第13話 バトル勃発、カオスだよ!

 な、何でだー! どうしてここにいるの、新川透!

 仕事って言ってなかったっけ? それに、タブパソはちゃんと置いてきたよ。

 しかも今日松岡さんに会うことは、恵にも桜木社長にも言ってないのに。

 こ……怖い。怖すぎるんですけどー!


 私が呆然としている間に、新川透は松岡さんと小坂さんとの名刺交換を終え、ちゃっかり私の隣に座っていた。

 こ、これから何が始まるの……。どうしよう、展開に全くついていけない!


「新川透様。勿論、調べさせていただきました」


 小坂さんはそう言うと、ニッコリと微笑んだ。再び眼鏡の奥がキラリと光る。


 こ、こっちも怖い! 何で新川透のことまで調べてるの!?

 あれ、私は新川透との関係(と言っても何もないけど)をずっと隠してるつもりだったんだけど、いつの間にか公認だったの? ……んな訳ないって! 


「留学経験があり、語学も堪能。大学は首席でご卒業されたとか。医師免許を持ち、製薬会社の内定を取られたというのに……光野予備校に急遽就職先を変えられたそうですね」

「ええ」

「莉子様のために」

「……ええ」


 あらっ、何かさり気なく凄い事実が暴露されたような。

 私の、ために……? 急遽、変えた……?


「へっ!?」


 思わず左隣の新川透を見上げると、

「莉子には内緒だったんですけどね」

と苦笑しながら、私の左手をとり、ギュッと握った。

 ちょ、あんた、人前で何をする!

 あ、婚約者設定だから!? いやいや、やり過ぎだろ!


「新川様、婚約者というのはどういうことでしょうか?」

「莉子はまだ若いですし、正式なものではないですけど。我が家では両親も認めていますし、莉子が大学を卒業したら新川家に迎えるつもりでいます」


 がーっ、こっちはこっちで凄い設定をぶちこんできたー! 何がどうなってるの!? これは何の戦い!?

 それでもって、私はどうすればいいんだ?


「ね、莉子」

「う……うん……」


 うわっ、こんなところで小躍り莉子が前面に出てきたー! 何、デレデレと頷いちゃってんだ! 

 でも仕方ないって! だってさっき、よぎっちゃったんだもん。

 新川透がいるから、婿取りとか無理だって!

 よっ、ラブラブね! ……って、違ーう!


「それは婚約とは言えないですね。それに……結婚していない場合は淫行条例が適用されますよ」

「……は?」


 自分が何度も盾にしてきた『淫行』という言葉。それが小坂さんの口から飛び出してきて、私は思わず声を上げた。

 え、『淫行条例が適用』……新川透が? え?

 

「それは、どういう……」

「十八歳未満の青少年との性行為は合意の有無に関わらず処罰される、ということです。つまりこちらとしてはどれだけでも手は打てる、ということですね。、そんな必要はないですが」


 小坂さんが銀縁眼鏡の奥の瞳にイヤな光を宿らせながら、淡々と答える。

 その瞬間、私の額の青筋が十本ぐらいまとめてキレた。

 頭の芯がすうっと冷えるのを感じる。


 ――婚約の話が本当なら淫行条例で訴えますよ。婚約の話が嘘ならあなたに口を出す権利はありませんよね。松岡家に入ってもらいます。


 そういうことか。

 何てことを。ヤリ手だか何だか知らないけど、言っていい事と悪い事がある。

 こんな私の個人的な事情のせいで、新川透が犯罪者に仕立て上げられるなんて。


「小坂さん。私達、何もないです」

「何も……とは? ご婚約が、ですか?」

「いいえ。性行為が、です。私、処女なので」


 その瞬間、松岡さんがブフゥッと勢いよくコーヒーを吹き出し、新川透がグッと喉を詰まらせたのがわかったが、小坂さんはうっすら微笑んだまま殆ど反応しなかった。


「産婦人科で証明できますよね。……あ、新川病院だと真偽を信用して頂けないかもしれませんね。何でしたら小坂さんが病院を指定してくださって構いません」

「そこまでして、彼を守りたいのですか?」

「守るとかいうことではなく、処女なのは事実ですから。淫行条例の被害者とされる私が否定し、既成事実がないという明確な証拠がある。そんな状態で新川先生の罪をでっちあげられるとは、思えませんけど」

「……」

「新川先生は、本当にずっと私を待っててくれてるんです。侮辱するのはやめてください!」


 これは本当。ずっと待ってる。――私の18歳の誕生日を。


 ……っておや? これはこれで何かおかしいような?

