第6話 これって餌付け?

 チャ、チャッチャッチャッ♪ チャ、チャッチャッチャッ♪

 チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャチャチャチャチャッ♪


「……んあ」


 軽快なマーチがどこからともなく流れる。あー、うるさい、うるさい。

 手さぐりで携帯を探すけど……布団ではなく、カーペットの感触。


「あー……たたっ……」


 ヤバ……床にごろんとなってそのまま寝てしまったわ……。

 背中が痛い……腰も……。

 うわ、暑っ! 汗でベタベタ!


 むっくり起き上がると、ガラケーはテーブルの上に置きっぱなしになっていた。アラームを止めようとした瞬間、ピタッと音が鳴り止む。

 大あくびをしながらスヌーズ機能を止め、時刻を見た。……5時ちょっと前。

 そろそろ配達所のおじさんが新聞を持ってくる。さっさとシャワーを浴びて準備しなきゃ……。


 母から引き継いだ朝の新聞配達。配達所は遠いので、おじさんが私のアパートまで担当分を持ってきてくれる。

 視線はイヤらしいが、気のいいおじさんだ。ある意味わかりやすいので対応もしやすい。

 今年のお正月には、お餅とみかんを段ボールいっぱいにくれた。お餅は冷凍も効くし、かなり節約に貢献してくれた。みかんはちょっと腐りかけだったけど、果物なんて自分で買うことはないから助かるは助かる。

 おじさん、ありがとう。妄想ならどれだけでもしてくれていいよー。


   * * *


 夏場の新聞配達は、日の出の時刻も早くて明るいし、何だか気分がいい。自転車に新聞を載せ、軽快にペダルを漕ぐ。

 アパートの近隣の人はちょっと嫌な感じの人が多いけれど、新聞配達先で出会う人はみんなにこやかだ。

 だけど、普段なら顔を合わせない人の場合はちょっと驚かれたりすることもある。今は夏なので、たまに半裸のおじさんがあくびをしながら玄関から出てきて、私を見るなり「おおっ!」と上半身を隠したり。


 おじさん、大丈夫。下半身さえ隠しておいてもらえれば、私は悲鳴なんて上げません。


 そういや高校に通ってた時、堤防沿いの道で下半身を露出しているおじさんがいたっけな……。幸い徒歩じゃなくて自転車だったから、「あれっ!?」と思ったときには通り過ぎてたけど。

 まぁとにかく、ウチの近所にはそんな変な人はいませんけどね。


 いつも同じ時間に犬の散歩をしている近所のおじさんと挨拶する。おはようって、いいよね。

 庭の水遣りをしている早起きの奥さんと目が合う。ぺこりと頭を下げると、奥さんもどうも、と頭を下げた。

 同じ朝の時間を共有しているから……何となく仲間意識ができるのかもしれないね。



 そうしていつもの道のりを自転車で回り、最後の1軒のポストに新聞を入れたところで、私はいつもとは違う光景に気が付いた。

 交差点の角にある、私のアパートから最寄りのコンビニ。見覚えのある車が停まっている。

 何となく近づいてみると……やっぱり、昨日見たばっかりの白い車だった。

 後ろに回ってみる。……うん、バンパーの疵も同じ。レクサス……CT200hっていうのか。この車は。


「……あ!!」


 コンビニから慌てたように新川透が現れた。薄い水色のポロシャツに、ホワイトジーンズ。素足に茶色いサンダル。

 どこでだったかな、スーツ姿の男性は5割増ぐらいでカッコよく見えるから私服でデートするとき幻滅しがち、という記事を見たような気がする。

 しかしさすがの新川透は、私服も完璧だった。スーツ姿がフェロモン系だとしたら、カジュアル姿は爽やか系だろうか。


 昨日は肘から下しか見れなかったけど、二の腕もなかなかいい感じですね。妙に筋肉モリモリだとちょっと引くけど、絶妙にしっかりしてて締まってる。

 はふ、ご馳走様でした、と心の中で合掌した。


 ところで、朝っぱらから何してるんですか、この人は?


