第9話 気になるあの娘
何度やっても、予備校に潜り込むのは心臓がドキドキするよねぇ……。
皆さん、こんばんは。変装モードの仁神谷莉子です。
今は、月曜日の午後9時過ぎ。もう高校生の授業も終わっていますから、予備校に残っている生徒はあまりいません。
さて、私はと言うと「9時に面談がある」という新川透の言葉が気になり、居ても立ってもいられずこうして光野予備校にやってきてしまいました。
そうです、アパートに送ってもらった後、急いで着替えて自転車を飛ばしてきたのです。GPSが付けられているタブパソはアパートに置いてきたし、新川透にバレることはないでしょう。
今日は恐らく電話はないだろうし、仮にあったとしても
「早めに寝てしまった」
とでも言えばどうとでもなるはずです。
だってさー、そもそもは『トイレのミネルヴァ』が悪事に利用されたかもしれないんだよ? やっぱり放っておけないよね!
そう、そういうことなのだよ!
予備校講師が「面談」という言葉を使うとき、それは大概「生徒との個人面談」であることを指す。保護者の場合もあるけど、それならば「9時に来られるから」とちょっと相手に配慮した言い回しになる。
あの言い方であれば、間違いなく生徒。そして私に詳しいことを言いたがらないということは、『小林梨花』である可能性が高いのだ!
さて、夜の授業に来る高校生はたいてい学校帰りなので制服だ。恵の高校の制服はわかるから、それを探せば授業をしている教室はわかるはず。
案の定、恵と同じ高校の子を何人か見かけた。どうやら授業はもう終わってるのかな。
そうだ、時間割を確認すればいいのか。
掲示されている時間割を確認すると、どうやらそれっぽい授業は今から10分ほど前に終わっているようだった。こっそり覗いてみたけど職員室に新川透の姿はなかったし、もう面談は始まっているのだろう。
さて、どこで行われているのかな。2階の自習室の隣にある面談室とか?
まぁ、空き教室の可能性もある。後は、私が模試で使った7階大ホールの控室。
人はもう少ないし、予備校生らしく生徒用の階段を使って移動する。順番に上がって様子を窺ってみたけれど、どこにも見当たらなかった。
ということは、7階大ホールの控室だろうか……。
そう思いながら階段を上がると、七階大ホールの扉の鍵は開いているようで、隙間からわずかな光が漏れていた。ここは使用しないときは鍵がかけてあるはずだから、中に人がいるということは教師が必ずいる、ということになる。どうやらビンゴのようだ。
話し声が聞こえる。これは、控室じゃなくて大ホールで話をしてるのかも。
まぁ確かに、あそこって6畳ぐらいしかなくて狭いし、密室感がハンパないもんね。女子生徒に対する配慮かもなあ。
そうだなあ、あの空間で女の子と二人っきりというのは、ちょっとなあ……。
ところで、面談相手はやっぱり『小林梨花』なのかな?
私はそろそろと大ホールの扉に近づいた。比較的扉の近くで話しているらしく、内容も聞こえてきた。
「だからさ、ここでグチャグチャ言ってても埒が明かないだろ?」
「だって……」
「とにかく小林、一度ちゃんと奴と話をしろ」
「でも……」
あれ、新川透は本当にイライラしてるみたいだ。おおよそ聞いたことのないような声色だもん。
そしてやっぱり相手は『小林梨花』なんだろうね。まぁ、小林なんてよくある姓だけどさ。
何か小林さんの方がグズってる感じだなあ……。誰かとトラブったのかな? 『模試流出問題』から何がどうなってこういう状況になってるのかはサッパリだけど。
とにかく、新川透は小林梨花の相談を受けざるを得なくなってしまった、というところだろうか。
でもさ、それならそれで何で私に内緒にする必要があるのかな。
小林梨花の個人的事情に配慮して? まぁ、一理あるね。
だけどそれならそれで、彼女の事情は伏せたままでいいから『模試流出問題』の概要と結論だけでも伝えてくれればいいのに。それに関しては、私は無関係じゃないんだもん。
……ということは、やはりその問題自体がまだ片付いてはいない、そして私に話せる状況には至っていない、といったところなのかな。前回の、古手川さんの件を鑑みるに。
「あの、じゃあ……」
「ん?」
「そのときは、新川先生も付いててくれますか?」
「ああ、証人になれってこと?」
「それも、ありますけど……怖い、から……」
「じゃあ、日曜日にしてくれないか? 平日は色々忙しい」
「日曜日……文化祭です、うちの高校」
「じゃあ、そこで。あっちも来れるだろうし、ちょうどいいだろ」
ガタッと席を立つ音が聞こえた。察するに、新川透が立ち上がったんだろうか。
私は慌てて大ホールの扉の前から離れた。
