第11話 お母さんの過去に会いにいこう
日曜日の午後の駅前は、たくさんの人が行き交っていた。近くにはデパートもあるし、地下街には美味しい食べ物屋さんも多い。
身軽な格好の地元の人間と、これから列車に乗って帰っていくと思われる重そうな鞄を抱えた他県の人間が入り乱れている。
それらを一通り見回すと、私は覚悟を決めて時計台に向かってゆっくりと歩き出した。
松岡浩司さんは、昨日からこの県に来ているはず。今日私と話をしたら、そのまま東京に帰るんだろうか。
彼と顔を合わせたとき、私は何を思うだろう。
そういえば、私は松岡さんの顔を知ってるけど松岡さんは私の顔を知らない気がする。でも私のガラケーの番号――つまり、お母さんの携帯番号を知っていたぐらいだから、とっくに調査済みかもしれないな。
今日は少しだけ、メイクをした。どんな写真を撮られていてどんなイメージを持たれているかはわからないけど、私がみすぼらしかったらお母さんのことも見下げられる気がして。
「……ふう」
時計台の前に着いて時刻を確認すると、午後二時五十分だった。松岡さんはまだ来ていないようだ。
キョロキョロと辺りを探してみるが、見当たらない。
時計台の前にあるいくつかのベンチ……恵とよく座っていたのはここかな、と思いながら腰を下ろす。
不思議なことに、新川透からは金曜日も土曜日も何も連絡が来なかった。闇討ちに遭ったこととか次の日に私から会いに行ったことなんかは小林梨花から聞いてるだろうに……。気を遣ってくれてるのかな?
そうだ、恵が言っていた話をもう一度思い出してみよう。
一度時計台を見上げ、周りを見渡す。うーむ、と目を閉じて記憶を探ってみたけど、やっぱりブランド傘を持った変な男の人のことは出てこなかった。
私、全然人の顔が覚えられないんだよなあ……。でもこれは、それだけ周りに関心がなさすぎる、という非常によくない欠点のような気がする。これからはもっと気をつけるようにしよう。
そんなことを考えながらもう一度辺りを見回すと、駅に隣接しているホテルから男の人が出てきた。
背は……少し高め。細身だけどバランスがいい。……歩くのが早いな。ぐんぐん近づいてきて、どんな顔かもわかった。
多分、松岡浩司さんだと思う。パンフレットと同じ顔に見えるし……。
ほぼ間違いないと思い、ベンチから立ち上がって少し手を上げると、その人物は私に気が付いたようだ。軽く会釈をして私に向かって歩いてくる。
だけど……あと数メートルというところで、なぜかピタリと歩くのをやめてしまった。
信じられないものを見た様子で、口を開けたまま動かない。
「あの……」
仕方がないので私の方から小走りで近づくと、松岡さんはハッとしたように表情を緩め、少し微笑んだ。
パンフレットで見た写真より、ずっと雰囲気が柔らかい。そして44歳には見えない、素敵な人だ。おじさんと呼ぶのは申し訳ない気がする。
「仁神谷莉子さん、ですね?」
「はい。初めまして」
深々とお辞儀をする。
挨拶はきちんと。私の行動は、そのままお母さんの評価に繋がる。
「多恵子さんに似ていて……驚いてしまいました」
「そうなんですか?」
松岡さんが知っているのは、二十歳頃のお母さんだ。自分ではよくわからないけど、そんなに似てるのかな。
「あっ、ここだと人目に付きますよね」
「別にわたしは気にしませんが……何かありましたか?」
松岡さんが「はて?」というような顔をしている。
いやアンタ、出張がてら自分の隠し子に会いに来てるっていう状況は人に知られたらマズかろうと思って言ってるのに。呑気だな。
「いえ、ただ……あの、松岡さんは内緒で来られたんだと思ったので」
「まぁ知っている人間は少ないですが、そんなに気にされることはありませんよ。ですが寒いですし、早く中に入りましょう」
そう言うと、松岡さんは出てきたホテルを手で指し示した。
私は頷いて、彼の後をついていった。
ホテルのラウンジの大きな窓ガラスの向こうには、これが駅の雑踏の中に建てられたものであることを忘れるような癒しの緑が広がっていた。箱庭のようなものだろうけど奥は緑の葉っぱで埋もれて見えなくなっているし……森の中にあるお洒落なカフェみたいだ。
ウェイトレスが二人分のコーヒーを持ってくる。松岡さんはウェイトレスに軽く会釈すると、テーブルの上で両手を組み、私を真っすぐに見つめた。
「まずは自分の話をしますね。その方が信用してもらえると思うので」
私が知っている若かりし頃のお母さんと言うと、定時制高校に通いながらさくらライフサポートで働いていたこと、両親……つまり私の祖父母は高校卒業時にはすでに他界していて天涯孤独だったこと、ぐらいだ。
「お願いします」
と言って、私は松岡さんに頭を下げた。
* * *
高校を卒業したお母さんは上京し、レストランの従業員として就職した。そして、そのレストランをよく利用していた松岡浩司さんと出会った。
