受験が終わって

過保護が過ぎる。※重複表現(前編)

 皆さん、『過保護』という言葉がありますよね?

 過保護とは、「ある対象を過剰に保護すること」です。

 一般には、親が必要以上に口を出して世話することを指しますね。このようにして育てられた子供は、自己愛が強くて自分勝手な、他を顧みない甘ったれた人間になりがち、という話を聞きます。


 幸い、私の亡くなった母・多恵子は非常にドライな肝の据わった人間で、

「信念を貫きつつも周りを不快にさせない言動を心がけろ」

という非常にシンプルかつダイナミックな教育方針でしたので、私はこのようには育っておりません。……多分。


 ですが、ここに来て!

「……これ、過保護じゃない?」

と思うような事態が起きたので、皆さんにご報告しようと思います。


   * * *


 2月25日、国公立大学前期試験当日。

 英語、数学、理科二つ、計4科目の試験を終え、私はフラフラとY大の構内を歩いていた。


 ……え? 入試前の話をするんじゃないかって?

 違う、違うのよ。

 確かに、新川透は本当にギリギリまで個別補習してくれたし、玲香さんは個別補習の送り迎えをしてくれて、毎日温かいご飯を……場合によっては夜食まで用意してくれたし、掃除婦仲間のおばちゃん達はお守りをくれて「肩の力を抜いてほどほどに頑張んな!」と温かく励ましてくれたし……。本当に、とても恵まれた環境ではあったんだけどね。

 そこじゃないんです。はい。


「あ、莉子ちゃん!」


 保護者控室となっているY大の食堂に入ると、私に気づいた玲香さんがひらひらと手を振った。テーブルの上には何やらさまざまな資料と、左手にはスマホ。

 どうやら何かのカタログを見て時間を潰していたようで、バタバタと慌てて片づけ始める。


「ごめんなさい、玲香さん。待たせちゃいましたか?」 

「そんなことないわ。今来たところだから」


 さっとコートを着てマフラーを巻き「行きましょ」と私の背中を押す玲香さん。


「どうだった?」

「やれるだけはやりました」


 難易度は例年と変わらなかったし、苦手な数学も自分の中のボーダーは超えたと思う。

 何回も確認したし……だいたい自分の力は出し切れたんじゃないかな。


『本番で100%、120%の力を出そうとするから、緊張したり固くなったりしてしまう。そうではなく、入試においては「80%の力が出せれば受かるだろう」と思える実力を身につけることが大事なんだよ』


 新川透はそんなことを言っていたっけ。

 それからいくと、まぁ90%の力は出せたと思う。上出来だ。


「そう、良かったわね!」

「とりあえずホッとしました」

「そうね、まずはゆっくり休みましょう。莉子ちゃん、ずっと働き詰めの勉強しっぱなしだったんだもの」


 試験は今日で終わりだが、掃除婦の仕事は明日まで休みを取ってある。

 今度は後期試験に備えないと駄目だけど、今日と明日ぐらいはのんびりしたい。


 その後、私と玲香さんは他愛のない話をしながら正門に向かって歩き出した。



 昨日の夜、私と玲香さんは新幹線に乗ってここ、横浜にやって来た。

 確かに横浜は初めてだけど、一人で電車を乗り継いだり見知らぬ街を歩いたりといったことに不安はない。

 だから「付き添いは要りません」と言ったんだけど、


「駄目よ。それに、それじゃ透くんを説得できないわ」


と玲香さんに一蹴されてしまった。


「仕事を休んで一緒に来かねないわよ、透くんなら」

「いや、前期試験当日って、確か予備校では解答作成という重要な仕事があったはずですけど?」


 あの、新聞に掲載されるアレね。新聞社から学習塾に依頼されて、大学入試問題の解答速報を作成するやつ。

 確か光野予備校は、新聞社の依頼で地元の国立大学の解答を毎年掲載していたはず。

 特に数学というメイン教科が省かれることなんて、絶対ないんだから。


「それでも平気でサボるわよ。解答作成は俺がいなくても誰かがやるだろうけど莉子には俺が付いていないと駄目だから、とか言うに決まってるわ」

「はぁ。言いますね、多分」

「自分が付いていきたいだけのくせにね。まぁとにかく、東京に一度は行かないといけない、とは思ってたの。だからこの機会に便乗しようと思って」

「でも……伊知郎さんは? 『お帰りなさい』を言わないと……」

「やっだー! 莉子ちゃんたら、もう!」


 玲香さんが照れてバーンと私の背を叩く。

 い、痛いです、玲香さん……。

 いやいや、あなたが言ったんでしょうが……毎日欠かさずソレをするために結婚したって。

 そんな簡単に反古にしていいんですか?