そもそも今日の目的は、『小林梨花』の姿を拝むことなのだ。恵と玲香さんの話を聞いているうちに、何か気になっちゃったからさ。
さっとエレベーターホールの陰に隠れる。ああ、前に古手川さんが隠れてたの、ここかもしれないなあ、と思った。
大ホールの扉の隙間から漏れていた光が大きくなる。「また連絡します」という女の子の声が聞こえてきた。中に話しかけているようだから、出てきたのは『小林梨花』一人なのだろう。
私は陰からそっと覗き込んだ。一人の少女が大ホールの扉を閉め、エレベーターに向かって歩いてくる。
確かに、恵の高校の制服を着ていた。ベージュのカーディガンにエンジのネクタイ。膝上10センチぐらいの紺色のチェックのスカート。黒いハイソックスにローファーというその出で立ちは、本当に今時の女子高生だ。
少し茶色い脇ぐらいまでの髪の毛をゆるく2つ縛りにしている。毛先はふわふわカールで彼女が歩くたびに弾んでいる。少しメイクもしてるのかな。
恵の言う通り、有名アイドルグループにいそうな、可愛い女の子だ。目もウルウルしているし、守ってあげたくなるウサギちゃんとでも言おうか。
特にその様子が豹変するでもなく、彼女はうなだれながらエレベーターに乗り込んだ。何かを偽って困ったふりをしている、という訳ではなく、本当に困って新川透に相談していたのだろう。だから、新川透も時間を割いて対応しているのかもしれない。
ふうん、そうか……。ひょっとしたら、彼女の個人的事情があまりにも外聞を憚る話だったから、私には内緒だったのかもしれない。
というか、そう思いたいです。
* * *
どうにか新川透に見つからずにアパートに戻って来れた。タブパソを確認したけれど、新川透からの着信はなかった。
服を着替え、メイクを落としたところでガラケーから例の激しい曲が流れた。
そうだった、玲香さんに後でと言っていたのに、そのまま忘れていた。隣はまだ真っ暗なままだったから、玲香さんはアパートには帰ってきてないんだろう。
……というより、夜は殆どいないんだよね、玲香さんは。取材とかで、出先にいるんだろうか。
「もしもし?」
“莉子ちゃん? ごめんね、もう遅いのに”
そう言われて時計を見ると、夜の9時50分だった。もうすぐ寝る時間だ。
「いえ、私がかけ直すべきだったのに、すみません」
“それはいいんだけど。文化祭のことだけど……莉子ちゃん、どうするか決めた?”
先週の水曜日に話したときは盛り上がっていたけど、私は最後まで渋っていた。それで一応、気にしてくれたのかな。
ふと、さきほどの小林梨花の姿が脳裏に蘇る。
そうだ、文化祭で誰かに会うって言ってた。そして、新川透もそれに立ち会うと。
きっとそこで、全てが分かる。潜入しない訳にはいかないよ。
「やります、潜入」
“本当に!?”
「ええ、ちょっと色々あって」
“え、色々って?”
今見てきたものを話そうか……と思ったけれど、やめた。
何か今、複雑な感情が胸の中で渦巻いていて、ちゃんと整理して話せる気がしない。
私はぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、あれから色々考えてみたってことです」
“わかったわ。じゃあ、水曜日に打ち合わせしましょ”
「はい、お願いします」
“じゃあ、またね。おやすみなさい”
玲香さんは短くそう言うと、すぐに電話を切った。出先で忙しいのかもしれない。
悪かったなあ、電話かけるの忘れてて……。
それか、私が寝る時間を気にしてくれたのか。いずれにしても、玲香さんは私に好意的というか、本当によくしてくれるなあ、と思う。
さて、文化祭ではどういう感じで変装しようか。
起動してあったタブパソを立ち上げ、検索をかけてみる。
普段はやらないけれど、今回はいわゆる「詐欺メイク」への挑戦だ。中学時代の同級生に会ってもわからないぐらいに変身しなければならない。
まだ女子高生だった頃に一度挑戦したことがあって、カラコン、アイプチ、つけ睫毛などは持っている。ただあまりにも変化するのでその顔で外出する気にはなれず、それっきりだったんだけど。
へぇ、こういう方法が……とか、こうすると印象が変わるんだなあ、とか夢中になっていたら、いつの間にか11時近くなっていた。
慌ててベッドに潜り込んだけど、
「やっぱりすごく可愛くしたいよね!」
「負けたくないもんね!」
「バリバリ盛っちゃうよー!」
とプチ莉子ズが大興奮で暴れていて、なかなか寝付けなかった。
お前ら、うるさい。
私はただ……事の顛末をちゃんと知りたいだけなんだから。
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