放課後 ~後日談~
晩秋から年末にかけて
恵の微笑 with 梨花
「コバ、この問題わかる?」
放課後。今日提出になっている数学の問題を『コバ』こと、小林梨花さんに聞いてみる。
「あ、わかるよー。この間、新川先生に教えてもらった」
「助かる!」
「えっとねぇ……」
コバはノートをパラパラとめくると、「これだよ」と言って私に見せてくれた。「サンキュー」とノートを受け取り、とりあえず自分のノートに写し始める。
「メグ、仁神谷さんの個別補習に参加してるんじゃないの? 週2回」
「月曜日だけになったんだ。何しろ新川先生から『ちょっと邪魔』みたいなオーラを感じるもんだから」
「そうなんだ。新川先生って仁神谷さんに関わると、急に大人げなくなるよねぇ」
コバは小首を傾げると、困ったもんだよねぇ、と呟いた。
* * *
もう十二月に入って一週間が過ぎた。運命のセンター試験も、あと一か月ちょっとに迫っている。
私、中西恵も目下のところ、受験勉強に追われている。同じく受験組のコバ――小林梨花とは同じ看護科志望という事もあり、選択授業はほぼ一緒。必然的に、会話する時間が増えた。
ただ、まぁ……やっぱり、莉子の件が大きいけどね。
「私ね。仁神谷さんにね、思い切って言いたいことを言ってみて」
「うん」
「何か……ラクになっちゃって。こう、意見とか無理に合わせなくてもいいっていうのが」
全く自分の意見を変えない莉子と、友人にずっと合わせてきたコバ。
正反対の二人だけど、感覚で相手の気持ちを察するというところはちょっと似ているなあ、と思う。
どっちも全然ベクトルが違う困ったちゃんだけどね……。
そしてコバは、莉子と直接話をしたことで急に私との距離も近く感じたらしい。
仲良くなりたい、メグって呼んでもいいかな、と聞かれた。
まぁ、私はもともとコバのことは嫌いじゃなかったし、莉子との一件では何となく見直したというか、勘で動く子はさすがだなと感心したというか、そんな感じだったので、特に断る理由はなかった。
そして小林さんは、自分のことは『コバ』と呼んでくれ、と提案してきた。
「コバ? いいけど……でも小林さん、ずっと友達に『梨花』って呼ばれてたじゃない」
「仁神谷さんと似た名前だから、言いにくいでしょ。私も聞き間違えちゃったし」
「……なるほどね」
そんな感じで、何となく二人で一緒に勉強する時間が増えてきている。
コバとしては、本当は莉子とも仲良くなりたいらしい。言いたいことを言ったおかげか莉子の前だと自分を飾らなくて済む、あれだけ反応が素直だと可愛くて面白い、自分も嘘がつけないというか正々堂々としていられる、いろんな話をしてみたい、となぜか大絶賛だった。
さすがに今は無理だろうけど、受験も終わって大学生になったら、引き合わせてみてもいいかもね。変な化学反応を起こしそう。
* * *
「……そんなに怖かったの? 莉子を待ち伏せして怒られたとき」
そう言えば、そのときの話ってまだ聞いてなかったな。
莉子によれば「何を言われたか知らないけど急に諦める気になったみたいだ」とのことだったけど。
ふと思い出し、解答を書き写す手を止めてコバに聞いてみる。すると、コバはぷるぷると首を横に振った。
「怖かったというより……こんなの先生じゃない、って感じ」
「へぇ」
「なんかさ、いつもならまず私の話を聞いてくれるのに、開口一番に『あの子に何を言った?』って鬼の形相で」
コバが新川センセーの真似をしてみせて、しかめっ面をする。
「それで『新川先生とどういう関係か聞いただけです』って言ったら、『余計なことを』って舌打ちしてた」
「舌打ち!」
「そうなの! それでね、『とにかくあの子は毎日の生活とか受験で大変だから、関わらないでやってくれ』とか言っちゃってさ。私がものすごい悪役か疫病神みたいじゃない! ひどくない!?」
「ぶふふ……」
よっぽど慌てたんだろうなあ。まぁそうだよね、莉子に警戒されないように、逃げられないように、少しずつ少しずつ囲ってたんだもんねぇ。
急にその囲いをぶっ壊すかのごとく、コバが現れたわけだから。
「私だって受験で大変だし! 何、その差別!」
「確かにね」
「だからね、ああ、先生じゃないんだ、と思ったの」
「先生じゃない?」
「そう。仁神谷さんのことになると先生じゃなくなっちゃうんだ、次元が違うんだ、と思って。それで……うーん、こりゃ駄目だ、って感じ?」
コバは両腕を「オーノー!」とでも言うように広げると、肩をすくめた。
なるほどね、さすが小林梨花さん。これまでの経緯なんか何も知らないだろうに、肌で察したのか。新川センセーの異常とも言える莉子へのこだわりを。
「あーあ、もっと大人な感じだと思ってたのに。ガッカリ」
「コバは年上が好きなの?」
「うん。私、感情的になって暴走しちゃうところがあるから、優しく諭してくれる余裕のある人がいい。思いっきり甘えたい」
なるほどねぇ、だから同級生の男子は軒並み撃沈してるのか……。
まぁ、でも、何となく納得。
「だから本当に諦めたの。仁神谷さんも、気にしてないといいんだけど」
「ああ、それは大丈夫。あのあとちゃんと、新川センセーが莉子に真剣に気持ちを伝えたみたいだから」
「そうなんだ。じゃあ、今はちゃんとカレカノになったの?」
「いや、どうもそこがねぇ……」
莉子は現在、玲香さんの家にお世話になっている。そこから予備校に通って掃除婦を続けてはいるようだが、近所ではなくなったしお互い忙しくて、月曜日の補習のときぐらいしか会えていない。
ちなみにそのときはタケちゃんもいるし、あんまり深い話はできてないんだよね。
まぁ、でも木曜日は二人きりなんだし、きっとイチャイチャ……いや、どうだろうな?
