第2話 言動が謎過ぎる人が多すぎます
トイレのミネルヴァ様。
こんにちは。私は以前、模試の問題のコピーを7階女子トイレに置いた者です。
混乱してしまって、どうすればいいかよくわからなくなって、発作的にやってしまいました。
あのときは困らせてしまってすみませんでした。ミネルヴァを悪い事に巻き込むことになるって……迷惑がかかるって気づかなくて……。
でも、ミネルヴァが大事にせずに新川先生にこっそり渡してくださったことで、私は大きな過ちを犯さずにすみました。
本当にありがとうございました。
新川先生は誰から預かったかは教えてくれませんでしたが、だとするとそれはミネルヴァなんだろうな、と思いました。親戚の女の子から7階女子トイレのことは聞いていたし……。
あの、私の家族は私の事は放ったらかしでいつも淋しくて、学校の友達とも本当のことは話せないというか、ついつい愛想笑いをしてうわべだけの付き合いになってしまいます。
でも、顔も知らない正体もわからないミネルヴァには、何でも素直に話せそうです。
ミネルヴァは、7階女子トイレに置かれた問題に答えてくれるそうですが、こういうお手紙は迷惑でしたか?
勉強のことも聞きたいけれど、たまにこういう風にお話をしてもいいでしょうか。
今、学校のことや家族のこと、恋愛のことで悩んでいます。
Rより
* * *
はい、皆さーん。コレ、何だと思います?
実は先週の金曜日に、7階女子トイレにあった『トイレのミネルヴァ』あてのお手紙です。
差出人『R』は――小林梨花。
いや、読んだ瞬間
「……はい?」
と首を傾げちゃったよ。
文化祭の次の月曜日、新川透は小林梨花とかなり時間をかけて話をした、と言っていた。例によって、個別補習のあと予備校に戻って面談したらしいんだけどね。
そうやってどうにか海野くんの誤解は解いたけど、今度は家族のこととか学校の友達のこととかいっぱい愚痴り出してボロボロに泣いてしまったそうだ。
じっくり話を聞いてどうにか宥めたけど、
「私、勉強を頑張ります!」
と言って、それから毎日予備校に自習しに来るようになったらしい。
やる気になったのはいいけど、しょっちゅう質問に来るので困る……とも言っていた。一応マトモな質問なので無碍にもできないし、と。
それが――一体何がどうなったら、こんな手紙がミネルヴァに届くんだろうか。
金曜日の午前中のこと。7階女子トイレの洗面台――ではなくその下の戸棚の中に、ピンクのクリアファイルがポツンと置かれていた。中を見ると、問題のプリントではなくこれまたピンクの可愛らしい封筒だけ。
予備校生が勝手に私物を置いてるんだろうかと思って見てみると、思い切り宛名が『ミネルヴァ様』となっている。
だから後でゆっくり読もうと持ち帰ってはきたけどさあ。
薄いピンクに可愛い白い花が散らされた綺麗な便箋に書かれた、丸い文字。
恋愛の悩みというのは……100%、新川透の事だよね、きっと。海野くんの方は解決したって話だし……。
そして親戚の女の子ってのは古手川さんのことなんだろうなあ。確か、新川透が古手川さんと小林梨花はハトコだって言っていた気がするし。
古手川さんからはどう聞いてるんだろう。
新川透は、古手川さんにははっきりと「高校生の恋人がいる」と言った。それがどう伝わっているのか。
いやいや、私は恋人ではないけどね? でも……。
そうだ、それにこれは『仁神谷莉子』に来た手紙ではなく、『トイレのミネルヴァ』に来た手紙なのだ。
どう答えるのがいいんだろう。それとも答えない方がいい?
