第2話 変態と変態かよ

 次の日。今日も今日とていつものように各階のトイレ掃除ですよー。

 今日は月曜日だけど祝日。そして、この予備校では昨日と今日でマーク模試が行われている。

 私も新川透の計らいで外部・自宅受験扱いでこっそり受けさせてもらった。ミネルヴァに質問が来るかもしれないから、と前倒しで受けたんだよね。後だと、私が受ける前に問題を知ってしまうかもしれないからね。

 さすが予備校の教師、その辺は気が回るなあ。

 

 という訳で、今日こそはミネルヴァあてに何か来てるかもな。解答はまだ配られてないから、模試で分からなかった問題を質問されるかもしれない。

 何で「今日こそ」なんて言うかというとね。9月に入ってから『ミネルヴァへのお願い』、かなり減ったんだよね。不思議なことに。


 そんなことを考えながら、7階の女子トイレのドアを開ける。洗面台には、ペラッと1枚だけプリントが置いてあった。

 手に取る前に、再度個室の確認……――おっと、危なぁ!! 一番奥の扉が閉まっている。

 あらら、使用中か……。気配を感じなかったからわからなかった。


 トイレを使用している生徒がいる場合、掃除を始めるわけにはいかないので後回しにする。特に『ミネルヴァへのお願い』が置かれる可能性が高い7階女子トイレは、注意が必要なのだ。

 まず男子トイレを先に掃除して、周りに人がいない、誰も女子トイレに近づいていない、というのを確認してから女子トイレに入るようにしている。

 万が一ミネルヴァの正体を暴こうと誰かが待ち構えていたりしたら、困るからだ。


 うーん、いつから籠ってるんだろう。全然気づかなかった。まさか、私が7階に上がる前ってことはないよね。男子トイレを掃除していたから、えーと、優に30分以上は経ってるんだけど。

 具合が悪くて倒れてる、とかだったらどうしよう。

 

 仕方なく、扉をコンコンとノックしてみる。ちょっと間が空いたあと、小さくコンッと躊躇いがちにノックが返ってきた。どうやら気を失っているわけではないようだ。

 私が気づかなかっただけで、こそっと入ったのかも。例えばすんごくお腹の調子が悪くて、臭いが出るのが恥ずかしいから、あまり人が来ない7階のトイレに来たとかね。十分、考えられる。

 換気扇は回しっぱなしだから、もう臭いなんてしてないけど……。

 とは言え、トイレしたあとに人に会うのは恥ずかしいだろうなあ、と思い、私はそのまま黙って女子トイレを出た。

 前に置いておいた掃除道具と立札を抱え、職員用階段に向かう。


 トイレ掃除は7階が最後だし、踊り場に道具は置いておくか……。ひとまず下に降りて、他の仕事をしよう。

 そんなことを考えながら階段を降り始めた時、キーンコーンカーンコーンというチャイムの音が聞こえた。テスト開始時刻5分前の予鈴だ。

 それと同時にバタバタバタッという大きな足音と、「もう!」という女の子の声。


 あらら、やっぱりお腹を壊してた人ですか……。それにしてもすごいドタ足だな。

 でもこれで掃除ができるな、と思いながら掃除道具と立札を再び抱える。

 トイレ前の廊下に出ると、一瞬だけ女の子の背中が見えた。慌てて表階段を下りていく。

 最後の理科だね、頑張ってーと心の中で声援を送り、私は女子トレイの扉を開けた。


   * * *


「莉子! 聞きたいことがある」


 その日の夜。こちらは、新川透のマンションです。今日は月曜日なのでいつもの個別指導の日だからね。

 さて、そんな彼はと言うと、玄関に入って鍵をかけるなり、ガッと私の両肩を掴んだ。


「ちょ、な……痛いよ」

「莉子、トイレは何階を使ってる?」

「…………は?」


 質問の意味が全くわからない。口を大きく四角く開けて聞き直すと、新川透はグッと顔を近づけた。両肩を掴む手に、さらに力がこもる。

 いた、痛いっす……。表情は真剣そのものなんだけど、あれ? 何かおかしいな? さっきの質問は聞き違いかな?

 何か突拍子もないことを聞かれた気がするんだけど。

 

「だ、か、ら! 何階のトイレでしてるかって……」

「へ……変態か――!!」


 思わず腕を振り上げると、私の右手が新川透の顎にクリーンヒットした。両肩に置かれた手の力が緩んだのでザザザーッと音を立てて距離を取る。

 しまった、今までお腹とか太ももとか見えないところを殴る蹴るしてたのに。

 あ、言い訳すると、それはイジメとか暴力じゃないですよ? 新川透の過度なスキンシップに対抗した結果なんです。

 今回は顎にいっちゃったけどね。でも、絶対に私は悪くないよ。

 何で私がどこで用を足してるか教えてあげないといけないの。何でそんなこと聞きたがるのさ。変態そのものじゃん!!