「……おはようございます」

「おはよう。今日もいい天気だね」

「そうですね」


 とりあえず店の前まで自転車を引いていくと、スタンドを立てる。

 新川透は自分の車の助手席のドアを開けると、何やらスーパーの袋を取り出した。

 そしてタタタッと私の目の前に戻ってくると、ずいっとその袋を差し出す。


「新聞配達、お疲れ様。はい、これ」

「へ?」


 ぐいっと押し付けられたので受け取り、中を見てみる。

 キャベツが丸ごと1個。プチトマトが1パック。きゅうりが……えーと、5本?


「何ですか、これ……」

「見てわかんない? 野菜だけど。あ、ちなみにそれ、キャベツじゃなくてグリーンボールだから」

「あ、そうなんだ」


 知らなかったな……って、そんなことはどうでもいい。

 朝早くに人を待ち伏せして野菜を渡す? よくわからん。


「昨日聞いた食生活があまりにもひどくて、我慢できなくなったんだよね」

「はぁ……」

「グリーンボールは千切り。プチトマトも洗ってヘタを取るだけ。きゅうりは輪切りなり斜め切りなりするだけ。莉子ちゃんでもできるよね?」

「千切りはしたことありません」

「マジか……。スライサーはある?」

「多分……」

「それでガシガシやればいいよ」

「なるほど……」

「月曜日の補習までに、それ、完食してね。じゃ!」

「……は!?」


 何の宿題!? どういうこと!?

 口をぱっかーんと開けた私をそのまま置き去りにして、新川透はさっさと車に乗り込んでしまった。


「ちょ……新川センセー!!」

「何?」


 ウィーンと窓が開く。冷房は最大出力にしてあるらしく、ブオーッと大きな音を立てていてちょっとうるさかった。

 車の中は蒸し風呂みたいに熱い。このほんの一瞬の間に新川透の額は汗ばんでいた。

 コンビニの駐車場は日陰なんてないし……だいぶん長い間、ここに車を停めていたんだろうか。 


「あの、意味がわからないんですけど?」

「だから、今日は木曜日でしょ?」

「ですね」

「木・金・土・日・月。5日間で、それを全部食べなさいって言ってんの。きゅうりもちゃんと5本あったでしょ?」


 何がちゃんとなのかはよくわかりませんが。


「どうせ、野菜は高いわりに腹持ちが悪い、とかで食べてないんじゃない?」

「まぁ、そうですが」

「アレルギーもないよね?」

「ないです」

「じゃあ、いいよね」

「はぁ……」


 何が何だかよくわからないまま返事をする。

 

「野菜を取らないと、せっかくの若いピチピチの肌がカサカサになるよ?」


 そうですね、若さしか取り柄がないですしね。


「あ、水分補給もこまめにね。塩分も忘れずに」


 あなたは私のオカンですか?


「じゃ、また予備校でね」

「……あっ」


 しまった、心の中でツッコんでいるうちに話が終わってしまった。

 ウィーンと音を立てて、再び窓が締まる。

 新川透はひらひらと手を振ると、キキッと音を立ててバックし、そのままササーッと駐車場を出て行ってしまった。

 後に残されたのは、スーパーの袋を片手に呆然と見送る、貧乏くさい小娘一人……。


「……ドレッシング、家にないんだけどな……」


 塩で良いかなー。

 そうだ、塩昆布で揉むといいかも。これ簡単なのよって言って、お母さんが作ってくれたっけ。懐かしいな。それなら料理を一切しない私でもできるに違いない。

 今日は予備校の帰りにスーパーに寄ろう。ドレッシングよりは安くつくはず。


 そこまで考えて、私は新川透にお礼を言うのをすっかり忘れていたことを思い出した。

 しまった、挨拶はきちんと、が信条なのに。

 それに多分、昨日の私の話から家の近くはマズい、と考えてコンビニにいたんだよね、きっと。

 まぁ最寄りはそうだけど、私の新聞配達ルートは知らないだろうに……会えなかったらどうするつもりだったんだろう。

 

 いい人だとは思うけど、何か行動が読めないというか……得体の知れない印象はどうしても拭えないな、と思う私だった。

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