第24話 熊本くんの小説④

 メジロのおばちゃんの家に行くのはいやだった。お母さんもおばあちゃんも、でかける日はなんとなく僕にたいしてよそよそしく、いたわってくれる。父の兄弟を毛嫌いしており、彼らから変な影響を受けやしないか気がかりだったのだろう。あそこから帰ってくると、僕はいつだってぐったりしていて、風呂からあがるとすぐに寝てしまう。でも、行かないでいい、とはいってくれない。その頃は、彼女たちもまだ父に対して多少は気を遣っていたのかもしれない。あるいは男の癇癪に女たちでは立ち向かえないと恐れていたのかもしれない。

 当時の僕にとって、メジロのおばちゃんの家に行くことは、拷問だった。昼から夕方まで、その家で過ごす時間は、話の合わない相手しかいない場所で、いかに人の目を気にしながら、粗相のないよう過ごせるか試される時間だった。

 他人の家の匂い。そのよそよそしさは、僕をひるませる。月に二回ほど、思い起こせば幼稚園の頃から父に連れてこられているが、まったく馴染むことができない。

 父の妹、メジロのおばちゃんは、大学教授でもあったらしいかなり年の離れた旦那さんと暮らしている。旦那さんは既に七十を過ぎており、足腰が弱くなっていて、寝たきりだった。

 その広い家の客間らしき場所に僕らは招かれる。そこにいるのは父の兄弟たちだ。メジロのおばちゃんは輪のなかの中心におり、足を組んでいつだって酒の入ったグラスを持っている。そして他に三組の夫婦がいた。男も女も、似たような顔をしていて、その夫婦のどちらが、父の兄弟なのかさっぱりわからなかった。幼い僕からすると、お父さんの兄弟たち、と記号としてしか捉えていなかったということだろう。

 そして子供たちがいた。子供たちはいつだって仲良く、しかし静かに遊んでいた。彼らは僕を遊びの仲間として迎え入れてくれるし、決して迫害することはなかった。なのに、おそろしく退屈だった。一緒にボードゲームをしたり、漫画本を借りて読んでいても、行動を大人たちに見張られているように感じられ、一切くつろげない。

 一番年上のトモミツは親たちのお気に入りで、早稲田高校に通っている。ひょろりとしていて、なんだかネギみたいなやつだった。彼は大人たちに媚びることが抜群にうまく、「ショウキチおじさんは法政大学のサッカー部だったんだよね」だとか、息子の僕よりも父のことを知っていたりした。大人たちの過去の自慢話を引き出し、大人たちの会話に花を咲かせる名手だった。僕はトモミツに対してそんなに悪い感情を持ってはいなかったが、そういう場面に出くわすたび、そういった社交をうまくできない自分を情けなく感じた。

 ユウトとユウジという、僕と同い年の双子は、顔がそっくりで、どっちがユウトでどれがユウジなのかいつもわからなかった。他の人たちはうまく見分けることができるのだが、僕はいつだってわけがわからなくなり、「違うよユウジだよ」「僕はユウトだよ」と注意された。なにがなんだかわからないので、名前を呼ぶことをやめてしまった。

 父の兄弟たちは、メジロのおばちゃんの家に集まっては、自分たちがいかに成功したかを讃え合っていた。仕事をし、家庭を作り、充実した人生を送っている、と。他者を排除した空間を作り、完璧に制御された楽園を作っていた。

 一番の成功者はメジロのおばちゃんだ。偉いお医者さんと結婚し、目白の豪邸に住んでいるのだ。週末には兄弟たちがやってきて、寿司やローストビーフを振る舞い休日を過ごしているのだから。やたらとごてごてしたネックレスや、大きな石の指輪だのイヤリングをはめていて、女たちはその宝飾品を褒め称えていた。

「こんなもの、たいした値段じゃないのよ」

 と、たいそうな値段だといいたげに言葉を放った。

「あの人、わたしがつけてたネックレスを『派手ね』っていったのよ。どっちが派手なのよ」

 メジロのおばちゃんのことが家で話題になるたび、母はメジロのおばちゃんにいわれたことを、語った。よっぽど腹が立ったのだろう。


 トイレに行く、といって僕は場から離れた。息がつまるたびに、トイレに行こうとするので、「ショウちゃんは膀胱が弱いんじゃない?」など大人たちにいわれていた。「ヨシエさん、ちゃんとお薬飲ませているのかしら」などとメジロのおばちゃんがいっているのを聞いたことがある。健康になるお薬、といっておばちゃんは父になにやら粉末の入った包みをもたせたが、母は受け取っても、父のいないところで捨てていた。

 トイレにいくまでに、メジロのおばちゃんの旦那さんが寝ている部屋の前を通ることになる。障子の隙間から覗くと、ダブルベッドの上で微動だにしない生き物がいた。

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