「伊知郎さんには前もって伝えてあるわ。東京に行く理由も知ってるし、『いいよ、行っておいで』って言ってくれたわよ」


 そりゃあ、玲香さんにお願いされたらそう言うしかないでしょうよ。

 申し訳ないなあ、と思って伊知郎さんが家にいるときにこっそりその話をしてみた。

 すると伊知郎さんは

「ああ、それ。大丈夫だよ、ちゃんと聞いてる。そんなことより莉子さん、大事な入試でしょ。こんな時ぐらいちゃんと自分のことだけ考えなさい」

と善意100%の笑顔を向けてくれた。


 こ、この人たち本当にいい人だな……と感動に打ち震えそうになりました。

 特に伊知郎さん。「あなた本当に新川透の兄ですか?」と聞きたくなるぐらい、イイ人です。


 あ……えっと、これは『過保護』ではないですよ、多分。

 ある意味、新川透の暴走を抑える作戦とでも言いましょうか。実際、おとなしく引き下がりましたし、今日は黙々と数学の問題を解いているはずです。

 それに玲香さんは本当にコッチに用事があったみたいで、朝に私を見送った後、すぐに引き返していきましたから。付き添いの理由を無理矢理こじつけた訳でもないと思いますよ。

 問題は、ここから。


   * * *


「莉子ちゃん、夕ご飯はもうちょっと後でもいい? 連れて行きたいところがあるのよ」


 正門前に止まっていたタクシーを手で指しながら、玲香さんが言う。どうやら前もって呼んであったようだ。

 今は午後五時過ぎ。今日は横浜で夕食を取り、最終の新幹線で地元に帰る予定だった。


「はい、大丈夫です。でも、新幹線……」

「実は予定が変わって、もう一泊することにしたの。明日帰りましょ。……あ、運転手さん、とりあえず横浜駅方面に行ってください」

「えっ!? それはさすがにマズくないですか!?」

「大丈夫、伊知郎さんには連絡してあるから」


 いやいやだから、玲香さんに言われたら「うん」としか言えないでしょって……。

 あー、申し訳ないなあ。帰ったら絶対に伊知郎さんに謝らないと……。

 それに新川透はどうしてるんだろう。約束はしてないけど、きっと連絡を待ってるに違いない。

 そうだ、電話……。


「莉子ちゃん、ストップ!」

「はい!?」


 ガラケーを持つ手を玲香さんに止められる。


「透くんにはもうちょっと待ってね。話がややこしくなるから」

「は……」

「こっちの用事が終わってからで大丈夫」


 こっちの用事……んー、ひょっとして玲香さんの東京の用事ってこれから行く場所のことだったのかな?

 あれ? でも、横浜駅方面って言っていたような。電車で東京に行くのかな。


 よくわからないけど、玲香さんは私のためにならないことはしないだろう……と諦めて、私はおとなしく付いていくことにした。

 ……というより、走ってるタクシーからは降りられませんけどねー。あはは。

 あれっ、これって拉致された?

 まさか、新川透より先に玲香さんがやり遂げるとは! 予想外だ!


   * * *


「ここよ、莉子ちゃん」


 私の予想は大きく外れ、タクシーは横浜駅に着く手前、茶色っぽい外壁のビルの前で止まった。

 どうやら八階建てのマンションのようだ。焦げ茶と薄茶のレンガが組み合わさったような素敵な外壁の、何だか重厚感のある佇まい。一階はお洒落っぽいカフェ&レストランで、オレンジの温かみのある光が漏れている。二階も何かの施設が入ってるみたいだから……三階から上が居住区なのかな。

 そうか、この一階のカフェで夕食を取るつもりなのか。

 あれ? でも、食事は後で、とか言っていたような?


「こっちよ」


 やはりカフェに用事ではなかったらしい。玲香さんはカフェの入り口とは逆の、マンションの入り口に向かった。入り口には横文字の看板……だけど、英語じゃないな。無理やり読むと『バイト・フローレン』かな。

 ……って、これ、本当にマンションの入り口なのかな? ホテルのエントランスみたいだぞ。


 自動ドアを抜けると、茶色くて丸いローテーブルとベージュの四角いソファが点々と並ぶラウンジ。

 そして……ふ、フロント!?


 その焦げ茶色の木目のカウンターの向こうでは、紺色の制服を着た品のいいアラサー女性がピシッと背筋を伸ばして立っている。私と目が合うと、ニッコリと微笑んでくれた。どうも、と慌てて会釈をしたけれども……。

 これ……あれか、コンシェルジュってやつか!