 と、一部のプチ莉子ズがひょろっと出てきたけど、私はもう止まれなかった。


「とにかく――私は、松岡家には行きません!」


 よっしゃ、コレコレ! ここが大事なのよ!

 バーンとテーブルを叩いて、言ってやったぜ!


 しばらくの間、睨み合いが続いた。

 ――やがて小坂さんはフッと息を吐き、隣に座っている松岡さんの方を見た。わずかに笑みが浮かんでいる。

 でもその笑みは、さきほどまでの小馬鹿にしたようなものではなくどこか優しさが滲みだしている。


「専務、こちらは本当に恋人同士のようですね」

「あ、うん……」

「今日のところは、引かれた方がよろしいかと」

「え……?」


 何だ? さっきまで蛇がじりじりと近づいてくるような雰囲気を纏っていた小坂さんが、急にマイルドになったぞ。

 松岡さんも、どこか安心したような表情だ。


「あの……?」

「実は調査をした結果、莉子様が新川様に纏わりつかれて迷惑をしているのではないか、と愚考しまして」

「え……」


 纏わりつかれて迷惑……? ストーカー、みたいな? 

 それって、いったい……。


 恐る恐る左隣を見上げると、新川透が少しだけ口の端を上げたまま小坂さんをじっと見据えていた。


 こ、これは魔王スマイル! 悪巧みしているときだ!

 ちょ、ちょっと、なぜそこで笑えるの? 新川透、あんたストーカー認定されてたんだよ!?


 しかし当の新川透は落ち着いたもので、小坂さんの台詞にも眉一つ動かさなかった。うっすらと微笑を浮かべたまま、「ふっ」と軽く吐息を漏らす。


「とんでもない疑いをかけられたものですね」

「ですが、本日もこうしていらっしゃいましたし」

「莉子から日時を聞いていましたので」


 うわっ、するっと大嘘を放り込んだー!

 そしてどうやら少々カチンときているようだ。

 そりゃそうか。ストーカー扱いだもんね。


「そうですか。ですが『紙一重』な状況でしたので、まさかとは思いましたが念のため莉子様の意思を確認したかったのです。ですが……どうやら杞憂のようですね」


 えーと、GPSは付けられてます。盗聴されたこともありましたし、確かに色々ありますね。

 私のために予備校に来たのなら、そのとき既にいろいろな情報は仕入れていたことになりますし。

 はは、あはは……。

 って、新川透、そんな疑いがかけられるほど裏で何かやってるの? そっちの方が怖いんですけど!


「そうか……本当に恋人だったんだね」


 松岡さんがひどくガッカリした様子で溜息をついた。


「すぐにでも莉子さんを連れて行きたかったんだけど……」

「専務。調査を進めるうちに気持ちが募ったのは仕方ありませんが、若い恋人同士の仲を裂くようなことはお止めください」

「……そうだね」


 ひぃ、こっちはこっちで拉致する気マンマンだったとは!

 ちょっとお母さん、本当にこの人のどこが好きだったの?

 確かに、地元まで追いかけてくるぐらいの熱意と行動力はある人だけどさ。


 だけどそんなこと言ったら、お母さんは

「あんたこそ、ストーカーの疑いがかけられるような人のどこが好きなの?」

って返すだろうな。

 アハ、親子ダネー。


 えーと、つまりだ。

 松岡さんは、私がもし間違って「うん」と言ったら速攻で引き取るつもりだったけど、小坂さんが私の意思確認をしたうえで止めてくれたってことだ。

 何だそりゃ! 私の知らないところで何のバトルが繰り広げられてるのよ!


