第5話 な、流された訳じゃないよ?

「で、うやむやのうちタブレットを押し付けられたわけだ」


 ごくごくと自前のミネラルウォーターを飲み、茶色くて四角いこたつテーブルの上にあるタブレットと、恐らく八の字眉になっているであろう私の顔を見比べながら、めぐみが呆れたような声を出した。


「条件が美味しすぎて断れなかった……」

「無料の個別指導? 確かにねー」


 結局のところ、新川透に彼女はいないらしい。友人や弟が泊まりに来るとき用に2つあるだけだよ、と言われた。

 そうじゃなくて、そもそも何で私がミネルヴァだとわかったのか聞くべきだったんだけどな。

 まぁ、それはまた今度聞こう。とりあえず、バラされる心配はなくなった訳だし。焦らなくてもいいか。


「まぁ、コレあると確かに便利だよね。ちょっと調べたりするのにはさ」

「ブログの確認以外に好きに使っていいよ、とは言われた。いくら使っても定額だから気にしないでって」

「へえ……」

「お金持ちは違うよね」


 恵は、私の中学時代の同級生だ。小学校は全然別なんだけど、中学に上がるタイミングで恵の両親がこの校下に家を建て、引っ越してきた。

 そうして中1のときに同じクラスになり、『中西なかにし』『仁神谷にがみだに』と出席番号が隣同士だったことから仲良くなったという、よくある話。

 高校は私とは別のところに進学して、今は普通に高校3年生になっている。

 今日は唯一の昼上がりの水曜日で、前から私のアパートに遊びにくる約束をしていた。


 高校をやめたあと、その頃の友人はすぐに連絡を取らなくなったけど、恵だけは私に対する態度も全然変わらない。それが嬉しい。

 何の相談も無しに高校をやめたときだけはさすがに怒ったけど、

「莉子っていつも事後報告だからなあ。……まぁ、言わないよりはマシだけどさ」

と溜息をついて許してくれた。


「新川透かー。ウチの高校でも有名だよ」

「そうなの?」

「光野予備校に通ってる子がきゃいきゃい言ってた気がする。でもブログの件は初耳だなあ」

「うーん……ちょっとブログを見てみたんだけど、写真に写っているのはだいたい昼間なんだよね。だから高卒部の生徒、つまり浪人生じゃないかと思ってる」

「ふうん……」

「撮られている時間と生徒の受講登録とかを見比べてみれば、絞れるかもしれない。とりあえずそこから……」

「真面目に犯人探し、するんだ」

「そりゃするよ。何で?」


 引き受けたからには、ねぇ。噂話に注意するだけじゃ、さすがに申し訳ない。

 高2の秋で高校をやめた私にとって、まったく授業を聞けていない数Ⅲと物理はかなり苦しいものがあった。

 私が行きたい建築学科は、当然理系。この2教科からは逃れられない。

 新川透の申し出は、本当に本当に有難かったのだ。


 結局、毎週月曜日の夜に新川透のマンションに通うことになった。

 最初は私の家に行こうか、と言われたけど、その提案は丁重にお断りした。

 アパートの大家が、母を亡くした私が引き続き一人で住み続けているのを、あまり快く思っていない。

 とりあえず来年3月までの家賃を前払いすることで、どうにか納得してもらったのだ。

 近所の人もヒソヒソ何か言ってるし、ここで男なんか連れ込んだらどんな陰口を叩かれるかわかったものじゃない。


「莉子は真面目だからなあ」

「それもあるけどさ。何もかも恵まれてる人って大変だよね、とも思ってさ」

「……」

「でもこんな高価なものポンと貸し出すあたり、やっぱり金銭感覚が違うのかな」

「莉子さあ。それ、逆差別だよ」

「えっ」


 恵の鋭い口調に、ドキッとする。

 じっと私を見つめるので、思わず背筋が伸びる。


「何がその人にとって苦痛か、とかはさ。わかんないじゃん」

「まぁ……」

「お金があれば幸せなの?」

「それは違うけどさ。でも、お金があれば解決できることは多いよ」


 私にお父さんがいれば……莫大な資産とかがあれば、私は高校を辞めなくても済んだ。

