グリムとやら

「ここにゃ……?」


 カラスの隣で魔王は、木造の古びたちいさなアパートを、信じられないという表情で見あげていました。

 木の看板に墨で「メゾンしろたえ」と古めかしく書かれてます。


 アパートの壁は、元は白かクリーム色だったのでしょうが、いまや黒いカビのような汚れで半分以上をおおわれて、まだらになっています。


「ありえんにゃ。なんでこんなにぼろいのにゃ? ワシのへやとはずいぶんちがうにゃあ」


『ワシのへや』とは、アデルの高級マンションのことです。一円も家計に入れない居候のくせに我が物顔で語れるのが魔王メンタリティです。


 ぶつぶつつぶやきながらも魔王は、カラスの先導にしたがって、さびついた階段をカンカンと踏み鳴らして、二階へとのぼっていきました。


 ある一室のドアの前に立つと、メモを見ながらカラスが呟きました。

 

「ここかな……?」


 チャイムを鳴らしますと、ややあって……。


 きぃぃぃぃいいぃぃぃ


 耳障りな金属音とともに、ドアがゆーっくり開きました。


「ぎにゃっ!?」


 その合間の暗がりにたたずむ人影を見て、魔王は思わず一歩あとずさりました。


「な、なんにゃ! こいつにゃ!?」


「…………魔王だ……」 


 そう抑揚のない小声で言ったのは、たいそうやせていて青白い顔をした女性でした。

 つやのない砂色の髪が腰あたりまで伸びています。

 年齢はよくわかりません。子どもやお年寄りでないことはたしかですが。


 女性は深いクマのあるすわった目で、観察するように、じいっと魔王を見おろしています。


 だまっているだけなのに、やけに迫力があります。

 魔王はにらみ返しました。


「こ、こわくないにゃ!!」


 そんなことをわざわざ叫ぶ人はだいたい怖がっているものです。


「おまえ、ただのアンデッドにゃ! ワシにはわかるにゃ! リビングデッドかスケルトンにゃ!?」


「ちがいます」


「それにゃら、マミー?? じゃにゃきゃ……」


「ジャッカロープですよね。いきなりの失礼申し訳ございません、グリム博士」


 当てずっぽうに無礼を連発する魔王の言葉を、あわててカラスがさえぎりました。

 グリム博士と呼ばれた女性はうなずきました。


「とりあえず、中に……」 


 博士の言葉にしたがって、魔王とカラスは薄暗い玄関に入りました。


 きいいぃいぃぃいいいいぃぃぃぃ


 悲鳴のような音をたててドアが閉まりました。魔王は身ぶるいしました。


「バンシーのなきごえみたいにゃあ……」


 あがった先には六畳ほどの和室がありました。色あせた畳の上には丸いちゃぶ台が置かれ、窓の側にはパソコンをのせた勉強机らしきものが見えます。

 和室はささやかな板間の台所とつながっています。流しとコンロがありますが、あまり使われた形跡はありません。


 しかし魔王は、そこに鎮座するちいさな白い箱を見逃しませんでした。


「れぞーこにゃ!」


 はずんだ声をあげると、グリムを追い抜き、たかたかと走り寄り、パカっと扉を開きます。 


「にゃあ……?」


 大きな金の瞳から、みるみる輝きが失せていきました。

 ワンドアの冷蔵庫の中には、水のペットボトルと生のキャベツとニンジンが入っているだけでした。


「あほにゃ。あほのれぞーこにゃ!」


 ジュースやプリンの登場を期待していた魔王はぷりぷり怒りました。


「さすが魔王。人を人とも思わぬ図々しさですね」


 博士がつぶやきました。 


「申し訳ございません」


 なぜかカラスがちいさくなりながら謝罪しました。


「とりあえず座ってください」


 グリム博士が手のひらでちゃぶ台の方を示すと、


「うむ」


 魔王は尊大に返事をして、ちゃぶ台の上にちょこんと座りました。悪気はないのです。

 畳という文化を知りませんでしたし、部屋の中とはいえ、まさか地べたに座れと言われるとは思っていなかったのでした。


「かたいいすにゃあ。せもたれもないのにゃ」


 不服そうな魔王を見て、カラスがあわてました。


「陛下、たぶんちがいます……」


「それはテーブルです降りてください。汚い尻をのせないでください」


 冷たい声で言うと、グリム博士はちゃぶ台の横に座りました。


「お茶とかないですけどいいですよね」


「いいわけないにゃ!」

 つづけざまに、

「ワシのしりはきれいにゃ!」


 なんて失礼なやつだろうと、魔王はすっかりおかんむりですが、博士には気にした様子はありません。


(人間界で暮らす魔物というのは、やはりみんな変わっているんだな)


 グリム博士にならって、ちゃぶ台の側に座ったカラスが、心の中で嘆息をします。

 スムーズに交渉が成立する気がしないなあと思いながら。


「一応、自己紹介しておきますか。ブレーメ・グリムです。ジャッカロープです。こちらでは大学院で細胞生物学を学び、いまはある企業の研究室に潜りこんでいます」


「誠に恐縮です。申しあげるのが遅くなりましたが、わたくしは陛下の首席補佐官の任を拝しておりますフォルクハルト・ギースベルトと申します。博士の御高名はかねがね承っておりました。お会いすることができ至極光栄でございます」


「まおうにゃ。えらいのにゃ」


 魔王が胸を張りましたが、大人同士の会話に背伸びして割りこむ幼児にしか見えません。


 この魔王とは、まともな話ができないとわかったのでしょう。グリム博士は、魔王を無視してカラスに話しかけました。


「本題に入ります。ギースベルト卿の手紙は読みました。陛下の野望を叶えるための手助けをして欲しいと。それでは最初にふたつ確認しておきたいことがあります」

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