第6話 納得いかない
初めて男の人の部屋にお泊りしたの……❤
と、色気たっぷり(あくまで自社比較)で始めてみたけれども、無駄ですね。私の中の女の部分の何かが目覚めた、ということは特になかったです。
昨日までの仁神谷莉子と今日の仁神谷莉子、なーんにも変わっておりません。特に目がキラキラした訳でもなく、肌がツヤツヤした訳でもなく。
何しろ、びっくりするぐらいよく眠れた。起こされたときには完全に大の字で、寝ぼけ過ぎて最初どこにいるのか全くわからないくらいだった。
これ以上ないぐらい危険人物の傍だったはずなのにこんなに安心して眠ってしまうなんて……不覚。
「いやん、ドキドキして眠れなかった……❤」
みたいな乙女成分、どこに行ったのかなー。私の中にはカケラも残ってないのかなー。おーい、帰ってこーい。
ベッドから降り寝室からぽてぽてと歩いてリビングに顔を出すと、新川透はこれ以上ないぐらい上機嫌に鼻歌を歌っていた。そして「莉子、おはよー」と言いながらダイニングテーブルにホットコーヒー、サラダ、できたてフレンチトーストを並べてくれた。
朝から爽やかなんスね。そっちのタイプかー。やっぱり体育会系なのかなー。
とか思いながら、ボソボソと用意してくれた朝食を食べた。
そしてその後、新聞配達に間に合うように車でアパートの近くまで送ってくれた。
何て言うんだろうな、男の人の家でお泊りというのは、もっと一大イベントなモノだと思ってたんだけど、思ったりスムーズだったな。
いや、スムーズというよりは、訳がわからないうちにイベントをこなしちゃった、という感じだろうか。
その後予備校に行くと、あちこちで盗撮話で持ち切りだった。生徒たちの噂話を拾い集めてまとめてみると……新川弟が拾ったスマホが新川透の手に渡り、それが誰の物かを覚えていた新川透がピンポイントで捕まえた、ということらしい。
人のスマホなんてよく覚えてるなあ、と改めて感心した。この予備校では模試の際に試験官が生徒のスマホを集めて管理する決まりらしいから、そのおかげかもしれないけどね。でも、私には無理だなあ……。
使っている最中で私が取り上げたもんだから、当然スマホにロックはかかっていなかった。
本人の目の前で本人プロフィール、および証拠の写真を確認させたらしい。
幸い、彼は殆ど盗撮に成功しておらず、被害者はいなかった。当然、ネットに流出した写真も一枚もなかった。よって予備校としては警察への通報はしなかったそうだ。ま、外聞が悪いからね……。
そしてその日の夜に両親が呼び出され、彼は当然、その場で退学処分になった。
私の活躍でこの光野予備校に平和が訪れたのよね!
と胸を張りたいところだけど、昨日のお仕置き(だよね、多分)が超コワかったので、とてもじゃないけど胸なんて張れない。
でも、これで女の子達がトイレで怖い思いをしなくて済んだんだから、本当によかったな、と思う。
そして今日も、7階女子トイレにはプリントがあって……例の東大選抜用とおぼしき物理の問題だった。
まぁ、今日は個別指導の日だし、また聞くしかないなあ……と思いながら背中のクリアファイルにプリントを入れていると、廊下でパタパタパタッという軽めの足音が聞こえてきた。
多分、女の子だと思い、私は慌てて清掃服を着直した。
「あのっ……あれっ!?」
現れたのは、古手川さんだった。例の、ミネルヴァ嫌いのショートカットの眼鏡の女の子だ。
私と目が合うと、不思議そうにキョロキョロと辺りを見回している。
「あの……忘れ物、ありませんでしたか?」
「え……?」
忘れ物というと、個室の中だろうか。
女子の場合、扉の内側のフックに生理用品が入った巾着袋を引っかけてそのまま忘れてしまう、ということがあったりする。
そう考えて個室を覗こうとすると
「あ、違います! 洗面台に……プリントがあったはずなんですけど」
と彼女は言った。
……あれ!? 彼女が、ここんところずーっとミネルヴァにお願いしていた人?
そのプリントは今、私の背中にあるけど……。
えっ!? あれっ!? 何かおかしいぞ!?
「うーん、アタシが見た時はぁ、もうなかったねぇ~」
山田さんの喋り方を真似してみる。ちょっとオーバーな気もしたけど、彼女は私が掃除のおばちゃんであると信じて疑わなかったようだ。
「……ちっ……そうですか……」
え、ちょっと、アナタ今、舌打ちしませんでした?
それに、前に見たときのようなすんごい嫌なオーラを出してるよ?
