第7話 それぞれ、事情があるみたいです
もし、松岡浩司さんと会ったら。
お母さんのことをどう思っていたのか、知りたい。
松岡浩司さんの知っているお母さんの話が聞ければ、お母さんがどういう思いで私を生んでくれたのかが、解る気がするから。
桜木社長に言われて自分がどうしたいのかじっくり考えてみたけど、それだけだった。
やっぱりどうしても、私には『父親』をイメージすることはできなかった。『お母さんの恋人だった人』、これが一番しっくりくる。
別に、話さえ聞ければそれでいい。認知して欲しいとも思わない。
そう、私の心が決まったのを見透かしたように……火曜日の夜、電話が鳴った。見知らぬ番号からだったけど
「そう言えば手紙に書かれていた番号だったような」
とすぐに気がついた。
「……もしもし?」
“松岡と申しますが……”
「あ、はい」
不思議と、私の心は落ち着いていた。
松岡さんの声は、少し高めで小さかった。人目を避けてこっそり電話してるのかな、と思った。
……つまり、私はそういう存在なのだ。この人にとって。
“手紙を……”
「あ、はい。読みました」
“あの……それで……”
この人、本当に大企業の専務なのかな。妙にオドオドして……。
後ろめたい気持ちがあるのかな。だとしたら、ちょっと腹が立つけど。
「11月23日と24日の件ですよね。24日の日曜日ならいつでも大丈夫です」
“それでは……時間はこちらで決めても、よろしいでしょうか?”
「はい」
まだ未成年の私に、随分と丁寧に喋るなあ。取引先でもないのに。少なくとも、権力に胡坐をかいた傲慢な人ではなさそう。
……そうだよね、お母さんが好きになった人だもん。
“もう少し日が近くなったらまたご連絡します。場所は……駅前の時計台で”
「え……」
意外過ぎて、言葉を失う。
時計台を知ってるんだ。地元の人間は待ち合わせによく使うけど、別に観光名所でも何でもないのに。
なのに、東京に住んでいる松岡さんが、どうして……。
私の疑問に気づいたのか、電話の向こうでフッと笑う声が聞こえた。
さきほどまでのビクビクした感じではなく、とても落ち着いた声だった。
“一度そこで待ち合わせをしたことがあるのです。多恵子さんは来てくれなかったのですが……”
「そう、なんですか……」
“それでは、またご連絡します。ありがとうございます、莉子さん”
そして、電話は静かに切れた。
最後の最後まで、丁寧な人だった。
お母さんが好きだった人。お母さんを好きだった人。
……私の、父親かもしれない人。
* * *
「莉子ちゃん、調べたわよ!」
翌日、水曜日。唯一の昼上がりの今日、どこにも寄り道せずにアパートに戻ってくると、玲香さんが駐車場で待ち構えていた。
「あ、ありがとうございます」
「上がっても大丈夫?」
「はい」
そのまま二人並んでアパートの私の部屋へ。
そういえば、隣なのに玲香さんの部屋にはお邪魔したことないな。
というより、玲香さんがアパートにいる時間ってすごく短い気がするんだよね。いつも外を飛び回ってるし。新聞記者って、大変なんだな。
……あれ? 何か引っ掛かるような。
「えーと。まず企業としては、なかなか優良ね。血族会社って身内のすったもんだがあったり、能力のない人間がトップに立ったりするけど、この会社はその点厳しいわね。現社長には二人の息子と二人の娘がいるけど、それなりのポジションにつけているのは長男の松岡浩司と、次女の松岡真帆しかいないわ」
「へえ……。男も女も関係ないんだね」
