まおうのちから
グリム博士の言葉に、カラスが返事をします。
「はい、どのようなことでしょう」
「まず、『陛下の野望』とは具体的になんなのか知りたいです。けっきょくのところ、人間界を征服したいのか、おいしいものを好き放題に食べたいのか、どっちなんです?」
「それは……」
そう問われて、カラスは迷いました。
魔王は、人間界を征服するためにこの世界に来たはずですが、いまは食べ物のことしか頭にないようですから。
「当面は食べ物優先で、かつ、いずれは世界征服も視野に……というお考えではないかと……」
気をつけながら、あまり主の恥にならない言い方を探しました。
博士はメモ帳にボールペンで、なにかを書き留めているようでした。
いつの間にか、眼鏡をはめています。
「アデルはうつくしいからおうなのにゃ。ワシもおうになるのにゃ。うまいもんいっぱいくうのにゃ」
魔王が真面目な顔で補足をしました。
グリム博士は、メモに目を落としたまま返事をしました。
「その王というのは比喩表現でしょう。王様のようにちやほやされて、毎日おいしいものを食べたいという願いであれば、かなえることも可能です。ですが、ガチの国王は無理です。王や指導者に求められる資質が、魔王にはなにひとつないようですので」
「まおうさまにゃ! さまをつけるにゃ!」
ぶれいにゃ!と、魔王はぷんぷん怒っています。
資質がないというあざけりは耳に入っていません。そもそもグリム博士の言葉は、魔王にはむずかしかったのです。
しょっぱなから「比喩表現」とかいうわけのわからない言葉を使うから、魔王脳が考えることを止めてしまっていたのでした。
魔王の怒りにも、グリム博士は動じるようすはありません。
「魔王は……」
「さまをつけるにゃ! もしくは、へいかとよべにゃ!」
「いやです」
「にゃっ!!!?」
そっけないグリム博士の返答に、魔王が絶句しました。
この偉大なる魔王様に、なんて無礼な!! と。
「にゃんてことにゃ! カラス、しけいにゃ! グリムはしけいにゃ!」
顔を真っ赤にしてわめきます。
「近隣に迷惑なので静かにしてください。死刑にしたいならどうぞ。私はこちらでの暮らしが性に合っていますし、二度と魔界へ帰るつもりはありません。ここで、魔力の使えない魔王にそんなことが可能でしたら、どうぞ」
ぐぬぬ……と悔しそうに歯ぎしりしながら、魔王がこぶしで、ちゃぶ台をゴガンゴガンとたたきました。
カラスは納得しました。だからグリム博士は、陛下を畏れる様子もなく落ち着いていたのかと。
たしかに、魔界では恐ろしい魔王も、魔力の使えないこの世界では、ただのちんちくりんです。
人間界に移住したグリム博士のことが、すこしだけうらやましくなるカラスです。
カラスは魔界の屋敷に老いた母鳥を残していますし、留守中の当主代理を任せている妹鳥もいます。使用人たちの生活費も稼がなくてはなりません。いわば人質です。
逃げられません。哀れ。
ふとグリム博士はなにかに気づいた様子で、ポケットの中に手をつっこみました。
「あれ……、あめ玉が入ってた。いります?」
しけいにゃああ、ひあぶりにゃああ、ざんしゅにゃあああと、くやしさのあまり泣きべそをかきながらわめきちらす魔王に、ピンクの袋に包まれたあめを差し出しました。
「にゃかにゃか、はなしのわかるやつにゃ」
ころっと笑顔になると、魔王は礼も言わずに受けとって、口にほうりこみました。
しかも、大好きないちごミルクキャンディーです。口の中が甘くなって、ごきげんです。
場が静かになってホッとしたカラスは、疑問に思っていたことをたずねます。
「人間たちから王のようにちやほやされて、毎日おいしいものを食べる……。そんなことができるのでしょうか」
魔王の耳がピクリと動きました。「おいしいもの」の言葉を横から魔王耳がとらえ、魔王脳が活発に活動を始めたようです。
グリム博士はうなずきました。