「新川センセーが、今は大変だろうから返事は要らない、と言ったらしくて」
「え? 何それ?」
「いやー、予防線でしょう。それに、そもそもしたのは『告白』じゃなくて『プロポーズ』だからね」
「ええええっ!」
コバは素っ頓狂な声を上げると、大きな目をさらに大きく見開いた。
「結婚してくださいってね」
「うわあ! そんなに余裕ないの、新川先生!」
「というより、中途半端な表現をすると莉子は分かってくれない、と思ったんじゃないかな」
「ふうん……。で、仁神谷さんはどうしたの?」
興味津々らしく、コバの目がランランと輝いている。
「だから、返事は要らないって言われたからしてないみたいよ」
「はぁっ!?」
「真っ赤な顔して『一応、両想いにはなったということで』みたいなことを言い訳がましくモゴモゴ言ってた」
あれは多分、
「付き合うとかじゃないけど、お互いの気持ちは確認しました。以上」
ってことなんだろうな。
まぁ、今までの莉子から考えると大進歩だけどねー。
私がそんなことを考えながらウンウン頷いていると、コバは
「何それ! やっぱり困った人ね、仁神谷さんて!」
と呆れかえっている。
ちょうどそのとき、ピロリン、と私のスマホが音を立てた。
見ると、珍しく新川センセーからだった。今日の補習はナシにしてくれないか、という連絡。
そう言えば今日、月曜日だったね。
「どうしたの?」
「今日の補習はナシだって。莉子が風邪ひいてダウンしたみたい」
「え、でも、月曜日は新川先輩もいるんでしょ? 二人に補習すればいいじゃない」
「まぁ、莉子がいないとやる気が起きないんでしょ。今日は特に質問もたまってないし、まぁ来週でも……」
そんなことを呟きながら「いいですよ」と返事を送ろうとすると、コバが私のスマホをひったくった。
「ちょ、何……」
「いいから!」
取り返そうとする私の手を押し留めると、コバがものすごい勢いで操作し始める。私はコバの手元をただただ見ているだけになった。
『いいですよ。それより莉子とはどうなってるんですか?』
“どうって?”
『莉子は、返事はしてないって言ってたから』
“確かにもらってないね”
『えー』
うわ、私になりきってる。……だけど、私にはとうてい聞けないけどね、こんなことは。
コバってやっぱり凄いな。
“まぁ、3月までは様子見で”
『大丈夫なんですか?』
“珍しく押すね。大丈夫だよ”
「何だろ、この自信……」
コバが呟いた瞬間、続けてメッセージが来た。
“この際、事実を積み上げればいいことだから”
「へっ……?」
コバの手が止まる。私の顔を見て
「これ、どういう意味……?」
と恐る恐る聞いてきた。
新川センセーが実はだいぶん前から莉子に目をつけていたらしい、とか、最初がそもそも騙し討ちだったとか、そういう細かい事情は知らないはずだけど、何となく恐ろしいものを感じたようだ。
「えーと……アピールし続けるってことじゃないかなあ」
「そ、そうなんだ……」
私はコバからスマホを取り返すと『ほどほどにお願いします』と返事をした。新川センセーからは“ご心配なく”という返事が返ってきた。
良かったねぇ、莉子。新川センセーは逃がしてくれる気は全くないみたいだよ。莉子の一生を囲い込む気マンマンだわ。
しかも3月。莉子の誕生日があるじゃない。
きっと「恋人同士以外の何物でもないでしょ」というような事実を積み上げるんだろうなあ。新川センセー、超本気でヤる気だよね!
受験が終わったらどうなるのかねぇ。いやー、楽しみだ。
私がスマホを眺めながらニヤニヤしていると、コバが
「新川先生と仁神谷さんって、どっちもどっちなんだね……」
と何かを納得したように頷いていた。
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