第4話 昼メロ展開なんて望んでないんだけど
このまま受験に向かって一直線だよねー!……なーんて呑気に考えていたけど、神様はまだ私に試練を与えたいらしい。
スーパーから帰ってくると、ポストに少し大きめの……A4サイズの封筒が入っていた。
何だDMかな、と思ったら、ちゃんと宛名には『仁神谷莉子様』と書いてある。
開けて見ると、「松岡建設」という会社のパンフレットと、白い便箋に書かれた手紙だった。
* * *
仁神谷莉子様
初めまして。松岡浩司と申します。
東京で「松岡建設」という会社の専務を務めております。今年で44歳になります。
そんなオジサンがなぜ急に、と思われたことでしょう。
突然、こんな手紙を送りつけて、本当にすみません。
あなたのお母様、仁神谷多恵子さんとは、今から二十年近く前に知り合い、交際をしておりました。
しかし三年ほど交際したあと……今から十七年前に、多恵子さんは
「ごめんなさい。もうお付き合いはできません」
という言葉だけを残し、私の前から姿を消してしまいました。
私は多恵子さんにフラれたのだと――そう思い、その後は親の勧めるまま見合いをし、結婚いたしました。
しかし突然の別れはいつまでもいつまでも、私の心に影を落としていました。
最近になり、仁神谷多恵子さんが、1人で女の子を産み、育てていたこと。
そして一年以上も前に亡くなったことを知りました。
突然のことに驚き、しばらく何も考えられませんでしたが、一人残された莉子さんはもっともっと辛かったのではないかと思います。
悩みましたが、どうしてもこう思わずにはいられません。
仁神谷莉子さん。あなたはひょっとして、私の娘ではないですか。
そうだとして……いえ、もしそうじゃなかったとしても、一度お会いしたい。
生前、多恵子さんがどのように過ごしておられたのか。莉子さんは多恵子さんからどのようなお話を聞いておられたのか。是非お伺いしたいのです。
11月23日と24日、ちょうどそちらに出張に行く予定になっております。できましたらそのときに、時間を作っては頂けないでしょうか。
* * *
手紙は、再度突然の手紙を詫びる言葉でしめくくられていた。
そして余白には、松岡さんの携帯番号が書かれている。
え、これって……どういうこと?
この松岡浩司さんとやらが、私のお父さんかもしれないってこと?
お母さんは、父親については何も話してはくれなかった。
いや正確には、小さい頃は「死んだ」ことになっていた。だけど中学生になったあるとき戸籍謄本を見る機会があって、そしたら父親の名が空欄になっていた。
調べてみたら、結婚後に若くして死んだ、とかなら父親の欄には名前が記載されているはずだ、とわかって。
父親の欄に記載がないのは、私が父親に認知されていない私生児だから、ということに気づいて。
そのときに、お母さんに聞いた。でも名前は教えてくれなくて
「生きてはいる。だけど、死んだものと思いなさい。私もそう思ってるから」
と言われて、何も言えなくなった。
悲しかったわけじゃないよ? だって元々いない存在なんだもん。ただ、お母さんの意思に従っただけだ。
私にとっては、遺伝子的に存在しているらしい父よりも目の前のお母さんの方が大事だったし。
だけど……今になってこんな風に揺さぶられるんなら、やっぱりちゃんと聞いておけばよかった。
ねえ、お母さん。私はどうすればいいの?
「莉子ちゃん、こんにちはー!」
バタンと扉が開き、玲香さんが笑顔で元気に現れた。私はハッとして、慌てて手紙を近くに投げていた鞄に突っ込んだ。
「あ、玲香さん……。しまった! お菓子、買ってきてそのまんまだった!」
笑顔を作って立ち上がる。玲香さんは「そんなのいいよー」と言いながら入ってきた。そして、テーブルの上のある物に目を止める。
「松岡建設……?」
「あっ!」
しまった、隠すのを忘れちゃった。……いや、パンフレット自体は別にやましいものでも何でもないんだけどさ。
しかし玲香さんは私の焦りには気づかなかったようで、特に気にも止めない様子でパンフレットを手に取った。「へー」とか言いながらパラパラとめくっている。
「そっか、莉子ちゃん建築志望だっけ。この会社に行きたいの?」
「あー、いやー……」
そんな訳あるかーい!……という言葉をグッと飲み込む。
そんなことになったらややこしくて仕方がないよ。愛人の子とかさあ……。私は昼メロを演じる気はないからね。
「たまたま貰って、どんな会社かなーって」
「ふうん。……あ、本社は東京なのか。確か、結構大きな建設会社なのよね。良かったら、調べてあげようか?」
「え?」
「昔取った杵柄でね。ツテもあるし」
「あ、じゃあ、お願いします」
玲香さんが調べると言ってくれたのは会社のことだろうけど、松岡建設の松岡浩司さんということは、社長の血族なのかもしれない。だったら、「会社のこと」=「松岡浩司さんの背景」ということになる。知っておいて、損はない。
「でも、東京で就職するの? 新川透くんは……」
「あーもう、そんな先のことは分かんないですから! まずは大学に合格しないと!」
何やらまた返答に困ることを言いかけた玲香さんを遮る。これ以上は聞きませんよ、と目で訴えると、玲香さんは「まぁそれもそうね」と少し残念そうに肩をすくめた。
* * *
玲香さんに文化祭の報告をし、ガッツリとからかわれて。
新川透の個人補習を受け、執拗なハグ攻撃を躱しつつも。
私の頭の中では、松岡浩司さんの手紙の文面がグルグル回っていた。
やっぱりお母さんの過去を知る人に聞いてみないと、と思い、翌日の金曜日、私は掃除婦の仕事のあとにさくらライフサポートに行った。
桜木社長に会い、松岡浩司さんの手紙を渡す。老眼鏡をかけてじっくりと時間をかけて読むと、桜木社長は
「ああ……そういうことだったのかい……」
と、眉間に皺を寄せながら深い大きな溜息をついた。
「私にも何にも言わなかったからねぇ……」
「そうなんですか……」
じゃあ、この松岡さんが私の父親かどうかもわからないってことか。
私はガックリと項垂れた。
東京から逃げるように帰ってきた身重のお母さんを助けたのは桜木社長だ。だからひょっとしたら、口止めされていただけで何か知ってるかと思ったのに……。
お母さん、意思が強固すぎやしませんか。
「しかし、大きそうな会社だねぇ。『松岡建設』の専務の『松岡さん』ということは、社長の息子か何かってことだろう?」
「そうみたいです」
玲香さんに調査はお願いしたけど、私もタブパソで調べてみた。
現在の社長は手紙をくれた松岡浩司さんの父親だった。HPの『ごあいさつ』のところに写真が載っている。そしてこの『浩司さん』も、専務という事で『役員紹介』のところに写真が載っていた。
松岡浩司さんはまだ三十代に見える、素敵なおじさんだった。まぁまぁカッコよくて、優しそうで、でもちょっと頼りない感じ。言いたくないけど、きっと若い頃モテたんだろうなあ、という雰囲気。
何でパンフレットを同封したのか疑問だったけど、自分の身元証明か何かのつもりだったんだろうか。
松岡建設は創業は1851年とかなり古く、しかも代々創業者の血縁でトップを引き継いでいる会社だった。きっとこの松岡浩司さんも、そのうち父親から社長職を引き継ぐんだろう。
建築志望の私の父親が建設会社の人間というのも、変な巡り合わせだよね。
「ただね、莉子ちゃん」
「はい?」
「タエちゃんはね、この子をどうしても産みたいんだと。そう言ってたんだ」
「……」
「きっと、好きな男の子供なんだろうねぇ、とは思ったよ。訳があって誰にも言えなかったけど、それだけは確かなんだろうなって」
「……」
十七年前に浩司さんと別れたお母さん。計算としては、確かに合っている。
そして桜木社長の話から考えても……私の知っているお母さんを考えてみても、複数の男の人と付き合うとか、そんないい加減なことをする人じゃない。
「やっぱり、この人が私のお父さんなのかもしれないですね」
「そうだねえ。だけど、なにぶん根拠がねぇ……」
「うーん……」
「遺品整理したときも、何も出てこなかったしねえ」
「……はい……」
お母さん、ちょいと意固地過ぎやしませんか?
大好きな人だったんでしょう? 思い出の品の一つも残しておきましょうよ。
本当に頑固だなあ……。
――でも、少しだけ分かる気もする。
私も大好きな人と別れるとしたら、きっと痕跡は全部消すと思うから。
だって、残しておいても未練が募るだけ。失ったものに縋っても仕方がない。
なぜか、新川透の顔が思い浮かんだ。関係ないじゃんか、と慌てて頭の隅に追いやる。
どうも最近、意識することが多くて困るよ。
そのとき、私の鞄の中から優雅なメロディが流れた。新川透から預かっているタブパソだった。
見ると、メッセージの着信マークが付いている。まぁ、タブパソに連絡を寄越すのは新川透しかいない訳で……開いてみると、明日の模試の日程確認だった。土日に行われるマーク模試は、私は例によって7階の控室で受けることになっている。
とりあえず既読にして鞄にしまおうとして……ふと、傷だらけのガラケーが目に止まった。
「……あ」
「どうしたんだい?」
このピンクのガラケーは、お母さんの形見だ。お母さんが使っていた当時の連絡先などは、念のためすべて残してある。もしお母さんの古い友人から連絡が来た場合、ちゃんと知らせないといけないし。
アドレスとメールは一年前に確認して整理した。
だけど……。
「SDカードに何か残ってないかなあ、と」
「SDカード?」
「これです」
私はガラケーから取り出して桜木社長に見せた。
私も全然その存在を認識していなかったけど、前の盗撮騒ぎのときに新川透は言っていた。ガラケーのデータはSDカードに落とすことができて、パソコンで取り出せる、と。
お母さんが誰かに見られたくないモノを保存している可能性は、十分考えられる。
「こんなちっちゃいモノにかい?」
「はい。データを取り出す機械に通せば見れるはず。新川センセーがその機械を持ってるはずなんです」
「新川先生には、何て言うんだい?」
「あー……うーん、そうですねぇ……」
「もしこの松岡さんが莉子ちゃんを引き取りたい、とか言い出したらどうするつもりなんだい?」
「えっ!?」
予想外のことを言われて、裏返った変な声を上げてしまう。
まさか、そんなことが。ある訳がない。
「だって、認知すらしてないのに……」
「それは知らなかったからだろう?」
「それに私はもうすぐ18歳になりますし、あちらに私を養う義務はないですし」
「向こうの考えなんざ分からんさ」
「え、でも……」
「可能性としては考えられる。そのとき――莉子ちゃんはどうするんだい?」
「え……いや、ちょっと待ってください」
何かとても重要な決断を迫られた気がして、私はぶんぶんと手を振った。
「だって向こうがどう考えてるかなんて分からないじゃないですか。まずはそれを知らない事には……」
「じゃあ、向こうが引き取りたいと言ったら素直に引き取られるのかい? 一目会いたかっただけと言われたら、もう二度と会わないのかい?」
「それは……」
「まずは、あんたがどうしたいかだろ?」
――正論だ。
桜木社長の真っすぐな問いに、私は答えられなかった。
そうだ、こういうところが私の臆病なところ。相手がどういうつもりか、どんな行動に出るのかを見極めてから自分の行動を決める。
予想できないと、不安で仕方がない。
そう言えば……新川透に対しても、私はそうだったのかもしれない。
今まで私は「新川透はどういうつもりなんだろう、何を考えてるんだろう」とそればかり考えていたような気がする。
でも、考えても分からないから、考えるのは止めて、もう無いものとして扱っていて。
それじゃ駄目なんだろうか。
新川透に対しても――「私がどうしたいのか」を、考えないといけないんだろうか。
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