第2話 カッコいいお兄さん、嫌いじゃないけどさ
10月に入ると、朝の5時はまだ暗い。自転車を漕ぎながら色々な家を回っているうちに、やっとうっすらと夜が明けてくる。
やっぱり「新聞配達は11月末まででお願いします」って配達所のおじさんに言おう。朝もどんどん冷え込むし、さすがに本来の目的である大学受験に備えた方がいいかも。
掃除の方は……どうしようかなあ。今度、桜木社長に相談しなきゃ。
朝の新聞配達が終わると、私はいつものコンビニに行った。昨日の夜に新川透から電話があって「寄ってくれ」と言われていたのだ。
今日は木曜日だから、夜には個別補習で会えるのにな。何でだろう。
「莉子」
私の姿を見つけると、新川透がニコッと笑って手を上げた。紺のパーカーにオフホワイトのワイドパンツ。足元は真っ白なスニーカー。
何気ない感じだけど、只者ではない雰囲気が溢れ出してる。その証拠に、大あくびをしながらコンビニにやって来たおばさんが「あらっ」という感じで新川透を二度見していた。
おばさん、顎がガチンってなってましたよ。大丈夫ですか。
……うーん、待ち合わせ場所、もう少し遠くにした方がいいかもしれない。アパートから離れているとはいえ、噂にでもなったら……。
いや、瓶底眼鏡にヨレヨレのトレーナー、くたびれたジーンズのガリガリちんちくりんの私とじゃ、噂にはならないか。
でもなあ……。
「まーた、何をグルグル考えてんだ?」
頭に載せられた手の重みでハッとする。
だ、だからですねぇ……この頭ポンは止めてもらえないかな。多分、ペットのワンちゃんを撫でる感覚と同じなんだと思うけど、無駄にドキドキすんの!
「もう、ソレやめて!」
「何で」
そのままグシャグシャと頭を鷲掴みされる。
えぇい、私は犬じゃないってんだよ!
「あのね、確かにちょうどいい高さに私の頭があるのかもしれないけどね」
「うん、いい感じ」
「うるさい! 私はペットじゃないんだからね!」
「ははは、勿論だよ」
はははじゃねぇ、そんなこと言ってるけど絶対にわかってないし。何で朝からそんなに爽やかなんだ。
とにかくペッペッと新川透の手を振り払うと、あたしはグシャグシャにされた髪の毛を直しながら
「んで、何の用事?」
とぶっきらぼうに言葉を吐き捨てた。
新川透は「そうそう」と言いながら、ポケットから何かを取り出した。
「はい、手を出して」
と言うので「何のこっちゃ」と思いながら右手を出すと、ポンとそのポケットから出したものを載せ、握らせる。
――銀色の、鍵。
「今日はちょっと遅くなるかもしれないから、悪いけど自力でマンションに来てくれる?」
「えっ!」
「あっ、日が暮れる前にな。暗くなると危ないから」
何でもないことのように言う新川透。私は彼の顔と自分の右手の鍵を代わる代わる見比べた。
ちょっと待てよ。つまり何か、これは新川透のマンションの鍵?
な、なんつーもんを人に預けるのよ!
「や、や、やだよ! 怖い!」
「怖い? 何で?」
「これ、合鍵でしょ!? 怖いよ!」
「うーん、莉子のことはだいぶん分かってきたつもりだけど、何が怖いのかよく解らないな……」
「
何で分かんないかなー。すごく踏み込んだような――踏み込まれたような気がするんだよ。
心のどこかで、「私はそんなんじゃないのに!」と叫んでるプチ莉子がいる。
その一方で何か小躍りしてるヤツもいたけど、それは「アホかーい!」と叫んだその他のプチ莉子ズに蹴られてあっという間にどこかに飛んでいった。
私がそんな葛藤をしている間に、新川透の表情がみるみる曇っていった。怒っているというよりは、淋しそう、という感じだ。
ちょっとギクリとする。え、私、何か傷つけるようなこと言った?
「莉子」
「……はい」
「恵ちゃんにアパートの合鍵を預けてるよね?」
「それは、まぁ……」
「恵ちゃんにさ、『他人ん家の鍵を預かるのは嫌だ』って言われたらどう思う?」
そう言われて、ちょっとハッとする。
恵は「万が一のためだよね。いいよー」と言って笑ってくれた。私は恵を信頼しているし、その証でもあった。
多分、恵に拒否されてたらちょっとショックだったかも。深く関わり合いたくない、そんな重い物を背負わせないで、と言われたような気がして。
あれ、でも待てよ? 今ってそれと同じ話なのかな? 何か違うような?
「でも……それなら今日の補習はナシにすればいいんじゃないの?」
「俺はナシにしたくないの」
「そっか、追い込みかけないといけない時期だもんね」
「違う。ソレ、わざと?」
「は?」
何がソレで何がわざとなのかさっぱりわからんぞ、と思いながら眉間に皺を寄せると、新川透がうっすらと微笑んだ。
妙に目元が甘いです。何か変なオーラが出てます。
あれ、これって……。
「俺は週2と言わず毎日でも莉子に会いたいんだよ」
「は……」
そして頭ポン、アーンド少しかがんで顔を近づけての覗き込み攻撃ー!