ふと、新川透との個人面談を終えて出てきたときの小林梨花を思い出した。
新川透の気を引くためとかそういう打算じゃなくて、本当にしょぼんとしていた。思い込みが激しすぎるのは困りものだけど、悪気はないんだよなあ……。
そうして手紙の返事をしないまま、月曜日になってしまったという訳です。
本当は今日、新川透が帰ってくるまでに恵に小林梨花の話を聞きたかったんだけど、思ったより早く帰ってきちゃったからなあ。
仕方ない、補習が終わってアパートに戻ってから聞くことにしよう。
恵からは、文化祭のあとの小林梨花の様子は一応聞いている。新川透が運転する車の助手席に私がいたのを目撃した、とは言っていたけど……。その後、どうなったのかな。
* * *
「……でね、恵。小林さんがさ、あれから毎日予備校に自習に来てるみたいなんだけど」
「へえ」
補習が終わり、私と恵は新川透の車でアパート付近まで送ってもらった。
そのまま「ちょっと上がっていってよ」と言って、私は恵をアパートに招き入れた。
小林梨花から手紙を貰ったことは、恵にも言わないことにした。もし本当に本気で悩んで『ミネルヴァ』に手紙を寄越したんだとしたら、『仁神谷莉子』が友人に漏らすのは違う、と思ったからだ。
だけど、どういうつもりで手紙を寄越したのかは気になる。
……という訳で、とりあえず小林梨花の学校の様子から探りを入れてみることにした。
「恵、同じクラスでしょ? 小林さん、受験組なの?」
恵の高校は同じクラスの中でも大学受験組、推薦組、専門学校組、就職組とバラバラらしい。
恵の志望は看護師だから看護専門学校も受けるけど、どうせなら保健師の資格も同時に取れる四年制大学を目指すため、大学受験組に入ったと言っていた。
「そうだね。指定校推薦の枠から外れた、みたいな噂は聞いたような気がする」
「そっか。それで友達とも離れて頑張ろうとしてるのかな」
「うーん、それだけじゃないかも。文化祭の前にさ、ちょっといざこざがあったみたいで」
「いざこざ?」
「友達の好きだった男の子が小林さんに告白したとか何とか」
「はぁ、モテるんだねー」
確かに、可愛かったもんなあ。放っておけない感じというか。みんなほだされちゃうんだろうね、きっと。
「ま、それでその友達を含むグループと気まずくなったみたいで、小林さんが少し距離を置いてるというか、正確に言うとグループからちょっとハブられてるというか……」
「えっ、何それ!」
「まぁ、くだらないなー、と私なんかは思うけどね」
恵はそう言うと、はふっと溜息をついた。
「その子たちは専門学校組で、選択授業も離れたしね。それにクラスの他の女子とは普通に喋ってるし……私もたまに話すし。イジメられてる訳じゃないし、大丈夫じゃないかな」
「そっか。じゃあ、気にしなくてもいいのかな」
「何で莉子が気にするの?」
「いや……昨日、新川センセーがね、小林さんは色々と悩んでるらしいって言ってたからさ。それで、何となくね」
あはは、と適当に笑って誤魔化す。すると恵は不思議そうに首を傾げた。
「莉子はさあ」
「ん?」
「無関係なはずの小林さんのことはそれだけ気にするのに、何で新川センセーのことはスルーするの?」
「ぶふっ!」
思わず、飲んでいたお茶を吹き出す。そんな私の様子にはお構いなく、恵は
「ねえ、何で?」
と詰め寄ってくる。
「え、スルー? してないよ? そもそも小林さんのことだって新川センセーから聞いたからだし」
「そうじゃなくてさ。何て言うのかなあ……うーん、難しいけど……」
恵はしばらく唸っていたけど
「ま、いいや。また今度」
とだけ言ってやや不服そうにお茶を啜った。
うーん、どういう意味だろう。スルーって、無視してるってこと?