「そうね。それは社員にも言えて、実力重視ね。コネ入社も殆どないし……。建築方面を真面目に考えているんなら、狙ってもいい会社だとは思うわよ」
そうなんだ。じゃあ松岡浩司さんは一生懸命に頑張った結果、専務というポジションに就いてるんだね。
お父さんかどうかわからない人だけど、でも、何だか嬉しい。
「血族会社ってことは、松岡浩司さんがそのうち社長になるんですか?」
「そうでしょうね。でも、後継ぎがいないから大変よねー」
「え!?」
あれ? 確か、親に勧められるまま見合い結婚した、って手紙に書いてあった気がする。
ひょっとしたら異母兄弟がいるのかな、とかちょっと考えてたのに。
「松岡専務にはお子さんがいないのよ。奥様も二年前に他界されて、今は独身。ただ、松岡専務のご兄弟にはお子さんが何人かいらっしゃるから、そのうちの誰かが継ぐんじゃない?」
「へえ……」
「大変よね、こういう家に生まれたら生まれたで」
そう言うと、玲香さんはふう、と溜息をついた。
そのとき、玲香さんのバッグの中からスマホの着信音が聞こえてきた。
玲香さんは「わっ!」と異様に慌てふためいてスマホを取り出すと、「ちょっとごめんね!」と言ってバタバタと外に出て行った。
かなり驚いてたし、パニクってるように見えたけど……ひょっとして、お仕事サボってここに来たのかな。
あーあ、バッグからリップやらボールペンやらが飛び出しちゃってるし……。
「……えっ」
何気なくそのバッグを見つめて、思わず声が漏れる。
バッグの手前の方にあるスリットからわずかにはみ出ていたのは、免許証だった。
左上――名前が記載されている部分の最初の文字は、「新」。
『こちらに引っ越してきました、森田玲香です』
初めて会った時のことは、はっきりと覚えている。玲香さんは確かに、そう名乗っていた。あのクッキーについていたメモにだって、『森田玲香』としっかり書いてあった。
偽名……? いや、まさか。何のために?
いけないと思いつつ、そーっと手を伸ばす。左手の親指と人差し指で、免許証の角を摘まみ上げる。
『新川玲香』
免許証の一番上には、しっかりそう書かれていた。そして写っているのは、紛れもなく玲香さん。
続けて住所を見る。覚えのある住所だ。だってこれは――新川病院がある場所だもん。
新川病院はこの地区で一番大きな病院だ。新川家はそのすぐ近くにある豪邸。
新川透のお兄さんがお嫁さんをもらったとき、離れに新しい家を建てていて近所では話題になっていた、という話も聞いた。
新川透は、「ウチは男兄弟しかいない」と断言していた。
つまり――玲香さんは、その『お嫁さん』なんじゃ?
あれっ、ちょっと待って。
まさか、アパートに近づけない新川透が義姉である玲香さんに頼んだとか?
「ごめんなさい、莉子ちゃ……」
バタンと扉が開く。私はビクッとして手にしていた免許証を戻そうと思ったけど、到底間に合わなかった。
「あ……」
恐る恐る免許証から手を離す。そんな私を見て、玲香さんの表情がさっと変わった。
あっという間に状況を察したようだ。ダダダーッと部屋の中に入ってくると、自分のバッグを掴み、パッと伏せるように自分の胸にあてた。
「み、見た!?」
「はい……あの、名前が、見えちゃって……」
そうだよね、どう考えてもこれは勝手に覗き見した私が悪い。
ごめんなさい、と言おうとしたら、玲香さんは凄い勢いで土下座――いや、土下寝ぐらいの勢いでひれ伏した。
「莉子ちゃん、ごめんなさい!」
「えっ!?」
何でだ? 何で玲香さんが謝るんだ?
