にゃあー!

「にゃあああ! にゃあ! ワシはこわいのにゃー!」


 魔王は、幼女の姿に変化して、住宅街を跳ね歩いていました。

 まるでピアノの発表会にでも出場するかのような、品のいい桜色のワンピースを着ています。


「にゃああう! いいきぶんにゃあ。みな、ワシにひれふせにゃ!」


 やけに、ごきげんです。むだに、叫んでいます。


 人間界での生活が長く、着飾ることが大好きなアデルの見立ては確かなものでした。


 つややかな黒髪の肩の上まで伸びた幼い姿に、ふわりとひらめく淡いピンクがよく似合っています。大きな黒い瞳孔は、ふしぎな金の虹彩にふちどられていて、まるで黒曜石のようにきらめいていました。


 通行人が魔王を見て、目を細めているのをカラスは感じました。


 ふたりは、グリム博士の住むというアパートに向かっていました。

 魔王の野望を実現するための相談をしにいく……と、カラスは主に説明していました。


 ですが、実のところ、カラスは人間界征服などどうでもよいのです。


「もう陛下のお守りをひとりで担うのはたえられない」と思いつめて、なにかこの現状を打破したい、あわよくば魔王の側近の役職をかわって欲しい、という気持ちがありました。


 博士の機嫌を損ねないよう、失礼のないようにせねばと、カラスは考えました。

 アデルに、幼女姿の魔王を「こちらの人間らしいよそゆきの衣装」に着替えさせて欲しいと頼みました。

 カラスには、どのような衣装が魔王の人間姿にとって自然な取り合わせなのか、まだ理解できてはいませんでしたから。


 道ゆく人間たちの好意的な視線を見て、カラスはホッとしていました。

 

 もっとも、なぜか人間たちのいく人かは、自分のことまでちらちらと熱い視線で見つめていることに、いささか不審も抱いていましたが。


 ぶんぶん手を振り回しながら、魔王は大声をあげました。


「ワシはつよいのにゃあ! おまえたちも、このふくのしみにしてやるにゃあ!」


 いつにも増して、魔王がいばっているのには、わけがありました。

 カラスが大人しく着替えさせるために言った、「この服は、人間の血で染めているのです」という大ウソを、すっかり信じていたのでした。


「ちぃ……? にゃんかうすいいろだにゃ。にんげんのちは、こんなうすいあかなのにゃ?」


「それは……おそらく子どものものだからまだ血の色も薄かったのでしょう。ですが、千人もの人間の血で染めた、禍々しい装束だと聞きおよんでおります。陛下にふさわしいかと存じます」


 単純な魔王は、大よろこびで着替えました。


「これで、おうらしいいげんがでたにゃ? こわいにゃ?」


「え、ええ。大変、恐ろしくていらっしゃいますとも」


 笑顔のおかげで愛くるしさの倍増したピンクのワンピースの幼女に、カラスはそう告げました。


 それからの魔王は、はしゃぎっぱなしです。久しぶりの外出にテンションがあがってしまっています。


 ふたりの通る小道の先は、丁字路になっていました。両脇に店の立ち並ぶ大きな通りと合流しています。


「あっ、ローンソにゃ!」


 道の先に大好きなコンビニを見つけて、魔王はとととっと駆け出しました。


「陛下! そちらは車が多くて危ないですよ。わたくしめと手をおつなぎくださいませ」


「うるさいにゃ!」


 カラスの制止も聞かずに、魔王は足を速めました。『くるま』とかいうやつに、ビビっていると思われてはいけません。


「陛下! お待ちください、陛下!」


 どんどん駆けていく魔王にあわてて、カラスも大声をあげました。

 幼女に敬語を使い、「陛下」と連呼する男……。そんな自分が周囲からどう見られているのかなど、構っている余裕などありません。


 魔王は猫まっしぐらに大通りに走り出て――


 キキーーーーッ! ドガーン!


 ブレーキ音、衝撃音。

 女性の悲鳴。


 ……。


 ……静寂。


「あ、ああああうあ」


 あわれなカラスの声にならない声を聞く人はいませんでした。 


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