「莉子、お願いだから答えて……」

「何でよ! そんなこと聞いてどうすんだ、変態!!」

「……うーん……」


 顎をさすりながら、新川透が何か感慨深そうにうんうん頷いている。

 なぜちょっと嬉しそうなの。そのニヤニヤを止めなさい!


「変態……これはこれで、ちょっと萌える……」

「ば、バカでしょー!」

「うーん、新発見。まぁ、そっちは後で楽しむとして……」

「楽しむな!」

「本当に、真面目な話なんだよ」


 もう近づかないからとりあえず座ろっか、と言い、新川透はスタスタと廊下を歩いて中に入り、ダイニングテーブルの向こう側に座った。

 まぁテーブルを挟むぐらいの距離があれば大丈夫だろう、とひとまず自分を納得させ、私はダイニングテーブルの手前側、いつもの場所に座った。


「……実は。女子トイレで盗撮疑惑が出てる」

「は? 盗撮?」

「そう。前々から、『個室の一番奥がずっと閉まってる』とか『何か下からスマホが覗いていたような気がする』ということがあったらしい。最近特にそう感じる女生徒が増えたらしくて、ついに俺たち講師の耳に入った」

「うげ……」


 想像して、思わず顔をしかめる。

 それは気持ち悪い……。下からって、ナニを撮ろうとしてるんだ?

 やめやめ、これ以上は考えるまい。盗撮魔の心理なんてわかりたくないし。


「で、どうやら7階の女子トイレに集中してるらしいんだ、最近は」

「へぇ……」

「だから莉子、7階でトイレしてないよね!?」

「んがっ……」


 真顔で言う新川透の脛を反射的に蹴る。「ぐふっ」と声を漏らしたものの、どうやら引く気はないようだ。

 いったい何を心配してるんだ。気にするべきことが違う気がするんだけど!


「何で蹴るんだ!」

「質問がおかしいから!」

「だって、俺もまだ見てな……ぐはっ!」


 はい、変態決定です。

 胸ならともかく、下半身関係はドン引きします。

 健全な男子なら当たり前? そんな当たり前、17歳女子は聞きたくないんじゃ!


「アホかーい!!」

「大事なトコ……じゃなかった、大事な事だろ!」

「おかしな言い間違いをするな!」

「もう、今日聞いて心配で、心配で……」

「被害に遭ったかもしれない生徒の心配をしなよ!」


 ダンッ!と両手の拳でテーブルを叩いて立ち上がると、新川透は唇を尖らせた。「それはそうだけど……」と呟きつつも、何やらごにょごにょ言っている。

 お前は子供か。その顔をヤメロ。


「……私たちは地下一階にあるトイレで用を足す決まりになってるの」


 椅子に座り直しがてら仕方なく質問に答えると、新川透は「そうか……」とホッとしたように大きな溜息をついた。


「掃除婦は基本、出先のトイレは使わないんだよね」

「なら良かった」

「ちっとも良くない」


 だからかな、最近『ミネルヴァへのお願い』が激減してたの。

 しかも、トイレと言えば私のテリトリー。そんな犯罪が行われていたとは……。何か、聖域を侵されたようで、かーなーりームカつく。


「……まぁそういう訳だから、何か目撃したらすぐに教えて」

「うーん、でも……」


 呼びに行っている間に逃げるんじゃないかなあ、犯人。遭遇した人間が取り押さえるしかないんじゃない?

 そうだ、むしろ用を足すフリをしてスマホとか物証を押さえた方が……。


「……莉ー子」

「は、はい!? はい!?」


 急に、低ーいものすごい迫力の声が聞こえてきて、思わず背筋を伸ばす。

 新川透がそれはそれは怖い顔をして私を睨みつけていた。


「な、何でしょう……?」

「間違っても自分を囮に犯人をおびき出すとか、やめろよ」

「し、しないよー」

「いや、今なーんかグルグル考えてる顔をしてた」


 あうっ、鋭い。

 まぁ、そうだね、タイミング間違って写真を撮られたらさすがにたまんないわ。

 とりあえず囮作戦はやめて……。


「莉ー子ー」

「は、はいー!!」


 新川透は本当に真面目な顔をすると、ビシッと私を指差した。


「とにかく! 絶対に余計なことをしないこと!」

「りょ、了解……しました……」


 あまりの迫力に、おとなしく返事をする。

 新川透はと言うと、「よろしい」と頷き、それでもまだ心配なのかジーッと私の顔を見つめていた。

 えへへ、大丈夫だよーと、とりあえず愛想笑いをする。


 だけど、このまま知らぬ存ぜぬという訳にはいかないのよね。

 『トイレのミネルヴァ』としてはね!

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