「いらっしゃいませ」

「新川です」

「伺っております。どうぞ、ご自由にご覧下さい」


 玲香さんが慣れた様子でコンシェルジュからカードキーを受け取る。

 そうか、玲香さんのセカンドハウスなのかな。どうやら玲香さんてお嬢みたいだから。


 フロントの反対側は、先ほど見たカフェの出入り口になっていた。外からとロビーから、どちらからでも入れるようだ。

 ちょっと覗いてみると、何人かの女の人が食事をしている。でも女子会という感じではなく、一人一人バラバラだ。服装もきちっとしてるし、何だかキャリアウーマンっぽい。


 奥のエレベーターに乗り、八階へ。

 チンと澄んだ音が鳴り、ドアが開く。うーん、廊下はカーペットが敷き詰められてるし、本当にホテルみたいだなあ。

 何かいい香りが……あ、この所々に飾られているお花の匂いかな。


 近づいてみると、それは精巧に作られた造花だった。甘やかな香りを染み込ませてあるらしい。確かに生花だったら掃除が大変だよね。

 他にも油絵が飾られていたり、素敵な装飾のランプが置かれていたりと、とにかくお洒落だ。さすが玲香さんだなあ、と感心しつつ後をついていく。


 玲香さんは二つ目の扉の前で足を止めると、カードキーを差し込んだ。カチリと音がして、扉が開く。


「莉子ちゃん、さぁどうぞ」

「はい……お邪魔します」


 ぺこりと頭を下げてから玲香さんの後をついて恐る恐る中に入る。

 オフホワイトの壁とフローリングの真っすぐな廊下、そして爽やかなシトラスの香りが私を出迎える。玄関の左手にはシューズボックスがあり、飾り棚を挟んで天井まで続いている。飾り棚には藤色の造花があしらわれた瓶にスティックが何本か差し込まれていた。香りの元はコレのようだ。

 そして奥の扉に続く廊下の右側には、扉が二つ。


「ここはトイレとバスルームよ」

「へぇ……」


 人の家のトイレを勝手に覗くのも失礼なので、そのままスルーする。

 玲香さんに続いて奥の扉から中に入ると、十二畳ほどのフローリングの部屋が。左手の角にミニキッチンがついていて、中央にはオフホワイトに茶色の蔓のような絵柄のラグ。その上には小ぶりの正方形のローテーブルとワインレッドの三人掛けぐらいのソファ。 

 ソファと向かい合うように置かれたテレビは、多分30インチはあるな……。壁がほぼ全部棚になっていて、言うなればテレビ台とチェストと本棚が一体化したような感じ。テレビが誂えたようにピッタリと収まってるから、きっとテレビに合わせてこしらえた物なんだろう。


 ふと、棚の右手に目をやると、もう一つドアが。


「こっちは寝室よ」


 玲香さんがそのドアを開けて案内してくれた。

 覗いてみると、八畳ほどのフローリング。窓際にはセミダブルのベッドと、焦げ茶色の木目の机が置かれていた。パソコンとかするのに便利そう。

 壁にはすべて机と同じ色の扉と取っ手がついているから、きっと全部クローゼットなんだろう。


「わぁ、可愛いし、素敵ですね!」

「気に入ってくれた?」

「はい。クローゼットがこんなに広く取ってあるのも珍しいですね。そういえばシューズボックスも大きかったし……女性向けなのかな?」

「さすが莉子ちゃん、鋭いわね。ここは女性専用マンションなのよ。コンシェルジュが24時間体制で待機しているし、セキュリティもしっかりしてるわ。玄関の扉もオートロックよ」

「わ、凄いですね! 男性は立ち入り禁止なんですか?」

「勿論よ、ロビーで止められるわ。親族ですら事前に許可がいるし、引っ越し等の理由でしか立ち入れないの」

「ふうん……」


 寝室を出て、リビングに戻る。玲香さんがオレンジと白いレースのカーテンを同時にシャッと開けた。いつの間にか外は真っ暗で、横浜の夜景が広がっている。

 外はベランダになっているようだ。またその手すりもお洒落。無骨な縦の鉄骨ではなく、茶色に塗られた金属が縦に横に斜めにと幾何学模様を作り出している。


「はぁ、何から何までお洒落ですね。素敵……」

「家具は備え付けだから、私はまだあまりいじってないんだけど。……でね、莉子ちゃん」


 玲香さんは振り返ると、ニッコリと微笑んだ。


「春から莉子ちゃんにここに住んでもらおうと思ってるんだけど、どうかな?」

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