「でもね、莉子さん」


 松岡さんは残念そうに溜息をつきながらも、どこか穏やかに微笑んでいた。


「松岡家に迎えたいという話は本当だからね」

「だから、行きませんって……」

「さっき小坂は『しかるべき殿方』と言ったけれど」


 松岡さんが、ピッと新川透を指差す。


「見所がある人材であれば――松岡建設に有益な人材であれば、彼でも構わないんだから」

「なっ……」

「それはなかなか興味深いお話ですね」

「聞くかい? 新川くん」

「ええ、是非」

「ば、バッカじゃないの!?」


 思わず地が出て、大声を上げてしまう。

 ハッとして慌てて口を押えたけれど、小坂さんは口の端をヒクヒクさせていて、新川透はニヤニヤ。

 そして松岡さんは……とても嬉しそうに「はははっ」と笑っていた。


 いやいや今のは新川透に言っただけで、お二人には何も……。

 この、バカ莉子! 冷静キャラはどこに行った!


「莉子さんは、本当に多恵によく似てる」

「え?」

「よくそうやって怒られたなあ、と思ってね。また、会ってくれるかい?」

「え、でも……」

「莉子様、DNA検査は受けてくださいね」

「小坂、それはいいだろう。莉子さん、わたしのことは親戚のおじさんとでも思ってくれればいいから」

「あの……」

「いえ、専務。いざという時に必要になるかもしれません」

「僕としてはその『いざという時』に勝手に連れて行かれても困るのですが」

「ちょっと……」

「そんなことはしないよ、さすがに」

「では、莉子がその気になったらご連絡します」

「なかなかお話の分かる方のようですね、新川様は」

「だから新川センセー、ちょっと勝手に! 話を進めないで!」


 何だ、何だ、何で男三人で意気統合してるのよ?

 冗談じゃないって!


「私は、ちゃんと自分の力で生きていきたいの。裏で勝手に何かやったら、承知しないから!」

「そうだね、莉子は頑固だから」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「ははははは……」


 私と新川透のやり取りを見て松岡さんがますます楽しそうに笑っている。

 小坂さんは溜息をついて眼鏡のブリッジを押さえたが、その目尻はわずかに下がっていた。


   * * *


「莉子様。今回の話を最初に持ち出したのは、会長ご自身です」


 別れ際。松岡さんがクロークに預けた荷物を取りに行くために席を外している間のこと。

 小坂さんが私と新川透を見比べながらゆっくりと口を開いた。


「会長……松岡さんの、お爺様ですか?」

「はい」


 それっていわゆる二人を別れさせた張本人、だよね。

 どうして……。


「高校を辞める決断をされた莉子様を『胆力がある』と評し……また、憂いてもいました」

「え……」


 そして小坂さんが、深々と頭を下げる。白髪交じりの頭が私の目線よりもずっと下に来る。

 驚いて何も言えず、まじまじと見下ろしてしまう。


「十八年前、多恵子様に浩司様と別れるよう話をしたのは、わたしです。申し訳ありませんでした」

「……」


 そうか。だからこの人は、私を挑発するようなことを言ったのか。

 私が言いたいことも言えずに流されてしまわないように。ちゃんと、決断できるように。


「多恵子様はただ一言、『本人が自ら来ず、家族が恋愛の後始末をするような家ならこちらから願い下げです』と仰られて」

「え……」

「……完敗でした」


 そのときエレベーターがチン、という軽やかな音を立てた。扉が開き、松岡さんが現れる。

 小坂さんはすでにピシッと背筋を伸ばした元のスタイルに戻っていた。


 ひょっとして小坂さんは、会長であるお爺さんの命令で裏でいろいろ動いていたんだろうか。松岡さんの知らない間に。


「それでは莉子さん、これで。東京に来たら、必ず連絡してくださいね」

「……はい」


 ここで固辞してもおかしいことになるし、と私はおとなしく頷いた。

 松岡さんはホッとしたように微笑むと、新川透にも会釈して足早に立ち去って行った。小坂さんも深くお辞儀をし、その後を付いていく。


 これにて一件落着……で、いいのかな。

 何かいろいろ見落としているような気もするんだけど。

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