第3話 む、受けて立つ!
次の日、火曜日。
新川透のOKを貰ったので、山田さんにだけ盗撮疑惑の話をした。不審な人物がいたら知らせてほしかったし、トイレのチェックの方にかなりの時間を取られそうだったからだ。
「はぁ~、世も末だねぇ。……で、あんたはどうするんだい?」
「とりあえず既にカメラなどが設置されている可能性を考えて、まずは全部のトイレを先にチェックします」
「わかった、そっちに集中するこったね。フロアは任せときな」
スマホで……という話だったけど、小型カメラみたいなものをすでに設置しているかもしれない。昨日、タブレットで『盗撮』『カメラ』でググってみると、それはそれはもう……いろんな種類のカメラがあった。ペン型、USB型、置時計、眼鏡やキーホルダー、はては電球まで。
地下から脚立を持ってきて肩に担ぐ。盗撮なら下に設置するかな、とも思ったけれど、思い込みはよくない。扉の上とか、それこそ電球とか、とにかく徹底的に調べたかった。
余計なことをするな、と念を押された後だったので
「カメラ調査はやってもいい?」
と念のため聞いてみた。すると、意外なことに「じゃあ頼む」という答えが返ってきた。
まぁ、余計なことをされるぐらいなら任務を与えよう、という腹積もりもあるのかもしれない。
とにかく、これは私にとっても一大事だ。絶対に見逃さないようにしなきゃ。
トイレのおばさんが何をしゃかりきに……と思われるかもしれないけど、盗撮疑惑は生徒の間でもかなりの噂になっているし、職員会議でも上がったほど。
トイレを預かる掃除のおばちゃんが調べたって不思議はないだろう。それに、こうして目立つように調査をしていれば、抑止力になるかもしれない。
1階から順に7階までみっちり時間をかけて調べたけれど、カメラ的なものは見つからなかった。まぁ調べたところ、小型カメラはかなり高額だったし、きっとそこまで計画的ではないってことだね。少し、ホッとする。
つまり、必ず人の手によって直接、盗撮されているということになる。だから、無人のトイレならまず安心だろう。
ちょうどお昼休憩になったので、新川透に「カメラは設置されていません」とだけメールを送っておいた。
ついでにポケットからメモを取り出し、走り書きしておいたものを手帳に書き写す。
1階から7階まで見回っている間に、個室が閉まっている階とその時間を調べておいたのだ。
ただ今日に関して言うと、6階まではその後すぐに人が出てきたので普通に用を足していたのだろう。私はある意味見せつけるようにカメラ捜索をしていたので、いつものように外に出ず、ずっと中にいた。
……いや勿論、籠っている人を覗くような真似はしてませんよ? その場合はちょっと気を使って、洗面台周りとか、入り口の扉とかね、そういうところを調べていました。
そして、7階――。
11時10分の時点で一番奥の個室が閉まっていて、何と去り際の12時に確認したときも、まだ扉は閉まったままだった。
ちなみに洗面台には、もうプリントが置いてあった。思わずゲッと言いそうになったけど、慌てて堪えたよ。当然回収せずに、そのままにしておきました。
お助け女神の『トイレのミネルヴァ』が、なぜプリントを見て嫌そうにするんだって?
それはねぇ……9月に入ってから置かれている問題が異常に難しいから、なんだよねー。
* * *
「あのね、ちょっとこれ聞いてもいい?」
「ん?」
昨日の夜、個別指導の後。あのお腹を壊した女の子が去ったあとに回収しておいた『ミネルヴァの宿題』を広げる。それは数学なんだけど、普段勉強している参考書や入試問題集には載っていない、あまりにも見たことがない問題だった。
余白には『難しすぎて……ごめんなさい(泣)』と走り書きがしてあった。
いや、マジでむずいです。泣きたくもなるよねー。
「どこから手をつけたらいいか全然わかんなくて……」
「あー、これ、東大選抜クラスの問題だな」
新川透はそう言うと、何やら別の紙にさらさらと書き始めた。どうやら該当の問題の解答のようだ。
そして『答え、12』と書くと、「これ写して返しとけ」と言って私にその紙を押し付けた。
「えっ、カンニングじゃん……。せめて解法を教えてよ」
「莉子は東大や京大を目指してるわけじゃないだろ? だったら要らない。たださえ苦手なのに、頭がパンクする」
「う……」
「確かに何事も知っておくに越したことはないし、勉強に限りはないよ。だけど残念ながら、大学受験には明確なタイムリミットがあり、それまでにどれだけ目標に近づけるかというゲームみたいなものなんだ。ゲームに勝つには戦略が要るし、効率化を図る必要もある」
「まぁ……」
「そのために予備校だって志望校別・難易度別クラスになってるんだからな」
うーん、悔しいけどもっともです。何かズルだけどさ。
でね、その前にもらった英語も、どうやら過去問だったみたいなんだよね。こっちはどうにかなったけど、かなり時間がかかった……。
盗撮疑惑で誰も7階に寄りたがらない中、唯一頼りにしてくれてるからね。ちゃんと答えてあげたいんだけど。
正直なところ、負担にはなってきてるんだよねぇ。うーん。
* * *
昼休憩が終わり、地下からの階段を上がる。本来の仕事、トイレ掃除をしなきゃね。
いつもは裏階段を使って1階から順に上がっていくんだけど、さっき閉まっていた7階が気になる。エレベーターで上まで上がって、順に降りることにしよう。
エレベーターの近くには生徒向けの掲示板があって、連絡事項の他、予備校内のテストの成績上位者が貼ってある。
いつも裏階段を利用している私は、掲示板をじっくり見ることなんてあまりない。物珍しくて、「へえー」と思いながら横目で見上げていた。
「あ、コテ~。すごい、またトップじゃん!」
「まぁね……」
「ねぇ、やっぱ『ミネルヴァ』ってコテじゃないの?」
ごふうっ!!
