SDカード ~新川透の事情・その1~(前編)
「あっ、そうだ! 新川センセーにお願いしたいことがあるんだけど」
莉子がウチの――新川病院を退院してから二週間ほど経った、木曜日。
個別補習を終えて勉強道具を片付けていた莉子が、急に声を上げて鞄からガラケーを取り出した。
莉子の母親の形見である、ピンクのガラケー。随分長い間使っているのか、塗装はあちこち剥げ、かなりみすぼらしくなっている。
火事の時、このいつもの鞄を咄嗟に持ち出したらしく(勿論、逃げる方が先だろと後で注意した訳だが)、母親から託されたお金もガラケーも無事、莉子の手元に残ったのだ。
前に一度、
「そろそろ普段使いはスマホにしたら?」
と提案してみたものの、
「必要ない。タブパソ借りてるし、それで十分だから」
とバッサリ却下された。
俺が買ってあげるから、と言ったところで
「嫌だよ。そこまでしてもらう訳にはいかないし」
とかつれない一言で切り捨てられるに決まっているので、それ以上は何も言えないでいる。
どうも周りの大人、特に俺に「何かをしてもらう」ことに抵抗があるようだ。補習やご飯についてはあまり嫌がらず、むしろ喜んでいるところを見ると、自分でどうにかできる限りは絶対に頼りたくない、という感じなのだろうか。
……まぁ、自分の一生がかかっている受験と並べるぐらい、料理が嫌いで壊滅的なんだな、ということはよーくわかったけど。
最初の方は
「そんなに頑なにならなくても……」
と密かに凹んだりしたのだが、莉子のソレは単なる拒絶ではなく自立心の現れなんだと思う。特に、俺に「庇護の対象」として扱われるのが嫌なようだ(単に敬遠されているだけ、という可能性についてはこの際考慮しないことにする)。
桜木社長や玲香さんに対しては比較的素直に甘えているところを見ると、俺と対等でいたいと思ってるのかな、と思う。
それは俺のことを他の大人とちゃんと区別しているということ――そして、自分のことを七歳も年下の女の子ではなくちゃんと一人の人間として見てほしい、と思っているということではないかと考えられるので、俺にとっては悪い事ではない。
だが、やはり男としては、好きな子には頼られたり「すごーい」とか言われたりしたいし、何かして喜んでもらったりしたい訳で、正直ちょっと寂しい。
莉子にしてあげたいことは色々あるのだが、莉子に素直に「嬉しい!」と感じてもらう事はかなりハードルが高く難題で、骨が折れる。
今のところ美味い食事を出すぐらいしか手段がないのが、非常に情けない。
ただまぁ、自分がそんな気持ちを一人の女の子に抱くようになるとは夢にも思わなかったので、莉子と出会えて本当に良かった、と思う。
さて、そんな莉子が俺に『お願い』とは、と思わず頬がだらしなく緩んでしまった。
「ん? 何? 何?」
と身を乗り出し、ついでに顔の一つも撫でとこうかと手を出すと
「そんなに近寄らなくていい!」
とペシッとその手を叩かれた。
相変わらずつれないね、とボヤキつつ、嫌悪感からではないその様子にホッと胸を撫でおろす。
莉子が真っ赤になってアウアウするさまというのは、実は大好物だったりする。構えてない、一番素直な反応だしね。
それに、莉子の好意を確認できる、今のところ唯一の手段だから。
莉子は「全くもう……」とブツブツ言いながら、ピンクのガラケーの細いところを指差した。
「えっとね、このSDカードの情報を見たいの」
「ガラケーの? 何で?」
「あのね、火事のあと、松岡さんから電話があって」
莉子によると、松岡氏は「大丈夫!?」「すぐにでも住む場所を手配するから!」と大騒ぎだったそうで、保護者代わりの玲香さんに電話を代わってもらい、向こうも小坂氏に代わってもらってどうにか事無きを得たらしい。
そのときに、このSDカードのことを思い出したんだそうだ。
母親から何も聞いてなくて、松岡さんに何も話してあげられなかった。私のことをこんなに心配してくれているのに何も返せないから、と莉子は心の底から申し訳なさそうな顔をした。
「それでね、お母さんの遺品からは何も見つからなかったんだけど、このSDカードになら何か表には出したくない情報が入ってるんじゃないかと思って」
「ふうん……。いいよ。じゃ、早速見てみようか」
「うん! ありがとう!」
両手を握り、ぶんぶんと首を縦に振る。可愛いな、と思いつつも俺に対してももうちょっと一生懸命になってもらえないだろうか、とも思ったりする。
ただ、これが莉子なりの甘え方で、我儘なのかもしれない。
身近な存在ほど扱いがぞんざいになるのかもしれないな、と自分に言い聞かせることにしよう。とりあえずは。
ただ見るだけならガラケーからも見れるんだが、と思いながらパソコンとアダプターの準備をした。
莉子はパソコンなどの機械にも相当弱い。頑なにスマホに替えないのも、恐らく新たに操作方法を覚えるのが面倒くさいのだと思う。
まぁ、こんなことでも頼ってくれるのは嬉しいので、余計なことは言わないが。
「ところで、俺も中身を見てしまうことになるけど、いいの?」
SDカードというと結構な個人情報なのだが、それは俺への信頼の表れ?
