ふあふあぱんけき

烏丸からすまさん、ちょっと待ってぇ」


 お疲れさまでしたと頭をさげ、帰宅(家はないですが)しようとしたカラスに声をかけたのは、パートの中年女性・中本さんでした。


「これよかったら持ってきぃね」


 そう言って、中本さんは、タッパーに入れたキュウリの浅漬けを手渡してくれました。


「ああ、あの……。ありがとうございます」


 こういう時に、一般的な人間の男性ならどういう反応をするのだろうと悩みながらも、カラスはお礼を言いました。


 ちなみに「烏丸」というのは、カラスの人間界での仮名です。グリム博士が、烏丸からすま九郎くろうという偽名を与えてくれました。意外と、ダジャレ好きなうさぎです。


 魔王は、カラスの娘の「烏丸からすま真桜まおう」という設定です。

 あほ……いえ、知能と記憶力に難のある魔王に、偽名を器用に使いこなすことはできまいということで、そのまま「まおう」と名付けられたとのことです。


 人間たちから素性を聞かれたら、博士に言われた通りに「妻に先立たれ、ひとりで子育てをしています。幼い娘がいるので短時間勤務でお願いしております」と答えていましたら、なにやら気を使われるようになり……この中本さんをはじめとする人々が世話を焼いてくれています。


 親切の理由がわからず首をかしげながらも、どうも人間として自然であるためには、こういうときは素直に好意を受けた方がいいようなので、遠慮なく受け取るカラスです。


「大変やろぉが、がんばってね。ほら、私も女手一つで息子を大学までやったんやけど、そりゃもう大変な……」 


 これは、話が長くなりそうです。カラスは慌てて、再度礼を言うと店を出ました。


(これは陛下は食べそうにないな……)


 野菜ぎらいの魔王です。お腹をすかせながら待っていて、タッパーの中身がキュウリだと知ったら、牙をむき出し目を三角にして怒ることでしょう。


(……博士にお願いして、すこしばかりお金を借りてこよう)


 借金をするのは気がのらないのですが、久しぶりに、夕食はまともなものを用意したい。

 そうしたら、魔王のかんしゃくも、しばらくはマシになるから……。


 それに、自分もそろそろなにか食べないと、倒れてしまう。魔王の朝ご飯はおにぎり一個だけでしたが、カラスは水だけでした。


 カラスは、イライラしながら公園で待っているであろう魔王の姿を思い浮かべながら、暮れなずむ街道を急ぎ足で歩いてゆきました。




 メレンゲをたっぷり入れて作られたふわんふわんの分厚いパンケーキに、もってりとした純白のクリームをぬりぬりして、濃厚なシロップをとろーりとかけて……。


「うまいにゃあああ。とろけるにゃあああ」


 とあるカフェの明るく照らされたテーブル席で、魔王は目を輝かせていました。


「こにょ、こにょ、ふあっふあのぱんけきよ! すばらしいにゃ! おくちにいれると、しゅわあああーってとけたにゃあ。あまいにゃあ」


 輪切りにした丸太のような、太いパンケーキです。三輪車の車輪くらいの存在感があります。

 そして、なんとやわらかいのでしょう……! そのやわらかさは魔王をいたく感激させました。

 ナイフとフォークで切ると、さくっ、というか、しゅわっという感触です。


「おいしいでしょう、陛下。このカフェのパンケーキは絶品ですの」


 得意げなトリュスの言葉に、魔王はこくこくとうなずきました。


 まるで、あまい雲を食べているような気持ちです。

 いっしょに頼んだラズベリーソーダの甘酸っぱい爽快感ともよく合います。

 この店の食べ物は、ひと口ひと口が、魔王の胸を喜びでいっぱいにしてくれます。


 わくわくと瞳を輝かせたまま、魔王は大声で宣言しました。


「もう、カラスはくびにゃ。ここのシェフを、まかいにつれてかえるにゃ。ずっと、ワシのために、うまいものをつくるのにゃ」


 ひどいことを。


 トリュスは首をかたむけると、やんわりと言いました。


「本当に、陛下を置いて行ってしまう兄さまったら、しょうがないですわね。しかし陛下、残念ながら、魔界ではおいしい料理は作れませんの。人間界にあるような食材があちらにはないのです。農業に従事する者が極めて少ないですから、麦もほぼありません。それに魔界の水もミルクも、独特の臭いが強くって、お肉だって臭くて硬いものばかりなのです」


 そう言いながら、自分も残念そうにしています。


「にゃあ……にゃんと」


「人間界に居ついてしまう魔物が多いのも納得ですわ。おいしいものや娯楽がいっぱいですし、学問は魔界よりずっと進んでますものね」


「にゅうう……」


 残念に思う魔王ですが、フォークでパンケーキのかけらを口に運ぶと、ネガティブな気持ちなど吹き飛んでしまいます。


「うまうまにゃああ」


「でも、もちろんわたくしは魔界に帰りますわ。最先端の人間界の知識をもって帰って、魔王陛下のお役に立つことができると思いますの」


 トリュスが自慢げに言います。


「我が古代大がらす族は非力ですが、勤勉で知力に優れたものが多いのです。なにを隠そう、わたくしも兄と同様、かの名門・王立阿鼻叫喚虐殺大学を首席で卒業しておりまして……」


 聞いてもないことを、よどみなくぺらぺらと語ります。妹カラスは、けっこうおしゃべりのようです。


「兄がお勤めで屋敷を不在にしがちでしたので、老いた母に代わり私が取り仕切っておりましたが、陛下のお側仕えとして王宮で働きたいという夢はやまず……。運命の巡りあわせを経ていまこうして陛下とともにあれる喜びを……」


「にゃー! このあいすも、ぱんけきにあうにゃあ」


 相手の話など聞いていないふたりです。

 それでも、おいしいものを食べながら、好きなことをめいっぱい語り倒して、どちらも満足している模様。意外と、気が合うのかもしれません。




「陛下ー!? 陛下ああぁあ! どこですー!?」


 そのころ夜の公園では、ゴミ箱の中の新聞紙まで放り出しながら、カラスが必死に魔王を探していましたと。

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