そ……そうか、この人か。この予備校のトップを張る才媛、古手川さんというのは。
「私じゃないわよ」
「えー」
ちらっと盗み見ると、ショートカットに眼鏡をかけた、すらっとした美人さんだった。
その古手川さんの口の端が、ゆっくりと上がる。
「私なら、あんな簡単な数学の問題、間違えないもの」
彼女がそう言い放った途端――どす黒いオーラみたいなものが同時に口から飛び出てきた気がした。何だろう、抑えようとしても到底抑えきれない悪意、みたいな。背中がゾクッとする。
この人、『ミネルヴァ』が嫌いなんだ。
いや、嫌いのレベルを超えてるかも。憎ったらしい!って感じ。
そうか、前に1回だけ解答を間違えちゃったんだよね、私。あの時はごめんなさい。
そのせいで、古手川さんが謂れのない中傷を受けたのかな。
「そ、そうだよね……ごめん」
「気にしないで。さすがに言われ続けてちょっとムカついちゃっただけだから」
いやいや、そんなレベルじゃなかった気がするよ?
何て言うのかな……『怨恨』、という言葉が相応しいぐらいの言霊でしたけど?
ひょっとして、かなり迷惑をかけたのかなあ。だとしたら、すみません。
「あ、新川くん!」
その古手川さんの声の雰囲気が、ガラリと変わる。新川って新川弟だよな、と思ったところでエレベーターが来てしまい……二人がどういうやりとりをしたのかは見届けることができなかった。
7階に行ってみると、女子トイレの個室には誰もいなかった。プリントは残されたまま。
とりあえず安心し、男子トイレの前に『清掃中』の立札を出して掃除を始める。
その間も最大限辺りに注意を払っていたけど、誰かが来る様子はない。
もう、午後の授業が始まってるしね。
コンコン。
開けっ放しになっていた扉を叩く音がして振り返ると、入り口に新川透が立っていた。そうか、今の時間は授業がないんだっけ。
女子トイレを指差して、「どう?」みたいなジェスチャーをする。小声で「誰もいないよ」と答えると、ふっと息をついて男子トイレの中に入ってきた。
「チェックありがとう。何かおかしなことはなかったか?」
「んーと、昼前……2限の間中、ずっと籠ってる人がいた」
「2限……」
「仕事もあるし、出てくるまで見張る訳にもいかないんだけど……」
うーん、と思わず唸ってしまい顎に手をやると、ぽんぽんと頭を叩かれた。
つい片手で頭を押さえ、ハッとして見上げてしまう。
やれやれ、とでも言うように微笑む新川透と目が合った。
あう、これが頭ポンというやつデスネ。確かにちょっとグラッとキマスネ。
「だから余計なことはしなくていいから」
「あ、うん……」
「じゃあな」
「あう」
再度ポンポンされ、思わず両手を頭にやってしまう。……今度は声が漏れちゃいました。
聞こえたのかどうかはわからないけど、新川透は「アイドル雑誌の表紙ですか」みたいな完璧なニコッを披露してそのまま颯爽と男子トイレから出て行った。
あう、たまに何の裏もなさそうな素敵スマイルをぶつけてくるの、やめてくれないですかね。しかも頭ポンポンとコンボとか、確信犯ですか。
うーん、これはクセになりそうで危険デス。ハグよりも要注意、ダネー。
得体の知れない盗撮魔のことはすっかりどこへやら。
『新川透対応心得』を新たに心に刻んだ、仁神谷莉子、17歳の秋でした。
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