やめてー、やめてー! ここお外! コンビニの前です!
「ねぇ、そろそろ理解してくれる?」
「り、りか、リカイと申されましても……」
いや、やめて、朝の6時に全力で誘惑すんなー!
ああっ、さっきのおばさんが「まだやってるわ」的な目でこっちを見てるー! 恥ずかしい!
何でこの人、こうやって変なイジリをしてくるの? 人を赤面させるのが趣味なの? すぐアウアウしてしまう私が悪いの?
「まぁとにかく。ソレは莉子が持ってて。じゃね」
「あ……」
私がアタフタしている間に、新川透はさっさと白いレクサスに乗り込んでしまった。そのままあっという間にコンビニの駐車場から出て行ってしまう。
その一連の流れを、私はボケーッとしながら見送るしかなかった。右手の銀色の鍵が、やけに熱く感じる。
ふえー。結局、預かっちゃったよ。あの人の危機管理はどうなってるのかな。
ひょっこり戻ってきた小躍り莉子が『いやーん、それってすごーく信頼されてるってことじゃーん❤』とのたまうのを再び蹴り飛ばし、私は
「うーん……」
と、あえて声に出して唸ってみた。
まぁ、深くは考えまい。やっぱり、あんな顔をさせるのはよくない。このイジリはその報復行為なんだろう、きっと。もしくは、この銀色の鍵が新川透の何らかの精神安定剤なのか。
どっちにしても、このまま投げ捨てる訳にもいかない。責任持って、ちゃんと預かろう。よし!
とりあえずそう決意すると、そのカギをポケットに……入れるのは何だか怖かったので右手に握りしめたまま、自転車に跨った。
* * *
アパートに戻ると、ちょうど玲香さんが駐車場にいた。白いカットソーにベージュのジャケット、パールピンクのセミワイドパンツ。昨日は適当にまとめていた長い黒髪をさらりと流し、カッコイイお姉さんになっている。
黒い軽自動車のドアに手をかけているところを見ると、今から出勤なんだろうか。まだ6時過ぎなのに……早いな。
「あ、おはようござ……」
「見-ちゃった」
私の言葉を遮り、玲香さんがくふふ、と奇妙な声を漏らした。その目は妙にキラキラしている。
「アレ、新川透くんじゃない」
「えっ!」
コンビニでのやり取りを見られてたのか……。やっぱり、待ち合わせ場所をもっと遠ざけないと。
そんなことを考えて思わずしかめっ面をすると、玲香さんは意外そうな顔をして私を見つめた。
「何でそんな顔するの? ハイスペック彼氏じゃない」
「彼氏じゃないです! ……っていうか、新川と、えと、新川センセーのこと、知ってるんですか?」
「同じ高校だもん。私の方が一つ上だけど、コースも同じだし」
「な……」
何と! こんなところにとてつもない情報源が!! 何を考えているかわからない新川透の過去を詳細に知る人物!
そうだよ、だいたい私は新川透のことを知らなすぎる。しかし本人から聞くのは何だかとても怖い。よく分からないうちに丸め込まれそうな気がする。
ここはやっぱり、客観的な立場の人の見解が必要だ。
ちょっとは対策を立てなくては。無策過ぎて、前は新川透にいいようにやられ過ぎたもん。
玲香さんの情報――これは起死回生の一手になるに違いない!
「あ、私、もう行かなきゃ!」
私が興奮気味に両手の拳を握りしめていると、玲香さんは左手首に巻かれている薄いピンクの皮ベルトの時計を見た。ワイドパンツに合わせたコーディネートだろうか。オシャレ……。
ホケッと見惚れているうちに、玲香さんはさっさと車に乗り込んでしまった。
しまった、どうにか約束を取り付けなくては。その話の続きを是非……!
と、考えて思わず手を伸ばすと、ウィーンと運転席の窓が開いた。
「また話を聞かせてね!」
「あ、はい!」
玲香さんの新川透情報も是非聞かせてください!
……とはさすがに言わなかったけど、ぺこりとお辞儀をする。
玲香さんはニカッと笑うと、ひらひらっと手を振って走り去っていった。
隣に楽しそうなお姉さんが引っ越してきたんだー、と新川透に言おうと思ったけど、やめた。
どんな人?って聞かれて「新川センセーの高校の先輩」と答えようもんなら、
「すぐに引っ越せ!」
とか言いそう。
何となくだけど、あんまり昔のことは探られたくなさそうだし。
情報のソースは明かしちゃダメですからね。これ、極秘調査の鉄則。うむうむ。
新川透と同じ高校と言うと、ウチの地区にある中高一貫の私立校、華厳学園だ。しかもコースまで同じという事は、その中でも一般コースじゃなく特別選抜コースということになる。
この学園ってどっちかというとおカタい人が多いイメージだけど、あんな面白そうな人もいるとは。
私の知らない、何だか楽しそうな話が聞けそうだな。
……と、私にしては珍しく、非常に短期間で玲香さんへの信頼度が急上昇したのだった。
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