松岡さんは大学を出たての新入社員で、自分のお父さんの会社ではなく別の建設会社で働いていた。苦労知らずのお坊ちゃんが初めての挫折を味わったとき、背中をバーンと叩いて励ましてくれたのが、若かりし頃の逞しくて元気な私のお母さん。惹かれたのも無理はない。
「多恵子さんの言うことって、ハッと気づかされることが多くて。一緒にいて、驚いたり、なるほどと唸ったり、慰められたり、励まされたり。本当に居心地が良かったです」
そう言った松岡さんの顔は、私の向こうにお母さんの幻を見ているのかな、と思うほど幸せそうに微笑んでいた。
やがて恋仲になった二人。しかし、二年以上経過したある日――その恋は突然終わってしまう。
出張で一週間ほど東京を離れている間に、お母さんは住んでいたアパートを引き払い、姿を消してしまった。
「季節は夏で……最後の言葉は、メールでした。『ごめんなさい。もうお付き合いはできません』と。出張から帰ってくるのを見計らったように送られてきた」
「……」
「帰りの列車の中で読みました。こんな時も仕事の邪魔をしないように配慮してくれる彼女が、本当に……」
そこまで言うと、松岡さんはグッと両目を閉じた。
テーブルの上で組んだ両手が、微かに震えている。
「勿論、わたしは彼女を追いかけました」
携帯に電話をしたけれど、出ない。きっと地元に帰ったに違いない、と列車に飛び乗った。
降りた駅の前には、とても大きな、ひときわ目立つ時計台。
この場所で待ってるから、とメールを送ったが……お母さんは、現れなかった。
「最近になってようやくわかったんです。祖父の差し金で、彼女は姿を消したのだと」
「えっ」
「当時の松岡建設の社長は、私の祖父でした。今は会長ですがね。祖父が自分の部下の若い秘書を向かわせ、『浩司には婚約者がいるので別れてくれ』と言わせたようでした。しかも、わたしがそう言っていた、と偽って」
「え……」
じゃあ、お母さんは勘違いで別れたってこと?
いや、でも松岡さんはその後お母さんを追いかけてこの県まで来ている。そのときに誤解は解けたはずじゃ……。
そう言うと、松岡さんはとても淋しそうに頷いた。
「そうですね。そのはずですが……見切りをつけられたのかもしれませんね」
「……」
そんなことないですよ、と言ってあげたかったけど、お母さんが何を考えて松岡さんと別れることを決意したのか分からない私には、何も言えなかった。
私は3月3日に生まれている。二人が別れたという夏……きっと、お母さんのお腹の中には、もう私がいた。
そのことに気づきながらも身を引いたのか、それとも地元に帰ってから気づいたのか。それすらもわからない。
言い淀む私に気づいたのか、松岡さんは「いいんですよ、お気になさらず」と小さな声で言った。
「莉子さんは……多恵子さんから何も聞いておられないのですね」
「はい、何も」
私の返事に、松岡さんはガックリと肩を落としてしまった。
ごめんなさい、意固地な母で……と、なぜか私が申し訳ない気持ちになる。
会社の秘書に別れるように言われて、お母さんはどう思ったんだろう。松岡さんにそんな気はないことなんて、お見通しだった気がする。
ああ、そうだ。ガラケーのSDカード。ひょっとしたら、あそこに何か残っていたかもしれないのに。ちゃんと調べてくればよかった。バタバタしてて、新川透に頼める状況じゃなかったからなあ……。
でも……そうだ。私にできることと言ったら……!
「あの、松岡さん!」
私が少し大きめに声をかけると、松岡さんはビクッとして顔を上げた。
「でも、桜木社長……あ、母と私がずっとお世話になっている清掃会社の社長なんですけど。その桜木社長が、こう言ってました。『タエちゃんはね、この子をどうしても産みたいんだと言ってた』って」
「え……」
「あの、何の証拠もありませんけど、母が同時に何人もの男の人と付き合えたとは思えません。実際、私を育ててくれていた間も誰とも付き合ってはいませんでしたし。見合いを勧められてもすべて断っていましたし」
「じゃあ……」
松岡さんは身を乗り出すと、ガシッと私の手を掴んだ。
テーブルの上のコーヒーカップがガチャンと音を立てて振動し、茶色い液体がわずかに飛び散る。
ああ、高そうなスーツが! 大丈夫ですか?
「莉子さんは、やっぱりわたしの……?」
「えーと……」
「そうですよね。きっと、そうですよね!」
松岡さんが、パアッと顔を輝かせ、声を弾ませる。何だか、急に若返ったような。……というよりも、何だか少年のような。
いや、ちょっと、松岡さん。
さっきまでのとても紳士な感じは、どうされました? これが素なの?
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