第4話 熊本くんとわたし④
壮太郎はきつい近眼で目つきが悪い。ひどく猫背だ。新宿伊勢丹前で、所在無さげにしている彼の姿を見つけるたび、じっと観察してしまう。彼は大変律儀で、三分前に待ち合わせ場所にいる。十分前でも五分後でもない。待ち合わせ相手に気を遣わせないように細心の注意を払っている。わたしが早くにきても、遅くにこようが、気にしていない態度をとる。
なにしていたのか訊くといつも「人間観察」と答える。面白い人いた? と質問しても、とくにないね、という。名物のタイガーマスクのおじさんが目の前を通り過ぎようとも、そういう。彼は、なにかに感情が動かされるということを嫌う。
「いつもの店に行こうか」
いつもの店、いつものホテル、いつもの行為、いつもの別れの挨拶。いつも、という状態の安全さたるや。自分も、「いつもの女の子」なのだろう。
「みのりちゃんは発展家だねえ」
壮太郎のことを熊本くんに告げたとき、いわれた。
「そもそも彼氏、高校の友達のお兄さんなわけでしょ。友達の兄弟と付き合うなんて、漫画みたいじゃない」
「そうかな、わりと多いよ。女子校だからかな」
そんなふうになったことのある人間をわたしも知らない。
「友達のお兄ちゃんと付き合って、しかもその翌年にはそのひと、みのりちゃんとは別の女と結婚しちゃったわけか」
壮太郎の結婚式の帰り、熊本くんの部屋に寄ったときのことだった。引き出物としてもらったバウムクーヘンを半分わけてあげる、といって。
「というか、結婚相手のほうがさきに付き合ってたわけで、彼女さんが語学留学なんてごたいそうなことをされているうちに」
「ねんごろになられたわけですか」
「その言い方」
「いやむしろ最高じゃない。一見他人のことなんて気にしてませんて顔しているみのりちゃんが、ねえ。ギャップだよギャップ、むしろ個性でしょ」
熊本くんも珍しく飲んでいて、ビールの空き缶が床に転がっていた。
まったく頭に入ってこないスピーチとおざなりな笑いにあふれている式場で、面倒そうな表情をしている壮太郎、花嫁の妙な自信。知り合いのほとんどいないテーブルで、わたしは出される料理を食べ続けた。
「つきすすむしかないね、これは」
そういって切り分けたバウムクーヘンをわたしの前に、置いた。しかも生クリームに色とりどりのジャムが添えられている。
「今日バウムクーヘンがくるっていうんで、用意しといた」
「太るよ」
「ぼくは鍛えてるからね、それにたまにはこういう毒も摂取したほうがいい。体が丈夫になる」
そういって生クリームやらジャムを塗ったくった、恐るべき菓子を頬張った。
熊本くんとそういう話をすることが、できなかった。壮太郎に関して話したのは一度きりだ。熊本くんから壮太郎のことを訊ねることはない。
「いつもじゃない店にいってみたらどうかな」
まもなくいつもの店の前に到着するところで、わたしは壮太郎にいった。
「……いいけど」
いやだろうけれど、決して女にノーとはいわない男。妻にも妹にもそうだったんだろう。
男の甲斐性とは、女の鈍感さから落ちないように踏ん張る平衡感覚のことだ。
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