第25話 熊本くんの小説⑤
ずーっ、ずーっ。
呼吸音がする。つまり、生きている。この障子の向こうが異界に思えた。一歩足を踏み越えてしまったなら、もう戻れなくなる。そんな想像をさせられる。
じゃああのベッドに寝ているのはなんなんだろう。
僕は、メジロのおばちゃんの旦那さんに挨拶をしたことがなかった。大人たちがしているのを見たこともなかった。
旦那さんの顔を見てみたくなった。派手好きで、高慢、そしてさほど器量もよくないというのに自信にあふれているおばちゃんと結婚した老人。
僕が襖に手をかけたとき、
「なにやってんのよ」
と声がした。振り向くと、モリヤが立っていた。父の兄弟の子供たちの一人で、たしか中学三年生だった。
「べつになんでもないです」
僕は答えた。僕は彼らにたいしていつでも使い慣れない敬語を使っていた。
「ずいぶんとトイレが長いんで、ウンチでもしてるのかと思ったら、こそこそ覗き見なんて」
呆れた、という顔しながらも、どこか嬉しそうにしている。他人の弱みを握るのが、大好物なのだ。
「おばちゃまにいいつけてやろうかな」
そういって僕の顔を覗き込む。脅しではない。多分いいつけることは彼女の中で決まっているのだ。
「どうぞ」
「いやなガキ」
そういってモリヤは客間へと去っていった。
「勝手なことをするな」
トイレから戻ると父に頭を強く叩かれ、それを見てメジロのオバちゃんは、「そんなにきつくしなくても」と笑った。
「あのね、おじいちゃんはご病気なんだから、入っちゃだめよ」
メジロのおばちゃんは旦那さんのことを「おじいちゃん」と呼んだ。
まわりは全員、楽しい催しがパアになった、とでもいいたげに、気だるさを纏いだす。遠くでモリヤがほくそ笑んでいるのが、滲んだ視界からでもわかった。これでしばらく、メジロのおばちゃんの家に連れてこられなくかもしれない、と微かな期待が芽生えたが、とくにそんなことは起こらなかった。
その頃の僕は、ストレスのはけ口として、渡辺との行為をこなしていたのかもしれない。性交までにはいかないくらいの刺激がそこにはあった。自分の性器の仕組みとして、睾丸になにかが溜め込まれていることはわかっていたが、どうなるのかをきちんと理解するのは先のことだった。
次第に僕たちはニワトリ小屋だけでなく、あらゆる場所で密着して互いを触り合う行為をした。プールで使う更衣室や、便所の個室、そして体育館の物置にあるマットの上に寝そべりながら、それぞれの体に指を這わせ点検した。それは実験に近かった。
僕は授業に集中できなくなり、本を読むにも気が散った。
操作することなく、テストの点が低くなったのが、決定的だった。
「もうじき受験なんだから、ちゃんとしなくてはね」
母に心配され、なにか悩みでもあるのかと祖母は僕に訊ねた。
「なんだかうまくいかなくて……ごめんなさい」
僕は謝り、部屋で参考書を開いても、うまく頭に入ってこないことに苛立ちを覚えていた。
そして、父が僕を岡山に連れていく、といいだした。
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