「魔界と人間界の構造はちがいます。なんといっても人間は数が多い。この世界に、どのくらいの数の人間が生きているか知っていますか?」
知っていますか?と言われて、負けずぎらいな魔王がとりあえず口を開きます。
「……に、にひゃく……?」
でもその声は、自信なさげにすぼんでしまいました。
「人間のことは詳しくは存じませんが……。もしかして何百万、いや、何千万といるのでしょうか?」
カラスはもう少し現実的な数字を答えました。
「七十八億人です。人間界はおおよそ二百ほどの国に分かれていますし、ひとりの王に統率されているわけでもない。個性のちがった大勢の人間が、それぞれ異なった趣味嗜好を持ち暮らしている。ここがポイントです。ギースベルト卿」
「はい」
「戦闘力と血筋がすべてである魔界とはちがい、人間たちの価値観は様々で、それぞれちがうものを大切にしているということです」
「あ……」
カラスはなにかを悟ったようです。
魔王はついていけていません。まだ「ぎすべるきょう? なんのことにゃ?」とか思っています。
「グレネマイアー卿がつけこんだのもそこです。彼女が持つ強力な対人類武器は『美しさ』です。美しいものを崇め奉る人間は少なくありません。それを用いる職もひとつやふたつではないですし、金銭を得ることも可能です」
博士はつづけます。
「そういう人間界の様相は、私の知能と勤勉さを生かすにも都合がよかった。脳筋な魔界では、私のような弱小魔族が地道な研究の末に成果をあげようと、見下されるばかりでしたので」
その辺りの事情は、カラスにもよく理解できました。
カラス自身も、力弱い種族に生まれながら、地道な苦労の末にはいあがってきた過去があります。
しかし、強い血筋の出自を誇っている傲慢な魔物たちからはねたまれて、「クソ雑魚バード」というあだ名さえつけられていました。
「なるほど。ここは力以外の様々なものに価値のつけられている世界であると理解いたしました。……しかし……、あの……、陛下にはなにも……」
言いづらそうにしながら、カラスが魔王を見ました。つられるように、グリム博士も魔王を見ました。
ふたりの視線を受けて、どう思ったのか、魔王はまんざらでもない顔をします。
「ワシはすごいのにゃ。このまえ、プリンとおなじくらい、うまいもんをみつけたのにゃ」
いきなり語り始めました。
話の文脈なんて知りません。誰がなにを話していても、自分が話したいときに、好きなように語るのです。
「ひとつはミルクプリンにゃ。にせプリンのことにゃ。しろいのにゃ」
そう言いながら、あめ玉をガリガリ噛んで飲みこみました。
「でも、じつはもうひとつあるのにゃ。むずかしいなまえなのにゃ。ようやくおぼえたのにゃ」
幼女魔王は、金の目を細めて、にっと笑いました。
「あんっ、にん、どう、ふぅ。……と、いうのにゃ!」
たいへん得意そうに、ゆっくりと発音します。
「ふぅ、のところで、ちからをぬくのがぽいんとにゃ」
誰も求めていないアドバイスまで始めました。
その様子を見ていたグリム博士が、カラスに問いかけます。
「どうです?」
「はい? どうとおっしゃいますと……?」
怪訝そうに問いを返すカラスに、グリム博士は語ります。
「なんの取り柄もなさそうな魔王の持つ唯一の武器のことです。多くの人間たちをひきつけることが可能な魅力。それは、この愚かさ……。あるいは無邪気さと言うべきでしょうか。それと近いところにあるものです」
そう言われると、ひとつだけ、たったひとつだけ……。カラスにも思い当たるものがありました。
魔界では、それはめっぽう価値が低く、役に立たないとされているものでした。
ですので、なにかに利用できるなどと、考えたこともなかったのですが。
カラスはおそるおそる問いかけました。
「もしかして……」
グリム博士はうなずきました。
「かわいさです」
「……にゃっ!!!?」
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