おいてけぼり、まおう


 カラスの黒いスーツの袖に穴が開きました。困ったことに魔王の牙は、たいそうがんじょうなのです。


「申し訳ございません、陛下。にゅーちゅーぶは後日にいたしまして……。写真はございますので、先ににゅいったーの方をはじめたいと思います」


「うむ。やれにゃ」


 よくわからないけど、何かやってくれるらしいので、魔王は少し機嫌をなおしました。


「それでは陛下、人間たちへのお言葉を短めにお願いいたします」


「わかったにゃ。にゅふん」


 魔王は重々しく咳払いをしました。それが王らしくて、かっこいいと思っているからです。


「いだいなまおうさま、こうりんにゃ! ワシのかわいさに、ひれふせにゃ! そして、ごちそうをもってくるにゃ! ワシは、はらがすいてるのにゃ。ぺこぺこにゃ。そうにゃなあ、まずはちーずばーがーがくいたいにゃ。めろんそーだと、ぽてともわすれるにゃ。それから、プリン、ケーキ、そせじ、はんばぐ……」


 またもや魔王の口から、次々と食べ物の名前が飛び出てきます。

 カラスは申し訳なさそうに「あの……」と言って制止しました。


「もう結構です。にゅいーとは文字数が決まっておりまして、そんなには入りませんので。しかし、陛下のおかわいらしいお写真を載せることができました。これから順次、人間たちの目に入るかと思います」


「たのしみにゃあ」


 ごちそうのことを考えて、魔王はにやにやしています。アデルの部屋に帰れなくなってからというもの、魔王と従者の生活は財政難におちいり、ろくなものを食べてなかったのです。


 はじめのうちは、グリム博士が部屋に泊まらせてくれていました。

 ですが、魔王が大声で騒いだり、魔王が暴れたり、魔王が野菜だらけのお皿に憤慨してひっくり返したりしたことで、あえなく追い出されてしまいました。


 いまは、公園で寝泊まりしています。

 そして……。


「あっ、時間です。バイトの時間です。行かなくてはなりません」


 カラスがスマホを見て言いました。魔王の補佐官は、生活のためにやむなく、スーパーの青果品出しのバイトを始めたのです。


「この公園から出ないで大人しくしておいてくださいね。食べ物を持って帰りますからね。ではっ」


 そんな無茶な。


 しかし、仕方がありません。初日こそ、魔王は博士から教えてもらった託児所に預けられたのです。

 でも一日で出禁になりました。


 次に、ペットホテルに預けられました。

 こちらも出禁になりました。


 どちらも怖くて理由を聞けず、いそいそと魔王を連れて逃げるカラスでした。魔王を預かっていた人間たちの顔色を見るに、よほどのことがあったようです。さもありなん。

 

 カラスとて、魔王を一人にするなんて心配でしょうがないのですが(他者に危害を加えないかどうかが)、他に頼る者もいないので、しょうがないと腹をくくりました。

 どうかおとなしく、黒猫の姿で、ベンチの上で昼寝でもしていてくれたらいいのですが。


「かーらーすうぅぅぅぅぅ!」


 置いてけぼりをくった魔王が、大声で叫びました。しかしカラスはとっとと姿を消していました。


「にゃああああああ。にゃああああああ。にゃんてかわいそうなワシにゃあああああ。こんにゃところに、ひとりぼっちにゃあああああ」


 魔王は哀れっぽく叫びました。

 元々、一人で魔界からやってきたくせに、そのことはもうすっかり忘れていました。

 

 しばらくして、叫んでもお腹が減るばかりだと気づいた魔王は、ふてくされた顔でベンチに座りました。


 その横を、見知らぬ学生らしき集団が歩いていきます。


「文化人類学のレポート、まじうぜぇ。爆発しろよ」


「あー明日一限、林田かあ。うっざ。全然やってねぇし」


「つーか、幾何、わかんなすぎてやばいんだけど。倉本まじしねし」


「あたしもー。捨てて、他の必修取ろうかな」 


「物理が意外と楽ってよ」


「マジ?」


(にんげんというものは、にゃんとも、ひんのないしゃべりかたを、するもんにゃ)


 人間たちのお喋りが、魔王の耳には意味不明の呪文に聞こえて、言い知れぬ不安を呼び起こします。

 あんなに、爆発しろだのしねだの、戦にはやって……。警戒しないと、いきなり襲いかかられるかもしれない……。


 魔王がそう思っていると、その中の一人の女性が、魔王を見つめました。

 びくっと、幼女は身構えます。


「あっ!」


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