2時間目 盗撮騒ぎ

第1話 何か着々と進んでいるような

 9月の第3日曜日。私の2Kのアパートは襖が取り外され、六畳二間が一続きの状態になっている。

 そこには珍しく、十人ぐらいの人が集まっていた。

 漂う線香の匂いと、お坊さんの低い声。


 今日は、お母さんの一周忌だった。


 高校を2年の秋で辞め、朝は新聞配達、昼は光野予備校の掃除婦として働きながら、夜は大学受験の勉強をする日々。

 そして一方では、『トイレのミネルヴァ』として予備校生の質問に答えるお助け女神として暗躍していたりもする。


 お母さん、もうあれから一年経ったんだね。あのときは……今、こんなことになっているとは想像もつかなかったよ。

 必死過ぎて泣く暇もなかったけど……今日は、泣いてもいいかな。


   * * *


「恵には聞いてたけど……本当に、あら、まあ……」

「恵ちゃんにもお世話になりました」

「言っとくけど、アタシがキューピッドみたいなもんだからね?」

「そうですね、山田さん。感謝しています」

「もう、あの子ったら何で教えてくれないのかねー」

「いや、本当に……びっくりしたよ。タエちゃんも安心してるだろうねぇ」

「桜木社長のことはお聞きしていました。これからも、どうぞ莉子をよろしくお願いします」


 待て、こら――!! お前は私のオカンか!

 

 おばちゃん達を引き込み、いつの間にか私の保護者のように振舞っているのが、光野予備校人気数学講師・超絶イケメンの新川透。

 彼には、私が掃除のおばちゃんではなくピチピチの17歳で、『トイレのミネルヴァ』であることがバレ……そのあと何やかんやで

「莉子、愛してるよ」

と言われた。


『王子様みたいなイケメンに愛されるなんて、イイネ! ヒューヒュー!』


 ではないんだよー。いいかなー? ここ大事なとこー。

 愛とは言ってもね、妹や生徒、果てはペットなど、いろいろな種類が考えられるのです。

 という訳で、新川透は何を考えているか全く読めないし、裏で何をやっているかも全くわからないので、現在、返事は保留中となっております。

 以上、前回までのあらすじ、終わり。


 

 今日は桜木社長、山田さんをはじめとする掃除婦仲間のおばちゃん、それに恵のお母さんも来てくれていた。

 どやどやと現れる彼女たちの後ろからひときわ背の高いこの男が現れた時は、膝から崩れ落ちそうになるほど驚いたけども。

 何でここに、と聞こうと思ったけど、お坊さんが来る前の準備やら何やらいろいろあって、結局追い返すことはできなかった。

 そして新川透はその後の食事会もそのまま参加、今に至る。 

 

 なぜ一周忌の食事会が『新川透を囲む婦女子の会』になってんの。

 何でこの場に来たんだよ、新川透!!

 一周忌のことなんて言った覚えないのに!!


 何しろおばちゃん達、次から次へと新川透に話しかけるもんだから、私が口を挟む暇がない。

 ……と言うより、私が何か言う前に新川透が淀みなく答えてしまって、その台詞に戸惑ってあうあう言うしかない。

 そして私の赤面を盛大に誤解したおばちゃん達は

「あらやだ、照れてるのね」

とでも言うように私の方をちらちら見ている。

 そして噂好きのおばちゃんたちは私からは何も引き出せないと思ったのか、これ幸いと新川透の方にいろんな質問をしている。


「ねぇねぇ、いつ知り合ったんだい?」

「それはちょっと言えませんね」

「しかしねぇ、あんたみたいな人が莉子ちゃんをねぇ……」

「ちょっと山田さん! 失礼だよ!」

「いやいやアタシはね、見所があると思ってんのよ。きらきらふわふわした可愛い女の子じゃなくて、あえてこの子に目を付けるとはねぇ」

「莉子は可愛いですよ。一番可愛い。……というより、他に興味がないので」

「んまっ! ちょっと、聞いた、聞いた――!?」

「良かったねえ、莉子ちゃん!!」


 あああ、今なら恥ずかしさだけで死ねる!

 誰かおばちゃん達を止めて……。ついでにトチ狂った新川透の息の根もな!!


 なぜこんな晒し者になってるの……。

 恥ずかしさやら何やらで、涙が出そうです。


   * * *


「……何で来たの?」


 その日の夜。例によってコンビニで落ち合い、私は新川透のマンションに来ていた。

 今日は拉致というよりは自ら乗り込んだ感じです。

 どうしても、一言文句を言いたかったからね!


 憮然として腕組みをしている私を、新川透は「まあまあ」と宥めながらコーヒーを淹れていた。

 そして冷蔵庫からはケーキの白い箱。食器棚から白い皿を二枚取り出し、手際よく私の大好物のチーズタルトを載せる。


「一周忌でみんなと一緒なら近所の人に何か言われたりしないでしょ?」

「……そうだけども……」

「はい、とりあえず召し上がれ」

「……」


 うーん、そうだね。大好物のチーズタルトには、何の罪もない。腹が減っては戦はできぬ、と言うしね。

 おとなしく椅子に座るとパンッと両手を合わせて「いただきます」をした。

 ぱくりと一口食べると、口いっぱいにチーズの匂いと甘さが広がる。

 あー、うまー。幸せー。


 目の前では、新川透がコーヒーを片手に満足そうに微笑んでいた。

 いやいや、チーズタルトごときで誤魔化されはしませんよ?