古手川さんは「ありがとうございました」と機械的に言っておざなりに頭を下げると、タタタッと走り去っていった。
うーん、彼女が依頼主だったのかあ……。彼女、ミネルヴァが嫌いなんだと思ってたけどなあ。
本当はミネルヴァを頼ってたけど、それを知られたくなくてあんな過剰に反応してたのかなあ。
……うーん?
* * *
「……でね、あの東大の課題、古手川さんだったんだよねー、多分」
「……」
「びっくりしたなー。彼女、ずーっとミネルヴァじゃないかって疑われててうんざりしてたみたいだからさー」
「……莉子、そのことだけど」
私の話をしばらく黙って聞いていた新川透が、飲んでいたコーヒーカップをトンとテーブルの上に置いて、真面目なトーンで口を挟んだ。
「いい機会だから、これでミネルヴァを止めた方がいい」
「……え?」
意外なことを言われて、びっくりする。
だって、ここしばらくは彼女しか依頼がなかったけど……盗撮騒ぎが解決した今、また元のようにいろいろな人から頼まれるだろう、と思ってたし。
やっと『トイレのミネルヴァ』本来の力を発揮ね!……と張り切ってたんだけどな。
何でだろうなあ。言い出したからには明確な理由があるんだろうけど、どうも話す気はないようだ。
とはいえ、「はい、わかりました」と素直に引き下がる私ではないしねー。
「えっと……あー、理数系の難しいの、解けないから? 新川センセーに頼ってばっかりだから?」
「そうじゃなくてね」
「じゃあ……何で?」
「莉子もそろそろ自分の勉強に集中しないと駄目だろ。もうすぐ記述模試があるし……そこである程度の結果が出せなかったら、志望しているY大学は厳しいぞ」
「えーと……私、そんなにマズい状況?」
「マズいってこともないけど……」
新川透はいつになく歯切れの悪い様子でモゴモゴ言っている。
マズくもないのに「ミネルヴァを止めろ」と言う。
最初にやらせたのは、そっちのくせに。
「……何で? 彼女のはちょっと大変だったけど、他のは大丈夫だよ。自分の確認にもなるし……」
「うーん……」
「ねぇ、何で? ちゃんと説明……」
「――いいから。何で何でと子供みたいなことを言わないでくれ」
急にビシッと突き刺すような口調で私の言葉を遮る。咄嗟に身体がビクッと震えた。
私と目も合わせずに、ただただ拒絶した。こんなことは初めてだった。
思わずギュッと、すっかり冷たくなってしまったコーヒーカップを握りしめる。
何でそんな高圧的な言い方になるのさー!!
子供みたいって……そりゃ7つも下だし、子供に決まってるでしょ、新川透から見れば!!
何で急にそんな見下すような言い方をする訳!?
むうう、と睨みつけていると、新川透がハッとしたように顔を上げた。目が合うと、「ヤバい」と思ったのか強張った顔が少し緩み、笑顔を張り付ける。
でもそれは、一般向けの聖人君子スマイルだ。いつもの私への笑顔じゃない。
「とにかく……たまには俺の言う事を素直に聞いてくれよ……」
そうボヤくように言うと、小さな声で「悪かった」と呟きながら、新川透が私の頭に手を伸ばす。
私はその手を、パシッと右手で払いのけた。
だって、違うもん。何かを誤魔化そうとしている。
いったい何なんだよ。何か後ろめたいことでもあるの?
今までだったら、子供だからわからなくて仕方ない、みたいな切り捨て方はしなかった。
ちゃんと一人の人間として、私の言い分……変な言い訳になっちゃう時ですら、聞いてくれてたじゃんか。
「とにかく、私はやめない」
「莉子……」
「でも、新川センセーに頼らずにできないと意味がないよね。ごめんなさい」
「そういうことじゃ……」
「だから、自分でできない、と思ったらちゃんと断る。でも、できると思えたらちゃんとやるから」
「莉子……」
「何!?」
私がギロッと睨みつけると、新川透は「ううん……」と唸ってしまい、またガックリと項垂れてしまった。
納得できない限り私は動かない。それぐらい、わかってくれてると思ってた。
なのに、やっぱり説明する気はないのか。
ぷうう、と膨れていると、新川透は
「……仕方がない。とりあえず当面はそれで……」
と言い「ふうう」と大きな溜息をついた。
溜息つきたいのは、こっちですー!!
何なんだよ、その「大人の俺が折れてやるよ」的な態度は! 何で説明を放棄するんだよ!
そっちがその気なら、こっちだって譲りません。
もう、知ーらない!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます