第5話 関係ないもん!
日曜日の記述模試のあと、特に何事もなく一週間以上が過ぎた。『ミネルヴァへのお願い』として模試の問題が置かれるようなこともなかった。
前の模試のコピーは新川透が捨ててしまったはずなので、持ち主には返却されていない。だから置いた主もマズいと思ったのかもしれないな、と思う。
だけど……私の中では、ちょっと引っ掛かっていることがある。
一昨日の月曜日。新川透の個別補習が急にお休みになった。夕方頃に連絡が来て、
「帰りが9時過ぎるから無しにするね。ごめん」
と言われた。
そりゃ仕事が忙しい時もあるよね、と思い「うん、いいよー」とは言ったものの、時間が経つにつれて
「でも、何でだろう?」
という疑問が沸いてきたのだ。
いやいや、アレよ? 別に拗ねてるんじゃないよ?
何か「らしくない」なあ、と疑問に思ったというか……。まぁ、何が「らしい」のかもよくわかってないのかもしれないけどさ!
あー、もう、この話はやめよう!
そして今日は、水曜日。私の唯一の昼上がりの日。
私は桜木社長がいる『さくらライフサポート』に顔を出していた。掃除婦の仕事について相談するためだ。
ここの会社は20日締め。だから12月20日までは今のフル体制、21日以降は月~金の午前のみというのは可能だろうか、と聞いてみた。
「えっ!? 年明け後もやるのかい?」
私の言葉に、桜木社長が目をまんまるにして驚く。
色々考えてみたけど、急に全部なくなって余裕ができたとしても、全ての時間を勉強に費やせるかといったら無理な気がした。生活リズムを崩してダラダラと過ごしてしまいそうだ。
それなら朝はちゃんと起きて仕事をして、午後からの時間を勉強に充てたい。
「勝手だとは思うんですけど……」
「いや、長くても年内だろうからと人員の調整は考えていたからね。早めに言ってくれて助かったよ」
「そのあとは受験前後だけお休みを頂いて、3月20日まで勤めさせていただければと思うのですが」
「ええっ!?」
そんなびっくりするようなことを言ったつもりもないのに、桜木社長がさっきよりもさらに大きな声を上げた。
何でだろう? だって、平日の午後と土日は休みだし、仮に引っ越し準備とかいろいろあるにしてもどうとでもなりそうなんだけど。
「新川センセーはどうするんだい?」
「え!?」
今度はこっちが叫ぶ。
何でここで新川透が……。新川透よ、おばちゃん達の支持率が高いな!
法事の時、好き勝手言ってたしなあ……。桜木社長も「この人に任せておけば大丈夫」みたいに思ってるんだろうか。
だから新川透は私の保護者じゃないんだからさあ……。
じゃあ、何なの?と聞かれると、返事にすごく困るけど。
「何でここでその名前が出るんですか……」
「何でって当たり前だろ? それに受験が終わればてっきりパーッと遊ぶのかと思ってたけどねぇ」
「少しは遊ぶとは思いますが、奨学金の申請とかその後のこともしっかりと考えないと」
「そうじゃなくて。新川先生とはどうするつもりなんだい?」
「ぶっ」
飲みかけていたお茶を盛大に吹き出しそうになる。
何で私の今後の相談の話で新川透が出てくるの。何、桜木社長の中ではもうニコイチなの?
「どうもこうも、関係ない……」
「えー? そりゃあさすがに新川先生が気の毒だろう」
「な、何で……だいたい、私たちは恋人同士でも何でもないんですよ!」
とにかく誤解を解かなくては、と必死になって叫ぶと、桜木社長は「呆れた」と言ってずずずっとお茶を啜った。
「あんたが
「それは……」
「バカだねぇ、頼れる人がいるのに相談ぐらいしたらいいだろう?」
「――ずっと頼れるとは限らないからです」
桜木社長の『頼れる人』という言葉にピクリと反応してしまった。自分の想像より、ずっと暗い声が出た。
そうだね。私が引っ掛かってるのは、やっぱりココかもしれないな。
頼ること、甘えることを覚えて……もし放り出されたら、もう自分一人では生きていけなくなってしまう。
勿論、助けてくれる人が現れたら「ありがとう」と心から感謝する。だけど、自らアテにするようでは駄目なんだ。
桜木社長はしばらく私を眺めつつ黙り込むと、やがてふうっと溜息を一つついた。
「……そういうとこ、タエちゃんに似てるよねぇ」
「お母さんに、ですか?」
「そうそう」
お母さんがどういう経緯で私を生んだのか、父親は誰なのか、詳しいことは聞いていない。
でも桜木社長には十代だった頃からお世話になっていて、結局こうして地元に戻って私を育てることができたのは、桜木社長がいろいろと面倒をみてくれたから――。
それは、お母さんから何回も聞いていた。
「意思が強すぎるのも考えものだよ。決めてしまう前に、『こうするつもりなんだけど』ぐらいはちゃんと相談してあげな」
「何で……」
「男は些細なことでも傷つくからね」
「……」
「それに男をやる気にさせるのがイイ女の条件ってものさ」
いや、別にイイ女じゃなくていいです。
うーん、私が相談しないとなぜ新川透が傷つくのかはさっぱり分からなかったけど、今現在、私のことを考えていろいろと心を砕いてくれていることは確かだ。
そんな人を邪険にするのはよくないよね。
だけど、そもそもあっちが私に何の相談もなく勝手に何かをやりかねないんだよなー。すごく大きく事を動かしそうだしなー。
「まぁとにかく、年明け後は人員に余裕を持たせるようにはするから、こっちのことは気にしなくていい。自分のやりたいようにやりな」
これ以上は言っても無駄だと思ったのだろう。桜木社長はそう言って話を切り上げた。
私は「また考えてみます」とだけ言って、さくらライフサポートを後にした。
* * *
今日はこのあと、恵とお隣の玲香さんが私のアパートに遊びに来る。
玲香さんとは二日に一回ぐらいのペースで顔を合わせている。朝の新聞配達が終わったあとだったり、予備校の掃除の仕事が終わった後の夕方だったり、時間帯はバラバラだけどね。
カジュアルだったり、パンツスーツだったり、服装はさまざま。不規則な時間のお仕事なのかな、と思って聞いてみると「新聞記者なのよ」と言って名刺を見せてくれた。『社会部 森田玲香』と書かれたその名刺は、ウチの地区では大手の新聞社のものだった。
そんなキャリアウーマン玲香さんのことは、恵にも話した。先週、私のアパートに遊びに来たときに
「隣、新しい人が来たんだね」
と言ったので
「新川センセーの高校の先輩らしいよ」
と答えたら
「えっ、マジで!?」
と物凄い食いつきを見せたのだ。
「特別選抜コースの1つ上の先輩なんだって」
「へぇ……」
「だからね、ちょっと話を聞いてみたいな、と思ってるんだけど」
「あ、いいかもね!」
恵が前に仕入れてくれた情報の元となった看護師さんは、一般コースの人だったらしい。華厳学園の特別選抜コースは1学年に2クラスしかなく、一般コースとは校舎も別。同級生よりむしろ上下の繋がりの方が強いんじゃないか、という話だ。
「やっぱりね、情報収集は大事だと思うんだよね」
「まぁ、そうだね。私も話を聞きたいな」
「恵も?」
「何か面白そうだし。あと、その玲香さんにも会ってみたいし」
「何で?」
「莉子、玲香さんのこと結構気に入ってるでしょ」
「うん……まぁ」
「それって結構、珍しいからさ」
そう言うと、恵はアハハと楽しそうに笑った。
そう言われれば、そうかもしれない。これまで何となく適当に距離を取って付き合うことが多くて、個人的事情に踏み込むことを避けてきた。それは勿論、自分が踏み込まれたくないからなんだけど。
だから同級生なのに顔も覚えてない、なんてことはザラで、よく恵に叱られていた。
そんな私が「面白そうな人」と話すので、恵も気になったのだろう。
という訳で、玲香さんの都合を聞いて今日の夕方五時に三人で会うことになったのだ。
どういう話が聞けるかな。
高校生の新川透は、どういう感じだったんだろう。私と同じぐらいの頃、何を考えていたんだろう。
それが分かれば、私ももっと新川透のことを……。
「……いやいや」
思わず独り言が漏れる。
私ももっと、何だ? 何を期待してるんだか……。
え、期待?
「それはないって!」
自転車を漕ぎながら思わず叫ぶと、道端で寝そべていた茶色い猫がビクッとしてどこかに走り去っていった。
そうそう、今の私は志望大学合格に向けて突っ走るだけなのだ。
自分の人生設計に、他人を組み込むわけにはいかない。相手がその後どうするかなんて、知りようもないんだから。
不確定要素は排除するに限るのだ。
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