それは嬉しいが……と思って念のため聞くと、
「うん。お母さんのことだからそんなヤバいものは保存してないと思うし」
と、全然違う方向からの返事が返ってきた。
ああそう、俺へじゃなくてお母さんへの信頼ね。莉子は絶妙に俺の気持ちを揺さぶるね、本当に。
それに、何か一つ打つ手を間違えるとあっという間にどこかに逃げてしまって二度と俺の元には帰ってこない危険性もあるしね、莉子は。
本当に、莉子と対峙するというのはなかなかスリルがある。
七歳も年下の女の子に振り回される俺……情けないやら、楽しいやら。
莉子に会って、俺は今まで知らなかった自分をいくつ発見しただろうか……。
そんなことを考えているうちに、読み取りが終わったようだ。画面にファイルが映し出される。
「んー、アドレスが1件、かな」
「アドレス?」
パソコンの画面を指差す。莉子がひょっこりと顔を突き出した。
『小坂明仁 090××××××××』
「あれ? これだけ?」
「そうだね」
「……んん?」
莉子は鞄を再びガサガサと探ると、手帳を取り出した。カード入れに差してあった名刺を取り出す。小坂明仁・社長室長の名刺。
「……番号が違うね」
「会社用じゃなくて、こっちはプライベート用の電話番号なんだろう」
「ふうん……?」
「万が一何かあったときに連絡できるように、と思ったんじゃないか?」
「そうなのかな……」
「お母さんに別れるように言いに行ったの、小坂さんという話じゃなかった?」
「あ、そうか。じゃあ、そのときに名刺を貰ったから、とかかなあ……」
やや腑に落ちない様子ではあったものの、一応合点はいったのか、莉子がぼんやりと呟く。
俺はと言えば、なるほどそういうことだったのか……と妙に納得できたのだが。
* * *
莉子にはまだ言えないが、実は莉子のお母さんとは面識があった。
……とはいっても、定食屋の店員と客、ただそれだけだ。個人的な会話をしたことはなく、注文のやりとりをするのみだけども。
その定食屋は大学からそう遠くない場所にあり、学生の財布にも優しい良心的なお店だった。夫婦二人で営んでいる定食屋で、夜はちょっとした飲み屋にもなる。
莉子のお母さんは夜だけパートに入っていたので、俺が行くのもたいがい夜だった。
というのも、定食屋のおかみさんと莉子のお母さんが莉子の話をすることがあったし、あと、滅多にないけど学校帰りの莉子がこの定食屋に寄ったこともあったからで……まぁ、情報収集の一環とでも言おうか。
さて話を戻して、あれは……一年半前の、八月の夜。
大学も休みの期間だからか、定食屋には客が殆どいなかった。俺ともう一人、隅っこでちびちびと一杯やっている近所のおじいさんぐらいだろうか。
俺が莉子のお母さんにハムエッグ定食を注文したところで、ガラガラガラと入り口の引き戸が開いた。
「いらっしゃいませー」
と笑顔で迎えた莉子のお母さんが、入ってきた人物を見て一瞬だけ「あ」というような顔をした。
その男性は、真夏のこの暑い最中だというのにビシッとグレーのスーツを着こなし、襟元まできっちりとネクタイを締めていた。どう見ても仕事帰りに一杯やりにきた地元のサラリーマン、という風ではなく、出張でこの地に来た外の人間かな、と漠然と思った。
しかし、その白髪交じりの初老の男性は慣れた様子でつかつかと真っすぐにカウンターまで歩き、左手に持っていた黒い鞄を隅の椅子に置いて自分はその隣の椅子にすっと姿勢よく腰かけた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「焼魚定食で」
「かしこまりました」
「お変わりないですか」
「……ええ」
男性と莉子のお母さんがそんな会話を交わす。メニューすら見てないしどうやら馴染みの客のようだな、今まで気づかなかったけど、と思いながらぼんやりと眺めていた。
二人の会話はそれだけだった。手早く食事を済ませるとすぐに会計を済ませ、男は俺よりも先に店を出て行った。来たときと同じく、服をくつろげることもなくビシッとしたまま、姿勢よく歩いて。
俺が次にこの定食屋に来るのは、九月下旬のことになる。
店員が若い女の子に代わっていた。莉子のお母さんはどうしたんだろう、と会計の時にこっそりおかみさんに聞くと、交通事故で亡くなったのだと知らされた。
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