無視なんてしてないよ。そもそも小林梨花は、新川透がらみの話じゃない。
そうだ、今はとにかく小林梨花の件だ。
やっぱり、ミネルヴァへの手紙のことは恵にも新川透にも伏せておこう。
小林梨花が手紙で『学校の友達とはちゃんと話せない』と書いたのはどうやら本当で、『淋しい』というのも本音なんだろうな、と思う。深刻な状況にはなってない、というだけのことで。
海野くんの件に関しても、自分の悪事を知っている人から何回も連絡が来たら不気味に感じてしまうのも無理はないかなあ、と後になって思ったし。まぁ、だからと言ってアレはやり過ぎだけど。
仕方ない。『トイレのミネルヴァ』はお悩み相談室ではないけど、無視するのもなあ……。
* * *
『何も返せませんが、聞くだけなら』
悩んだ挙句、小さめの紙にこれだけ書き、半分に折ってピンクのファイルに入れた。
そして元のように、7階女子トイレの洗面台の下の戸棚の中に置く。
洗面台の上に置かず下の棚に入れておいたのは、やっぱり恥ずかしかったからなのかな。手紙だもんね。
きっと、置いたのは先週の木曜日の夜だろう。
今日は火曜日だから授業はないはずだけど、毎日自習に来ているのなら見つけてくれるはずだ。
「莉子」
「ひゃっ!」
急に小声で呼ばれて、思わず飛び上がる。振り返ると、開け放したドアから新川透が顔を覗かせていた。なぜだか、とても心配そうな様子で。
「何してんだ、しゃがみ込んで……。具合でも悪いのか?」
「ちがっ……ちょっとね、床が汚れてたからさっ」
どうやら手紙のことはバレていないようだ。慌ててさっと立ち上がり、元気アピールする。
……何となく、小林梨花の手紙のことは新川透にも言いたくない。
女同士の話……というのもあるけど、何か変な後ろめたさがある。
「うーん、確かに熱はないみたいだ」
「んが!」
いつの間にか女子トイレに入ってきた新川透が、私のおでこに手を当てている。
なぜにこの人はこんなに過干渉なのかね。びっくりするわ、本当に!
慌ててその手を振り払う。
「大丈夫! 自分の体調ぐらいわかるから!」
「前にいきなり高熱を出しただろ」
「アレはまた特殊事情で……それよりさ、聞きたいことがあるんだけど!」
何か妙ににじり寄って来るし。ここは女子トイレですよ。こんな場所で人を追いつめるのはやめてください。何かヤバい感じがするじゃん!
とにかく、話題を変えないとね。
「昨日、恵もいたから聞けなかったんだけど……小林梨花さん、元気?」
「元気……と言えば元気だけど。毎日ちゃんと自習には来てるな。勉強の相談ならまだいいんだが……」
「何かあるの?」
「両親が離婚するしないで揉めてるみたいだ」
「えっ、そうなんだ。それで相談されたりしてるんだね」
なるほど、家にも学校にも居場所がないって気持ちになってるのかな。それに指定校推薦の枠から外れたとなると、勉強面でも切羽詰まっているのかもしれない。
それなら『ミネルヴァ』への手紙も、新川透への相談も、仕方がないか。
ふう、と溜息をつくと、何を勘違いしたのか新川透が嬉しそうに笑った。
「それってヤキモ……」
「違う」
「食い気味に言わなくても……」
「だって違うもん。小林さんの言動に納得してただけ。きっと……頼れる人が他にいないんだろうなって」
見ず知らずの『ミネルヴァ』にダメモトで手紙を書くくらいだ。不安定な状態なのは、確かだろう。
「――莉子は?」
急に、低い声が頭上から降ってきた。そのあまりの暗さに驚いて顔を上げると、新川透が見たことがないくらい真面目な顔をして私を見下ろしている。
あれ、さっきまでは笑顔じゃなかった?
「え……何?」
「莉子は、いつになったら俺を頼りにしてくれるの?」
「頼りにしてるよ? 個別補習してもらってるし、ご飯も……」
「それは俺が言い出して勝手にやってるだけ。俺が言いたい事とは違う」
「……そうかなあ?」
十分頼っている気がするけどなあ。何が不満なんだろう。
いや、頼る前にいろいろと気を回して手を打ってくれるもんだから、今さら頼るような事柄が見つからないんじゃないかな。
うん、きっとそうだ。
「えーと、今度何かあったら頼ってみるよ」
励ますつもりで(なぜ私が励まさないといけないのかもよく分からないけど)そう返してみる。
すると新川透は
「あ……うん、その返答で全然ダメなんだな、ということがよく解ったよ」
と言って肩を落とした。
え、ちょ、何か傷ついちゃった? 私、変なこと言ったかな?
「えっと……」
「ああ、大丈夫。それは莉子のせいじゃなくて、俺のせいだから」
私が何かを言う前に、新川透はそう言い残してスタスタと足早に7階女子トイレから去ってしまった。
何か自己完結しちゃってたぞ……。新川透の感情変化は、相変わらず意味不明だ。
追いかける気力もなく、私は呆然とその後ろ姿を見送った。
えー、またそんな謎の台詞だけ残していく……。
いったい何をどうしたいんだろう、新川透は?
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