第13話 惑い惑わされ……って違う!

 さて、現在私は新川透に後ろから羽交い絞めにされています。

 そう、羽交い絞めです。ハグと認識すると頭のネジが2、3本ぶっ飛びそうなのでやめておきます。

 これはアレですね、

「犯人、確保ー!!」

ってやつね。そっち、そっち。

 でも、逃げも隠れもしないのでそろそろ解放してほしいんですけど。


「あの、いいかげん離……」

「嫌だ。それよりさ、莉子」


 ちょっと! 普通に会話を続けようとするな! 人とは目と目を見てお話ししましょう、って習いませんでしたか?

 落ち着かないんだけど! これはあれか、またもやお仕置きか!

 でも今回ばかりは、私はお仕置きされるようなことはしてないぞ!


 ……と思っていたら、新川透が


「莉子も内緒にしてたよね」


と、やや低めの声を出した。

 あの、耳元で喋るの止めてもらえませんか。正常な思考回路が停止しそう……。


「えーと、何を?」

「玲香さんのこと」

「あっ……」


 ヤバい、それがあったかー!

 いやでも、待てよ。単にアパートの隣に住人が引っ越してきたことを黙ってただけじゃない。

 それはそんなに悪いことじゃないよねー。うんうん。


「だって、単なるお隣さんだし……」

「その単なるお隣さんが、何で恵ちゃんの文化祭にまで付いてきたの?」

「えーと、それには紆余曲折があって……」

「勿論、俺の高校の先輩だって知ってるよね?」

「知ってる。だから……」

「だから?」

「……っ!」


 思わず言葉を飲み込む。

 うがぁ、このバカが――! 何をポロッとこぼしてんだ!

 と、武闘派プチ莉子がデロデロになっているプチ莉子に壮絶なラリアットをかましたけど、もう手遅れ。


「何でもない!」

「何でもなくはないよね。だから、何?」


 あぐー、ミスった……。

 プチ莉子ズが「あーあ、やっちゃたねー」「終わったねー」と口々に言いながらぽむ、と肩を叩く。


 あう、やっちゃいましたね。新川透は、絶対に逃がしてくれないから。

 白状するしかありません。


「……知りたかったの」

「何を?」

「高校生の頃、どうしてたのかなあって……」


 新川透は私より七歳も年上で、大人だ。私はてんで子供で、だから新川透が考えてることなんて全然わかんないことが多くて。

 でも、私と同じぐらいの年齢だった頃にどうしてたか知ることができたら、少しは解るんじゃないかなって。

 そう、思ったんだよ。


「……莉子」

「何?」

「相手のことを知りたいと思うのは、独占欲の始まりだよ」

「ちっ……違うし!」


 私はジタバタ暴れてみた。そうだ、この体勢がよくない。だからおかしなことを口走るんだ。

 しかしちっぽけでガリガリの私がちょっと暴れたところで、新川透はビクともしない。

 あうー、好みの腕が目の前にあるのも困るんですよー。デレデレの方のプチ莉子が喜んじゃって、もう。

 いやいや、そんな場合じゃない。きちんと反論しないとね!


「恵だって聞きたいって言ってたもん!」

「それはまた別の種類の感情だね」

「都合よすぎ! 私もその別の方!」

「そうじゃないことを願うね。……それと」


 新川透の腕に込められた力が強くなる。

 うぐっ、ちょっと締まってます。このままオトす気ですか。


「内緒にされた事を怒るのは……自分にだけは教えてくれというのは、所有欲の表れでもある」

「そ、そんなんじゃないし!」


 何スか、所有欲って!

 それは、あれ? 自分の物にしたいってやつ? 新川透を? 私が?

 ガガガーッと熱が顎から目頭まで上がっていくのがわかる。


 違う、絶対に違う! だから、この体勢が悪いんだよ。マトモな思考能力を奪う……。

 そうか、これが洗脳ってやつか!


「とにかく、はーなーしーてーよー!」

「まぁお仕置きだと思って、しばらくこうしてて」

「やだよ! 何でそんな……」

「多分、嬉しすぎて尋常じゃなく顔が崩れてるから」


 何それ! 見たい!

 ……じゃなくて、とにかくソレ違うから! 嬉しがる要素、どこにもないし!

 勘違いだし、誤解だから!


 あれ、何かを決定的に間違えたのは、新川透じゃなくて私だったの!? 一体どこから!?

 赤いペンを持った優しい親切な先生、事細かに添削してくださーい!


