第3話 脅されてる?

「びっくりするぐらいシンプルだね」


 パチンコ屋の駐車場で私の姿を見つけるなり、新川透はそう言って頭のてっぺんからつま先までジロジロ見た。

 ショッピングセンターで3枚1000円で買った白いTシャツに、ブルージーンズ。白いスニーカー。

 これに黒いリュックを右肩に背負う、というのが私のいつもの格好だ。


「動きやすいですから」

「スカート履かないの?」

「服の上下の合わせ方とか考えるのがめんどくさいんです。それよりどこで話をするんですか?」


 私の服装なんかどうでもいいだろうが。

 パチンコ屋で話をするのかな? まぁ間違いなく生徒も先生もいないだろうしね。ちょっとうるさいけど。


「昼飯奢るって言ったでしょ。乗って」

「嫌です」

「えっ!」


 即答すると、心の底から驚いたように新川透が目を見開いた。

 あのねぇ……初対面の男の車に乗る訳ないでしょ。

 ただでさえ自分を脅すような人間のさ。

 これは自意識過剰とかいう問題じゃないと思う。常識の範疇ではなかろうか。


「何もしないよ?」

「見知らぬ人の車になんて乗れません」

「見知らぬ人、はひどいな。同じ職場なのに」


 新川透はそう言うと、意外なほど傷ついたような顔をした。


 ……やめてくれる? 無駄にフェロモン振りまくの。

 私も一応女子なんで、イケメンの縋りつくような目にはキュンときます。

 ……って、馬鹿な事考えている場合じゃないな。


「そんなに心配なら、スマホで動画撮影してていいから。それならいい?」

「スマホ持ってません」

「えっ!!」


 今度こそ本当に驚いたようで、新川透は目を真ん丸にして私をマジマジと見た。


「今時そんな……」

「ガラケーならあります。ですので、お言葉に甘えて録音はさせていただきます」


 ここまで言うなら、大丈夫だろ。

 私はカバンから母の形見のピンク色のガラケーを取り出した。ボタンを押す。

 新川透がさっと助手席のドアを開けてくれた。


 うわ、紳士……。やっぱり慣れてるのかなあ……。

 それにしちゃ、車はちょっとボロかったな。バンパーに疵がある、だいぶん型落ちっぽい白い車だ。

 金持ちのボンのはずなのにねー。


 私を助手席に乗せた後、新川透は優雅な身のこなしで運転席に乗り込んだ。

 そして私たちを乗せた白い車はゆっくりと走り始めた。


「さて、何が食べたい?」

「ご飯はいいです。それより要件を早く言ってください」

「まぁ、いいから」

「全然よくないです」


 何なんだ、いったい。私はドライブをしに来たんじゃないんだけど。

 どうやら自分の要件はまだ言いたくないようなので、私は仕方なく自分の疑問を口にした。


「何で私が若いってわかったんですか?」

「そりゃ、お尻が違うからね」

「…………はっ!?」


 この王子様の口から『お尻』なんてワードが出てくるとは思わず、大声が出る。

 新川透は、何だかニヤニヤしているけど……ちょっと生徒達には見せられないぐらいヤバい顔してますよー。本当に同一人物かな?

 おい、こら。録音してるの忘れてるんじゃねーのか。


「おばちゃんとはそりゃ違うよー。上がってるし、ハリがあるし」

「し……信じられない!」

「何が」

「だって、そんな……」

「俺をどう見てたのかは知らないけどね。男なんてこんなもんよ」

「……」


 いやそりゃね、女子生徒に向けるあの聖人君子スマイルが本物の笑顔だとは思ってませんよ。

 だけどさあ……。

 ……ってこの人、私の前で繕う気はないのかな?


「生徒が知ったらびっくりするだろうな……」

「かもね」

「いつもにこにこ、紳士な新川センセーが……」

「仕事だからね」

「……え」


 彼の『仕事だからね』という声が思ったより冷めた感じに聞こえて、私は新川透の整った横顔をまじまじと見つめた。


「生徒は金を払って予備校に来てる訳。言うなれば、お客様。売り物は、俺の知識だったり言葉だったり……とにかく、俺自身。当たり前だろ?」

「まあ……」

「生徒が勉強する気になる環境づくりだって業務には含まれる。俺の私情なんてもってのほか。大事に扱うことが需要なんだよ」

「……」


 確かにな、と思った。

 高校に行ってた頃、機嫌がいい時と悪い時で全然違う先生っていたな。生徒によって態度を変えたり。予習不足なのか、誤魔化したようなことを言ったりさ。

 教えるプロなんだからちゃんと指導しろよ、と思ったっけ。


 その点で言えば、確かに新川センセーは徹底してる。イケメンだから人気があるんじゃなくて、授業とか生徒対応とか、そういうの全部込みなんだ、ということはここ数か月の様子で私にもわかっていた。


