初詣に行こう ~その後の四人~(前編)
「わあ……」
白い息を吐きながら、私は目の前の石段を見上げた。キンと冷えた空気が、私の声をより遠くまで響かせているような気がする。
山奥の鬱蒼とした樹々に囲まれた石段。その奥に、新川透が言っていた学業成就の神社があるのだろう。
そこにいたのは、大半が親子連れだった。小学生ぐらいの子供にお母さんが「足元に気を付けなさい」と声をかけながら手を引いている。興奮しきったように石段を駆け出す中学生ぐらいの子や、それを慌てて追いかけるお父さんもいた。
普段はきっと、こんなに人が訪れることはないんだろうな。
そう思ってしまうような、山奥のこじんまりとした神社。石段を登りきり鳥居をくぐり抜けると、参道にはお参りをしようとする人々によって長蛇の列ができていた。何百人といる訳ではないけれど、拝殿自体がそう大きくはなく一度に三組ぐらいしかお参りできなさそうだ。そのため、0時になったらお参りしようという人の群れができ、こうして順番待ちになってしまったんだろう。
「莉子、あっちにご神木があるからまずはそこからね」
「へ?」
「だからここからは別行動で」
新川透はそう言うと、ガシッと私の肩を抱いてずるずると引きずるように歩き出してしまった。慌てた私がジタバタしながら
「えっ、ちょっ……」
と抗議の声を上げたけど、あっさりと無視される。
振り返ると、健彦サンと恵が
「……だろうな」
「そりゃ、まあねぇ」
と頷き、半笑いで私達を見送っていた。
何だ、その「でしょうね」感は? どこで二人は意気投合してるのよ?
二人と離れ、まずはご神木の方へ。傍に置いてある石灯篭がぼうっと、樹の幹とそれにかかる注連縄、そして宙に向かって伸びる枝を浮かび上がらせている。
周りにある樹々よりも二回りぐらい幹が太く、私ぐらいならすっぽり隠せてしまいそうだ。灯篭の明かりのせいかその佇まいは別格で、未知のエネルギーを蓄えているように見えた。
厳重に囲いがしてあり触れてはいけないようだったので、私たちは手を合わせてお祈りするだけにしておいた。
ふと左手の拝殿の方を見ると、お参りするための列ができている。とりあえずその最後尾に並んで一息ついた後、
「ねぇ、別行動はマズいんじゃない?」
と小声で聞いてみたが、新川透は
「何が?」
と全く意に介さなかった。
「タケと恵ちゃんもちゃんと連れてきた。二人は目の前の列に並んでそのままお参りするだろうし、莉子の希望は叶えただろう?」
「それは、まぁ……」
「だからここからは俺の希望を莉子に叶えてもらう番だからね」
何じゃそりゃ! ターン制かよ!
でもまぁ確かに、私が気にしていた点はオールクリアになった訳だしね。ここは素直に従っておいた方がいいかもしれない。
だけど、あの二人は困ってないかなあ。勝手に置き去りにされて、怒ってないだろうか。
気になって恵たちの方を見ると、新川透が言うようにそのまま参道沿いの列に並んでいた。特に気分を害した様子もなく、普通に言葉を交わしている。
恵と健彦サンは、個別補習でも話はしている。もっぱら恵が問題の質問をして健彦サンに教えてもらったり、覚えるコツを教えてもらったりといった感じだけど。
だから勉強以外の話をしているのは見た事がないし……そんな状態で二人きりにしていいのかなと思ったけど、健彦サンて恵よりむしろ私との会話の方が何だか面倒くさそうにしてるし(失礼な話だ、まったく)、四人でいたところで楽しい会話は望めなかったかもしれない。
……とすると、今の状態の方がいいのかな。
とりあえずそう自分を納得させ、私は諦めて前を向いた。
新川透には肩を抱かれたままだけど、この状況では仕方がない。0時が近くなってきて人が増え、この神木側の列にも人が押し寄せるようになってきた。
人より小さくガリガリの私では、埋没してあちこち流され、挙句の果てには迷子になってしまいそうだ。申し訳ないけど、しっかり掴まえててもらわないと。
ちなみにここで
「俺の希望って何?」
とか聞いてはいけません。それは藪蛇というやつです。
さらーっと流しておきましょう。
