いもうとがらす

「はぁ……。そういうことですか……」


 アデルから事情を聞いたカラスは、魔王が美しさにこだわり始めた理由を知り、あきれかえりつつも、とりあえず納得しました。


 子猫姿の魔王は、ソファの上で大の字になって寝ています。おなかがいっぱいになると、たちまち眠たくなるのです。


 眠る前に魔王は、とろんとした目で、カラスに命令を残しました。


「ワシをうつくしくするのにゃあ。あと、ぎゅうにゅうぷりんをわすれ……る……にゃ……」


 そして、すやすやと寝てしまいました。

 なぜ美しくなりたいのか、どう美しくしろというのか、というカラスの困惑など知ったこっちゃありません。


「魔王様もあたくしのように美しくなって、女王となることに憧れていらっしゃるのですわ。おかわいらしいことですわねぇ」


 自慢げにアデルは言いますが、カラスは懐疑的でした。


 この人はあまり賢くない、ついでに常識もない。そう思っていたからです。


 カラスは考えました。この世界の常識に詳しくて、頭の回る者に話を聞いた方がよいだろう……。


 カラスにとって人間界征服なんてどうでもいいのです。


 ──早く魔界に帰りたい。

 そしてお守り役から解放されたい。


 だから、とっとと魔王に満足してもらえる方法を探そうと心に決めました。







 その数日後。


 この日も、魔王は朝食をぺろりと平らげ、ついでにプリンと牛乳プリンも食べてしまうと、満足そうにソファに丸まって寝てしまいました。


 静かな人間界の午前中。

 平和です。まるでほのぼのとした春の光に照らされる凪いだ海のように……。

 魔王が寝ているだけで、部屋の中の空気ががらりとおだやかなものに変わります。

 束の間のカラスの至福の時間の到来です。


 自分の食事を簡単に済ませると、汚れた食器類をかたづけてから、人間界の情報収集のためにコンビニで買った新聞や雑誌を広げていました。


 しばらくすると、ベランダにつづくガラス戸の方から、コツコツと軽快な音が鳴りました。


兄様にいさま、兄様」


 窓の外からカアカアと澄んだ鳴き声をあげるのは、瑠璃色に輝く風切り羽を持った、少し細身のカラスでした。

 くちばしに、なにやら紙をくわえています。


 カラスは歩み寄ると、窓ガラスを開けました。


「ああ、おまえがわざわざ届けに来てくれたのか。それにしても早かったな」


 来訪者のカラスはぴょこんと窓のレールに飛び乗ると、軽やかにリビングに入ってきました。

 そして青年姿のカラスに書類を渡しました。


「伝書鴉の伝言をたしかに承りました。頼まれていた人間界居住者のリストよ。人間界で暮らす魔物って意外といるものね。けっこう見つかったわ。といっても、何百年と行方の知れないひともいるから、まだ死んでなければの話だけどね」


「助かったよ。ずいぶんと早くまとめたものだな」


「ええ、だって魔王陛下と兄様のためだもの。がんばったわ」


 そう誇らしげに答えました。

 彼女は、魔王にこき使われている方のカラス(本名:フォルクハルト・ギースベルト)の妹なのでした。


 妹ガラスはキョロキョロと部屋の中を物珍しそうに見ていましたが、悠然と座ったままおもしろそうになりゆきを見守っている金髪美女に目をとめると、はっと居住まいを正しました。


「お初にお目にかかります。アデルミラ・グレネマイアー様ですね。わたくしはギースベルト家当主代理をつとめておりますトリュス・ギースベルトと申します。うわさどおり、輝くばかりにお美しくていらっしゃいましたので、すぐにわかりましたとも」


「あらあら、さすが卿の妹君ですわあ。お若いのにしっかりしてらっしゃいますのね」


 アデルはソファにもたれかかったまま、華やいだ声をあげました。


 カラスはざっと書類に目を通すと言いました。


「ご苦労だったな。ではまた何かあればこちらから連絡する。気をつけて帰りなさい」


 用が済むなり追い立てるように別れの言葉を告げる兄に、妹ガラスは驚いたように言いました。


「もう帰れって? ウソでしょ? 陛下にお目通りもかなわずに? 人間界で兄様が陛下のお気に入りの側近にとりたてられたって聞いて、わたしうれしくて誇らしくて涙ぐんじゃったのよ……?」

 

(違うのだ……。妹よ……)


 カラスは苦々しく思いました。お気に入りの側近というより、赤ん坊の世話に追われる乳母なのです。

 いや、そんなよいものでもなく、どうにでもあつかえる奴隷、振り回し放題のおもちゃ……その程度にしか思われていない気がします。


 兄の気持ちを知らない妹は、つづいてまくしたてます。次第に声が大きくなっていきました。


「陛下はどちらにいらっしゃるの? 心からご尊敬申し上げているのよ。お目にかかってひとことお礼を言いたいわ。ねぇ。ひとめでいいの」


 尊敬している陛下はそこのソファで丸くなっている黒い毛玉です。


 慌てたカラスが小声で言いました。


「いいから用が済んだらすぐに戻りなさい。陛下はご就寝あそばされているのだ。お起こししてしまえばご機嫌を損ねて大変なことになる」


「ええぇ、じゃあ、ここでおとなしく待っているから……」


「だめだ。帰りなさい。当主代行の役目があるだろう」


 カラスは必死でした。


 兄を尊敬してやまない妹に、無力で無能なファンシーな毛玉(またはラブリーな幼女)に、ぽかぽか殴られ蹴られ罵られつつも、ひたすら頭を下げつづける姿を見られたくないのです。


「でもせっかくなのに……」


 妹は渋ります。


 やむをえない。カラスは強行手段に出ました。


 妹をひょいと抱えると、ベランダにそっと出し、急いで戸を閉めて鍵をかけてカーテンを締めました。


「ひどいわあ。兄様あ、兄様あ」


 妹の悲痛な声が響きました。

 心が痛みますが無視を決めこみます。 


 兄としての矜持を保つだけではない。

 愛しい妹のためだ。


 己は仕事だから仕方ない。だけど、出会う者に困惑と心労しか与えないわがまま魔王に謁見させるなんて、なにひとつ彼女のためにならないのだから……と自分に言い聞かせて。


 妹ガラスはしばらくカーカー鳴きわめいていましたが、扉が開かれることはなく、泣く泣く飛び去るしかありませんでした。


 しかし、


「このまま帰るなんていやだわ」


 カラスは知るよしもありませんでした。

 黒い翼は魔界ではなく、青空のもとにそびえる高層ビル群を目指して滑空し、やがて都会の喧騒にまぎれて消えていったことを。

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