「……で、何でこんな若い子が清掃員をしてるんだろう、と思ってね。山田さんにカマかけたらいろいろと教えてくれた」

「いろいろって……?」

「――どうして高校に行ってないのか、とか」

「……っ!」


 私は思わず、手に持ったピンクのガラケーを握りしめた。


   * * *


 今から約1年前の、9月……母が死んだ。交通事故だった。

 私は母と二人暮らしだった。父親の顔は知らない。

 母は女手一つで私を育ててくれた。それこそ、朝は新聞配達、昼は清掃員、夜は定食屋、と朝から晩まで働いていた。


「私は学がないからね。とにかく体を使うことしか知らないから。……莉子、だからあんたはちゃんと、勉強しなさい。勿論、勉強さえすればいい人生が送れるってんじゃないよ。だけど……人生の選択肢が増えるからね」


 なるほど、と思った。母の言葉はシンプルでわかりやすい。

 私は新聞のチラシに入っている家やマンションの間取りを見るのが好きで、

「ようし、私が建築の勉強をして、お母さんと二人で住む家を建てるよ!」

と言ったら、

「楽しみだねえ」

と言って母は笑った。


 高校は、地元の進学校に入学した。高校生になったら夜はアルバイトで家計を助けるつもりだったけど、

「駄目。ちゃんと高校生活を楽しみな。部活をしたり、学校行事に参加したりね。今しかできないんだから」

と母に止められた。


 バイトぐらいじゃ大した足しにはならない。それより自分のことをちゃんとして、家のことをやってくれる方が助かるから、という母の言葉は、私への気遣いとかじゃなくて、本心だったと思う。


 コーラス部に入ってコンサートを頑張ったり。生徒会に入って仕事を頑張ったり。

 それなりに友人と呼べる人たちもいたし、私の高校生活は充実していたと思う。


 母が死んだとき、葬儀の手配などいろいろ手伝ってくれたのが、「さくらライフサポート」……母が清掃員として所属してた会社の社長、桜木さんだった。還暦過ぎたおばさんで、私も幼い頃から何回も会ったことがあった。


「私、高校をやめて働きたいんです。桜木さんのところで働かせてください!」


 私の申し出に、桜木さんは最初は頑として首を縦に振らなかった。

 タエちゃん(私の母のことだ)は莉子ちゃんに高校に行ってほしいと思ってるはずだよ、やめな、と。

 でも私は、言い返した。


 母の希望は、私が行きたい道に進むことだった。私はどうしても大学に行きたい。高校に行かなくても大学には行ける。今のままだと母の遺してくれた貯金を使い果たして終わる。大学になんて到底行けない。だから高校の学費を払うなんて勿体ない。それなら高校はやめて、昼間は働いて生活費だけは確保して、夜は自分で勉強する。


 最終的に桜木さんは納得してくれて……私は母の仕事をそのまま引き継いだ。

 それが――光野予備校だったのだ。

 掃除婦仲間のおばちゃんたちは、最初会ったときは怖そうだったし掃除の指導は厳しかった。

 特にボスの山田さんは


「つまり、大学に行くまでの一年半だけってことだろ? 遊びでやられても困るんだよねぇ」


と、明らかに迷惑そうだった。

 それは確かにそうだ、腰かけOLみたいだなと思い、私は深々と頭を下げた。


「我儘言ってすみません。でも、一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします!」


 桜木社長からいろいろ聞いているはずなのに「大変ねえ」と中途半端に哀れんだりしないところが、私は逆に好感を持てた。


 そうして、1年……。朝の新聞配達も、そのまま引き継いでやってるよ。

 昼の掃除の仕事にはだいぶん慣れたし、お金も少しは貯まってきた。奨学金とかも利用すれば、ちゃんと大学には行けるはず。

 あとは私の頭次第だ。高認は余裕だけど、大学受験はそう甘くない。

 そんなことを考えていたんだけどね。


  

 ごめんなさい、お母さん。

 そんな娘は、新川透に脅されそうになってます。いったいどこから間違えていたのでしょうか。

 天国のお母さんなら何て言うのか……私には知りようがないけれど。

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