あ、そうか、私に黙ってたことか! だけどそれにしちゃ……。
「騙してごめんなさい! でも、聞いて! 私、あの、莉子ちゃんが心配で!」
「えっと……」
「ああ、でもどう話せばいいんだろう……っ!」
玲香さんはガバッと顔だけ上げると、そう叫び、長い綺麗な黒髪を両手でグシャグシャグシャッと掻きむしった。
な、何だ? 急に玲香さんが取っ散らかり始めたぞ。
想定外のリアクションに、勝手に免許証を覗き見してしまった罪悪感も騙されたショックもどこかに吹っ飛んでしまった。
「あの、やっぱり新川センセーに頼まれて……」
「違う! 透くんにも内緒だったの!」
玲香さんはブンブンと勢いよく首を横に振った。
「恵ちゃんの文化祭で鉢合わせしたでしょ? ロクに会ってない義姉なんて覚えてないだろうと思ったけど、すぐバレちゃって」
そりゃ、詐欺メイクの私を見破るくらいだからなあ。
「あのあとすぐに電話がかかってきて、ものすごくキレてた。どういうつもりだ、莉子に何を吹き込んだって、それはもう……」
そういやメチャクチャ機嫌悪かったな、あのとき。恵の高校から新川透のマンションまで戻ってくる間、ずっと黙りこくって。
あれ、私のせいでも小林梨花のせいでもなく、玲香さんに対して怒ってたのか。
「だから『莉子ちゃんには内緒なの、単に私が心配で来ただけなんだ』って平謝りして。『莉子には絶対にバレないように』って念を押されて……」
そこまで言うと、玲香さんはハッとしたような顔をした。そして私の両手をガシッと掴むと、必死な形相で私を見つめた。
「あの、お願い! 私の正体がバレた事、透くんには黙ってて!」
全然わからないけど、とにかく玲香さんも微妙な立場なんだろうか。
……というか、新川透って新川家でどういう立場なの? 玲香さんのこの慌てよう……実家でも魔王なのかな、あの人。
「えと、まぁ、それは……」
「ありがとう! 莉子ちゃんにはちゃんと説明しないと駄目よね。だけど、どこからどこまで説明していいのか……」
えーと、それは新川透の許可が要る、とかなんですか? ますます何者だ、あの男は?
とは言え、私も松岡さんに会う話もあるし小林梨花の手紙の件もあるしで全然頭が回らない。
正直、深刻そうな新川家の裏事情とやらを聞かされても困る。
「――玲香さん。ここは一度、お互い引きましょう」
思い切ってそう言うと、玲香さんが
「え……?」
とポカンとした顔をした。
騙されたのは、確か。でも……玲香さんが『莉子ちゃんが心配で来た』と言っているのは本当、のような気がする。
だったら、今はいい。とりあえず玲香さんを信じる。
「私、今、ちょっといろいろ忙しくて……。頭が回ってなくて」
「……」
「玲香さんも、今はちゃんと話せないんでしょう?」
「うーん……うん、ちょっと根回しが必要というか……」
会社の案件か何かみたいですね。ますます謎が深まるな、新川家。
「だから来週、話しましょう」
「あの……莉子ちゃんは、それでいいの?」
「是非それでお願いします。さすがに、ちょっと……頭痛が……」
わざわざ私のアパートの隣に引っ越してきた玲香さん。
新川透の話をしてくれたり、文化祭潜入作戦を真剣に練ってくれたり。
私の変装に全面協力してくれたり、松岡建設について調べてくれたり。
そういった諸々に、裏があったとは思えない。
玲香さんが偽っていたのは、多分、名字と立場だけ。
私にくれた気持ちは、本物だと信じたい。
「ですので、しばらく放っておいてもらえると……」
「そ、そうよね! ごめんなさい、本当に……」
玲香さんは散らばったバッグの中身を乱暴にかき集めるとバサバサッと放り込み、すっくと立ち上がった。
「じゃあ、帰るわね。あの、莉子ちゃん……私ね、莉子ちゃんで本当に良かったと思ってるのよ」
「え、あ、はい」
「ありがとう、莉子ちゃん。また、来週ね! 電話待ってるから!」
そう言うと、玲香さんはあっという間に私の部屋から去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、へなへなとその場に崩れ落ちる。
一体、何がどうなってるんだろう? 私の知らないところで、何が起こってるんだろうか?
ああ、でも、とにかく今は考えるのを止めよう。
ただでさえ、最近あまりちゃんと眠れてない。今日こそ、きちんと寝なきゃ。
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