はい、これ『新川透トリセツ』第1条ね。基本、おねだりする隙を与えてはいけません。
そうでなくても、ゴリゴリに要求をかましてくるんだから。
境内には所々に篝火と灯篭が置いてあり、かろうじて参道がわかるようになってはいるもののひどく暗い。私たちのいるご神木周辺は参道から少し離れているので、特に暗かった。
正面の拝殿だけライトアップされていて、冬の空を背景にぼうっとその荘厳な姿が浮かび上がっている。どこか幻想的で不思議な力が宿っていそうで、ちょっとドキドキした。
「綺麗……」
「そうだな。二人きりならもっと良かったのに」
「新年の神社だもん、無理だよ」
「まさかこんなに人がいるとは……初詣ってこんなに賑わうんだな」
人より頭一つ飛び出ている新川透は、興味深そうに辺りをキョロキョロ見回した。私も真似をして見回そうとしたけど人の壁に阻まれて全く分からず……恵たちの姿も見失ってしまった。
いいなあ、背が高いと。こういう人混みでは得だよね、澄んだ空気も吸えそうだし。背が低い私にとっては、この周り中人だらけというのは、こう息が詰まるというか……。
しかし寒いなあ。真冬だし、当たり前だけど。
じーっと立ちっ放しだと、身体がどんどん冷えて背中と腰が辛くなってくるんだよね。
「莉子」
「ん……って、おい!」
何をトチ狂ったのか、新川透の顔が目の前にあった。私は思わず顎をグイっと押し返した。
「ちょ、莉……」
「な、何をしようとした、今……」
グイグイと右手で顎を押し上げながら、なるべくドスの効いた声を作って訴える。
アンタまさか、こんなところでキスしようとしませんでしたか。
この、周り中人がいる中で! おかしいだろ! いくら暗いからって!
「ひょっとして勘違いした? 違うよ、ちょっと抱き寄せようとしただけ……」
「な、何で!」
「寒そうだったから。莉子、脂肪少ないし」
「余計なお世話だ!」
「ほら、暴れないの」
「何を……ふぐっ」
左肩に回っていた手がそのまま前に来て、私の口を塞いだ。新川透の顎を押さえていた右腕の手首が掴まれ、身動きができなくなる。
ちょ……ちょっと待て。これ、誘拐されるときにされるポーズ! クロロホルムとか嗅がされるやつ!
何でこうなった!
「うー、うー!」
「ちょっと静かにしようか、莉子。気分が台無しになる」
何の気分だ! 誘拐魔の気分か!?
だいたい何で、いつもいつも実力行使なのよ。スルーしたところで結局……。
いやいや、通常なら『新川透トリセツ』第2条、「距離感に気をつけよう!」でどうにかなるはずだった。今回は列に並ぶという関係上、無理だったけど。
そんなことをグルグル考えている間に、ドンと背中に何かがぶつかり、何やらスポッと身体を包まれた。
はえ?と思っている間に、両腕がニュッと目の前に現れる。……自分のコートの四番目と五番目のボタンを留めている、新川透の手。
「えっ!」と思い、内側からコートの両襟を掴んだが、そのまま後からハグされたために完全に身動きができなくなってしまった。
……あれっ!? 閉じ込められた!?
何だ、このカンガルー状態は!!
「よし、捕まえた。捕獲完了」
「な……」
「寒そうだったからね。暖かい?」
「あ、暖かい、けども……」
なぜこんなことに!
しかも捕獲って何だ! 野生動物じゃあるまいし!
でも確かに暖かい。お風呂に浸かったような、そんなじんわりとした暖かさが徐々に広がっていく。寒さで攣りそうになっていた背中が、ゆっくりとほぐれていく。
くう、何てこと……。恥ずかしいし抜け出たい気持ちは確かにあるけれど、この温もりと安心感はハンパない!
まぁ、この辺はかなり暗いから、よく見えないだろうし。それにここで暴れてコートのボタンを引きちぎってもマズいしね。
仕方ない、甘んじてこの事態を受け入れましょう。うん、そうそう。ちょっと。ちょっとだけね。
……苦しい言い訳だってんでしょ。わかってるよ!
ああ、頬が熱いなあ!
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