 しないけどね。ちょっと和む。


 新川透は、食事会のあと皆と一緒に後片付けも手伝ってくれた。そのまま居座り続けたらどうしようかと思っていたけど、「じゃ、またね」と言っておばちゃん達と一緒にすんなり帰って行った。まぁ、それは助かったんだけども。


「何で知ってんの? 私、言わなかったよね?」

「地下の更衣室前に貼ってあったシフト表で」

「んがっ!!」


 いつの間にそんなチェックを!

 口からチーズタルトの破片が飛び出し、慌てて自分の口を押さえた。


 しかし、シフト表か……。

 私は月曜日から土曜日までずっと光野予備校で、日曜日はお休み。そして日曜日はおばちゃん達とさらに別の人たちで担当している。

 多分、いつものメンバーが今日だけ誰一人シフトに入っていなかったから、気づいたんだな……。


「そろそろ一周忌のはずだ、とは思ってたからね」

「だからっていきなり……」

「行っていい?って聞いたら、駄目って言わない?」

「言うよ、そりゃ!」

「だからだよ」


 新川透はふと、真面目な顔をした。


「莉子のお母さんにね、一度挨拶をしておきたかったんだ」

「……」


 どうしてこの人は絶妙なタイミングでこんなことを言うのでしょうか。

 そんなことを言われたら、怒るに怒れないじゃないか。


「……お母さん、びっくりしてるだろうなあ……」

「莉子のお母さんって、どんな人?」

「んー、すっごくサバサバしてた。元気で明るくて……山田さんと特に仲良かったみたい」

「ふうん……」

「殺しても死なないような人だったのにねって。だから……」


 そこまで言って……ふと、一年前のことが蘇る。

 私を雇うことを渋る桜木社長に、

「毎日様子を見れるようにした方がいいでしょ!」

と進言してくれたのが山田さんだったらしい。

 そして私はショックが大き過ぎて覚えてなかったんだけど、桜木社長と一緒に葬儀の手伝いをしたり、部屋の片づけをしたりしてくれたのが、今日も来てくれた掃除婦仲間のおばちゃん達だったそうだ。


 一人で生きていくんだ! 自分の力で道を切り開くんだ!

 ……なーんて息巻いていたけど、私はとっくに皆に助けられていたのだ。


「……ん? 大丈夫?」


 私が泣いてる、とでも思ったのか、新川透がふいにそんなことを言った。

 ハッとして顔を上げると、いつの間にか私の真横で膝立ちをして、顔を覗き込んでいる。

 そして両手は、私の方に差し出すように。


「……何、この手?」

「胸を貸そうかと」

「要りません!!」


 思わず叫ぶと、あからさまに「がーん」という顔をする。

 やめてー、やめてー。悪いことをした気分になるじゃないか。


「私は泣きません。泣かないって、決めたんだ」

「……そう?」

「無理してる、とかじゃないよ。何て言うか……自分への誓い、というか」

「……そう」


 新川透はそう頷くと、それ以上は何も言わず、すっと立ち上がった。元のように向かいに座り、温くなったコーヒーをチビチビと飲んでいる。

 あああ、そんなに目に見えて寂しそうな顔をしないでもらえる?

 何か気まずい。どうしたらいいんだろう……。 

 とりあえず急いで残りのチーズタルトを食べ、コーヒーを飲み干す。

 両手を合わせ、ぺこりと頭を下げて。


「えーと、ご馳走様でした」

「うん」

「美味しかった。なんか……ホッとした」


 きっと、今日の夜は私が言い出さなくても私に会うつもりだったのだろう。

 だから私の大好物のチーズタルトを用意してたんだ。

 一周忌の夜、一人でいたら……さすがに自分の誓いを破っていたかもしれない。


「……えと、ありがと……」


 俯いて小声で言う。恥ずかしくて、ちょっと早口になってしまった。振り切るようにパッと立ち上がり、自分の皿を流しに持って行った。

 すると、後ろから気配を感じると同時に、にゅっと腕が伸びてきた。筋肉が程よく乗っていい感じに筋が入っている、大変私好みの新川透の腕。

 そして流しに皿とコーヒーカップを置きながら

「どういたしまして」

と耳元で囁く。思わず振り返ると、新川透がはにかみながらじっと私を見下ろしている。


 やめて、やめてー。何のスイッチが入ったの!? フェロモンが尋常じゃないです。こんな小娘相手に全力の色仕掛け、マジでやめてください。

 ……って、ハグしようとするなー!!


「ちっ、近い、近ーい!! 離れて!」

「ちぇっ……」


 両腕を振り回しながら叫ぶと、新川透は伸ばしかけた腕を引っ込め、不満そうに唇を尖らせた。

 か、かわい……って、違う、えーと、そうではなくてだな!

 セーフ、セーフですね。危ないところだった……。

 とりあえず新川透の機嫌は直ったようだし、いいよね。チャラだね、チャラ。



 お母さん。娘は超絶イケメンの誘惑にも耐え、日々堅実に生きています。

 うっかり流されちゃいけません。気の迷いの可能性が果てしなく大きいんですからね。

 だって、彼は掃除婦のおばちゃんの中に変な若い女の子がいる、と思って気になっただけ。

 そこから何かのツボにハマったらしく、ちょっかいをかけているだけ。


 ちゃんと希望が叶えば、来年の春は私は地元を離れて憧れの大学に進学。新川透の個人授業の生徒ではなくなり、『トイレのミネルヴァ』でもなくなる。

 彼が私を構う理由はなくなるのだ。 


 つまり……来年の三回忌、お母さんに「大学生になったよ!」と報告する頃には、新川透は――もう、傍にはいないかも知れないんだから。

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