   * * * 


 そして、すっかり日も暮れてから私は自分のアパートに帰ってきた。

 新川透がなかなか離してくれず……って、ずっとあの状態だった訳じゃないよ?

 玲香さんとどうやって知り合ったのか、どんな話を聞いたのかを詳細に聞かれただけです。

 何にもありません。ご心配なく。


 何もないけど……何かが今までと違ってきたような、そんな変な感覚だけはある。

 ただ、胸の中のモヤモヤとかイライラした感じが、嘘のように消えていた。

 新川透からちゃんと話を聞けたから、安心できたのかもしれないな。

 うん、きっとそうだ。


 何だか、今日は疲れてしまった。大掛かりな変装と緊迫した潜入作戦を決行したんだから、無理もないか。

 買い置きしてあるカップ麺で夕飯を済ませよう、とポットのお湯を注いだところで、私のガラケーから軽快な音楽が流れてきた。

 慌てて開いてみると、玲香さんからのメールだった。


『あのあと大丈夫だった? 詳しい話を聞きたいけど、今日は夜から出張でしばらくアパートに帰って来れないの』


 ははは、そうだね、玲香さんの目の前で拉致されたからね、私……。

 あのとき玲香さん、目を真ん丸にしてたっけ。そう言えば、新川透と玲香さんって何年ぶりに顔を合わせたんだろう。よく玲香さんだってわかったよね。

 まぁでも、私の変装を骨格で見破る人だからねぇ……造作もないか……。


『大丈夫です、もうアパートに帰ってきました。ご心配おかけしました』


 とりあえずそう送ると『また今度話を聞かせてね』とだけ返事が返ってきた。

 日曜日の夜もお仕事かー。玲香さん、本当に忙しいんだなあ。

 それなのに時間を割いて潜入作戦に付き合ってくれるなんて、良い人だなあ。まぁ、本人もだいぶん本気で楽しんでいた気はするけどさ。



 新川透は、小林梨花と明日の夕方に話をするそうだ。

 恵の高校は、今日が文化祭だったから明日の月曜日は代休となる。だから新川透は、自分の授業が終わった後の夕方にちゃんと話をしようと言って、彼女を振り切ってきたらしい。


「だから7時には間に合わないかもしれないけど、マンションには必ず来てね」

「えー……」

「鍵を使って入っていいから。絶対だよ」

「……うん」


 妙に念を押されたので、仕方なく頷いた。確かに、小林梨花とどういう話をしたのかは気になるし。

 そう言えば、小林梨花は新川透に振り切られた後、どうしていたんだろう。まさか私を抱え上げる新川透を目撃したんじゃないだろうか。そりゃ、違う門から出たし、あのとき周りには誰もいなかったけどさ。

 うー、心配だなあ。新川透も、何だってそんな派手なことをしたんだか……。

 小林梨花がそのあとクラスの方に戻ったんなら、きっと恵とも顔を合わせたはずだよね。


 ふと見ると、恵からの着信履歴がすごいことになっていた。最後のメールは『フザけんな、ちゃんと教えろや』と半ば脅迫のような文面になっている。


 ひぃ、そうだよね! 急に私、帰っちゃったもんね!

 ごめん、恵! でもね、私も大変だったんだよー!

 ……と、そんな言い訳を心の中でしながら、私は慌てて恵に電話をかけた。


“この、バカ莉子――!”


 もしもし……と告げる間もなく、恵の怒声が響き渡る。

 あう、何かすごく怒ってる!


「わー、ごめん!」

“どうなったのよ、結局!”

「えーと……現場を覗いてたら、新川透にバレちゃってマンションに拉致された」

“はぁっ!?”


 とにかくちゃんと説明しなさいよ!と、電話の向こうで凄まれ、私は今日目撃した小林梨花と海野くんのことをポツポツと語り始めたのだった。

 ……お湯を入れていたインスタントラーメンのことは、すっかり忘れて。



 ああ、もう、どうしてこんなに次から次へと色々起こるんだろう!

 新川透と出会ってから、毎日が目まぐるしすぎるんだけど!


 そうは言っても、じゃあ出会う前に戻りたいかと聞かれれば……きっと「嫌だ」と答えると思う。

 理由? それは単純に、毎日が楽しいからだよ。

 毎日疲れるけど、夜はぐっすり眠れている。

 バタバタしてるけど、充実してるし、ちゃんと笑えてるから!

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