 私は5時半にはアパートに戻っているので何も問題はないけど……どうして時間を早める必要があるんだろう?

 首を傾げながらもすぐにアパートを出てコンビニに向かう。私が着いたのと同時に白いレクサスがキキッと駐車場に入ってきた。時間もないので、さっさと助手席に乗り込む。


「ねぇ、別に構わないんだけど、どうして早めるの?」


 車が走り出してしばらくしてから、とりあえず疑問をぶつけてみる。新川透はハンドルを握って前を見たまま、

「ちょっと、9時から面談が入ってね。予備校に戻りたいから」

と答えた。


「そんな遅く……」

「そこしか時間が合わなくてね」

「わざわざ往復するの、面倒じゃない? ナシにしてもよかったのに……」

「先週ナシにしてしまったから、それは嫌だ。莉子、何回言わせるの?」


 珍しく、新川透がちょっとイラッとしたような声を上げた。ビクッとして横を向くと、運転中の新川透がこっちをじっと見下ろしていた。怒っているというよりは拗ねているような感じだ。


「俺はね、週2と言わず……」

「ちょっと前! 前を見てー!」


 目の前の信号が赤に変わる。新川透は「おっと」と言いながらブレーキを踏んだ。

 やめてください。私のせいで交通事故とか、冗談じゃないです。

 運転中は穏便な返事をするようにしよう……と言っても、何に気をつければいいのかイマイチわからないんだけど。


 そういえば確かに、先週は急に取りやめになったんだよね。

 そして今日も面談があるという……それはきっと、この月曜日じゃないと駄目なんだろう。


 いったい何があるの?


 ……と言おうとして、言葉を飲み込んだ。

 もし新川透が独自に調査しているとしたら……小林梨花は月曜日の夜に予備校に来てるんじゃないかな?

 そしてそれを、私に知られたくないんじゃないの?


「莉子、着いたよ」

「あ……」 


 考え込んでいる間に、いつの間にかマンションの駐車場についていた。降りなきゃ、とドアの取っ手に手をかけようとして……その手を止められる。

 え、と思って振り返ると、すぐそばに新川透の顔があった。しかも、かなり真剣な顔だった。

 いつもの全力フェロモンでもなく、からかうような笑顔でもなく、本当に真面目な顔。じっと、私を見据えている。

 え、ちょ、ちょっと近いな! しかも何だか様子が変だ。


「な、何?」

「どうしようかずっと迷ってたんだけど、やっぱりちゃんと伝えた方がいいように思う」

「何を? 個別補習のこと? 私の仕事のこと? それとも……」

「ちょっと黙って」

「っ!」


 何なんだー、何なんだよー。

 怖いよ、何か! 何を聞かされんの?


「俺はね、ちゃんと……」

『チャラララー! チャララララー! チャラララララー!』


 新川透が真面目な顔で何か言いかけた途端、私のガラケーが派手な音楽を奏で出した。

 これ、玲香さんからの電話だ。ヤバい、文化祭の話かも。

 私は「ちょっと出るね」と言って車から降りた。会話を聞かれる訳にはいかない。

 歩きながらガラケーを取り出し、耳にあてる。


「もしもし?」

“莉子ちゃん? 今大丈夫?”

「ごめんなさい、今、会ってて」


 誰と、と言わなくても玲香さんには通じるだろう。

 案の定、玲香さんは

“あ……”

とすぐに察したようだった。


「補習の時間が早まっちゃって。後でもいいですか?」

“うん、わかった。お邪魔だったわね、ふふふ”


 玲香さんは楽しそうに笑うと、私の反論を待たずにプチッと電話を切ってしまった。

 だーかーらー、そんなんじゃないって言ってるのにー!

 それにしても、玲香さんから見ると今の新川透はそんなに信じられないぐらい変化してるってことなのかなあ。


 溜め息をつきながらガラケーを鞄にしまう。ふと周りを見回すと、マンションの入り口だった。早く離れないと、と思うあまりだいぶん早足で歩いていたようだ。

 しまった、さすがに勝手すぎたか……と思い振り返ると、新川透も車から降りてこっちに向かっていた。


「ごめんなさい、勝手に……」

「それはいいけど、誰から?」

「桜木社長。前に、掃除のシフトの話をしてたから」


 一週間前の話だけどねー、と思いながら、咄嗟に嘘をつく。 

 ごめんね。まだ話せないんだもん、玲香さんのことは。

 二人並んで歩き、エレベーターに乗る。


「ああ、どうするか決めたの?」

「とりあえず12月20日までは今のシフトにして、それ以降は月曜日から金曜日の午前だけってお願いしてみたんだ」

「ふうん……」


 あっという間に三階に着く。外で話し込むのも何だと思ったのか、部屋に入るまで新川透は無言だった。

 鍵を開けとりあえず中に入ったあと、「で、それはOKになったの?」と聞いてくる。


「うん。受験の前後はお休みを貰うけどね」

「いつまで続けるんだ?」

「とりあえず3月20日までって言ったけど……」

「えっ!」


 何となくそれまで賛成している風だった新川透が、急に大声を出した。

 見上げると、信じられない、というような顔をしてこっちを見ている。

 いや、そんなに驚くこと? だって大学は4月からなんだから、3月まで働いたって何の問題もないじゃない。


「3月20日!? 何で!?」

「さくらライフサポートは20日締めだから……」

「そうじゃなくて! 3月3日はどうするつもりなんだ!? 平日だぞ!?」

「じゃあ、仕事……」

「そんな訳にいくかー!」


 急に頭を抱えて苦しみ始める。おーまいがー!という感じ。

 何に激昂しているのか、さっぱりわからん。

 