 人並みにおしゃれを楽しんだり、青春を謳歌できたはずだよ。

 そもそもお母さんが死んだのだって、働きすぎて夜の横断歩道上でふらっとしたところにスピード違反の右折車が突っ込んできた、というものだった。

 そこまで頑張らなくても良かったんだ。だから私もバイトするって言ったのに……。

 結局、親孝行なんて何一つできなかった。


「莉子の言い方を聞いてるとさ。お金持ちだから苦労知らずで、だから些細なことでも悩むんでしょって言っているように聞こえる」

「……」

「金持ち全般、気に入らない?」

「そんなことは……」


 確かに私は、正直「へえー」ぐらいにしか思わなかった。

 恵まれてて皆の注目を集めてるんだからそれぐらいの事はあるだろうね、とどこか軽んじていたかもしれない。

 金持ちの考えることはわからないね、という思いがあったかも。

 これが恵が言うところの「逆差別」なんだろうか。

 何を考えてるか分からない、なんて思ってたけど、分かろうとしてなかったのかも……。


「まぁ、とにかくさ」

 

 私がしゅーんとしたのがわかったのか、恵は口調を和らげるとニッと笑った。


「どことなく得体が知れないから不安、という気持ちはわかる。私もちょっと探ってみるよ」

「探る?」

「いとこが新川病院で看護師をしてるんだよね。ちょいちょいと情報を引き出してみるよ」

「うん……。ありがとう。助かる」


 私がホッとして思わず笑うと、恵も少し安心したように頷いた。

 歯に衣を着せずにズバズバ言ってくれる恵は、本当に貴重な友達だ。


   * * *


 恵が帰った後、私はとりあえずそのブログの記事を全部ちゃんと見てみた。

 それは予備校の入学式の4月上旬から始まり、現在まで週3ぐらいのペースで投稿されている。

 かなり熱心だよね……。


『今日は思い切って授業後に質問してみた。すごく丁寧に教えてくれた。この予備校に来てよかった!』

『新川センセーの授業はわかりやすい。私たちの目を一人一人見てくれている気がする。ああ、授業中の写真が撮れないのが残念ー』

『予備校のボウリング大会でスコア200越え、カッコいい!』

『金曜日の午前中はジムに行ってるみたい。その逞しい後姿を激写❤』

『お昼休みに予備校を出たところを尾行してみた。おばあさんの荷物を持ってあげてた。優しい!』


 ああ、字が躍って見える……。なんか目がチカチカするな。

 まぁ、それはさておき……火曜日と水曜日、それと金曜日は朝から晩までつけまわしてるみたいだな。

 夕方上がりだと言っていた月曜日と木曜日の投稿は殆どない。あっても、予備校内だけ。

 土曜日は……夜の授業だな。でも高校生じゃない。土曜日は、浪人生の授業しかないから。


 住んでいるマンションもバレてないみたいだ。車通勤だしね。追いかけられないか。

 マンションに通って大丈夫なのかな、と思ってたけど、どうやら気にしすぎだったみたいだ。

 高卒組の行事の写真もあるし、浪人生なのは間違いないな。

 後は、新しく記事が出たらチェックしていくしかない。


 しかし……このブログを読むだけで、ちょっとした新川透通になってしまったわ……。

 激辛料理は苦手だけど甘いものが好きとか。

 子供にも優しくて良いパパになりそうとか、本当にどうでもいい。

 何ていうかなあ、この『新川センセーはこんなに素敵なんです』アピールは何なのかね。どういうファン心理なんだろう。


 でも確かに、これを全体HRで言って知らなかった人まで見るようになったら恥ずかしいかもな。

 何となく、内々にと言っていた理由がわかるような気がした。


 ああ、そうだ、今日持ち帰ったプリントの問題、解かなきゃ……。

 そんなことをぼんやり考えながら、いつもより早くウトウトとして……眠ってしまった。

 翌日、新川透から意外な攻撃を食らうとも、知らずに。

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