 「はあ?」とボヤきつつ眉間に皺を寄せると、新川透がガッと私の両腕を掴んだ。そのまま見下ろして、それはそれは真剣な顔をして口を開く。


「駄目だよ、莉子。3月3日から5日までは休みを取って!」

「何で?」

「一緒に旅行に行くから!」

「何でよ! そっちこそ仕事は!?」

「2月25日の前期試験が終わったあと合格発表が始まる6日までの間って、比較的暇なんだよ。有給も取れるから」

「いや、それはいいとして、何で旅行?」

「大事な日だよ、覚えてないの!?」

「大事って……」


 言いかけて、ある一つの事柄が脳裏に浮かぶ。

 ま、ま、まさか……。


「しょ、処女を貰うって話!?」


 3月3日は私の18歳の誕生日。そういやこいつは「誕生日に処女を貰うね」と堂々とのたまったのだった。

 まさか、超本気のガッツリ旅行を計画していたとは!


 カーッと顔が熱くなり、思わず新川透の両腕を振りほどく。

 たじろぐと、新川透は「おや?」という顔をした。


「莉子の誕生日をちゃんとお祝いしたい、ということだったんだけど?」

「んが!」


 は、は、ハメられた――!!

 ヤバい、顔が真っ赤になるのが止められない! そうだよね、そっちよりまずは誕生日じゃん!

 何で『処女』なんて口走ったんだろう! めちゃくちゃ恥ずかしい!

 そもそもそんな強烈なインパクトのある言葉を発した新川透が悪いんだよ! どうしたって頭に残るじゃん!

 あー、もう、しかも何だそのニヤニヤは! 速攻でやめろ!


「どうしよう、莉子が前向きで超、嬉しい」

「前向きじゃない!」

「でも嫌って訳じゃないんでしょ」

「げっ、言質取ろうとしても無駄だからね!」

「ちぇっ……」


 ちぇっ、じゃねぇ、そこまでバカじゃねーし!

 いや私だってね、いつかは……とか思うよ? だけどそれは、何て言うかなあ、こう……ねぇ?

 ヤバいヤバい、頭の中が煮えたぎってるわ。

 思考がグルグルするのが止められないー! いやー、誰か止めてー!


「今、すっごい考えてる? ねぇ、考えてるよね?」

「うるさいよ!」

「ヤバいなー、莉子がそんな妄想をしてると思うだけで萌える……」

「へ、変態ー!」


 誰かアイツを黙らせてくれ! いったい何がそんなに楽しいのよ!

 すっごいニヤニヤしてるんですけど!


 ずっと脳内で「いやーん❤」「恥ずかしぃ❤」とかプチ莉子ズが悶えている。

 お前ら邪魔なんじゃー! とっとと消えろ!


 私はパンパンッと両手で自分の両頬を叩いた。


「うりゃあーっ!!」

「莉子、顔……」


 音の凄まじさに少し驚いたらしい新川透の声が聞こえる。

 こっちはそれどころじゃないっての!

 よ、よーし、おかしな連中はどこかに行ったな。煩悩は消し去れ!

 とにかく、この議題はこんな適当な状態で話をするべきではない。はい、いつもの冷静な莉子、カモーン。


「……あのね」

「莉子、ほっぺた真っ赤だけど……」

「これぐらいどうってことない。それより、とにかくそういうのは軽いノリでできる話じゃないし」

「勿論だよ、大事な話だ」

「そうじゃなくて! 今は話せるようなことじゃないってこと!」

「何で?」

「私、受験でいっぱいいっぱいだから!」


 叫ぶように言うと、新川透はちょっと考え込んだあと心なしか嬉しそうに笑った。

 何だよ、私また変なこと言った? 嬉しがらせるようなポイントは無かったように思うんだけど。


 まぁ何にしろ、変な茶々を入れなくなったので、ホッとする。相変わらずニヤニヤしてるのは、ちょっと気になるけどさ。


「それが理由?」

「そうだよ」

「なるほど。……で?」

「あとね。だいたい、そういうのはもっとちゃんと……」

「ちゃんと?」

「本気の気持ちがないと……さ……」


 モゴモゴ言いながら新川透の顔を見ると、今度は尋常じゃなくニコニコしていた。幸せいっぱい、みたいな顔。

 え? 私、そんなにあなたを喜ばせるようなこと言いました? だから、一体どこがそのポイントなのよ? 訳がわからん。


「そうだね。よーく分かったよ」

「ほ、本当に?」

「莉子の現状がね」


 私の現状~~? ナニソレ?

 思いっきり訝し気な顔をすると、新川透が


「まぁ、待った甲斐はあったよね」


とひどく上機嫌に言い、私の頭をポンポンと叩いた。


 本当に分かってるんだろうか……。私自身がよく分かってないのに。

 それは私が子供で新川透が大人だからなのかなあ、と、なぜかそんなことを考えた。

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