第23話 熊本くんの小説③

 毎週ニワトリ小屋で、僕たちはお互いの性器を触り合うようになった。誰かに話してはいけない、ということだけは本能的にわかっていた。その行為は習慣となっていた。

 渡辺は、教室でも僕に話しかけるようになった。読書グループの面々は、これまで一切自分たちのしてきたことに興味を示さなかった渡辺が、たまに輪の中に入ってくるのを、不思議がった。

「一緒に飼育委員やっているうちに仲良くなった」

 と僕は彼らに告げた。彼らはとくになんとも思わないらしく、というよりは本のなかの出来事に夢中だった。

 渡辺は自分からなにかを読もうとはしなかった。僕の顔に近づけて、開いているページを一緒に眺めるようになった。


「最近学校はどうだ」

 父親が突然食卓で僕に話しかけてきた。僕は平静を装い、「とくになにも」といった。渡辺とのことを思い出したからだった。シャケのホイル焼きは僕の好物だったが、味わうこともなく、僕はさっさとすべてを口に入れ、椅子から立ち上がった。

 今日は厄日だ、と思った。いつもだったらこんな早い時間に父は帰ってこない。だから僕と妹はテレビを観ることができるはずだった。父は食事を終えると茶の間に移り、野球中継を見だした。

 別にそこまでアニメを観たいわけではないけれど、明日学校でみんなと話があわなくなる。僕に話しかけるということは、今日父は機嫌がいい。逃げなくちゃいけない。僕は風呂のあと、勉強部屋へ避難するしかなかった。

 中学入試をすることはすでに決まっていることだった。僕が通う小学校には、エスカレーター式に上がることのできる中学はついてない。なぜそんなところに入ったかといえば、小学校受験で、家族が決めた第一志望に落ちたからだった。いまでもよく覚えている。体育館におもちゃ(といっても積み木とかボールとか、独創性を必要とするやつだ)があり、好きに時間内に遊べといわれたとき、僕はなにをしたいいのかわからなくなってしまった。ただ寝そべり、たまに体を横転したりしていた。大人たちの目には、集団行動のできない、遊びに対してオリジナリティを発揮することもできない餓鬼に映ったことだろう。

 中学受験は筆記試験と面接だ。四谷大塚の成績も悪くない。学校は勝手に家族が選んでくれている。今度こそ、受からなくてはならない。机に並んでいる『応用自在』を適当にめくり、読む。すでに習って、頭に入っているところを何度も解き、正解する。学習とは、新しいことをやたらに詰め込むことではなく、既に知っていることを、何度も答え、自分は大丈夫だ、すごいやつだ、と自分に暗示をかけることが大事だ。幼い頃から、僕は「知っている範囲」に留まってばかりいた。

 ノックもせずに、お父さんが入ってきて、僕の背後から参考書を覗き込んだ。

「こんなくだらない問題よりも、もっと難しいやつをやれよ」

 そういって、本を取り上げ、ぱらぱらめくった後で、これできるか、と開いたページを僕に見せた。僕が答えると、正解だったらしく、お父さんは満足げに頷いた。

「今度こそ、失敗するんじゃないぞ」

 そういわれ、僕は身体中の血が沸騰でもしたかのような心持ちになった。

「お前みたいなやつは、勉強くらいできないと、なんにもなれないんだからな」

 じゃあ、てめえはなんなんだ。僕や妹の学費は、おばあちゃんが、この家が払っているんじゃないか。お前は一銭も給料をいれないんだろう。お母さんがよくいっている。「あなたの生活費は、死んだおじいちゃんが残しておいてくれたお金でまかなっているのよ」と。 

 お前は同じことしかいわない。僕のことを無能だ、なにもできない不器用なやつと罵り、吹聴することしか、しない。

「日曜日、塾のテストが終わったら、メジロのおばちゃんのとこにいくからな」

 そういって、父は部屋を出ていった。僕は鉛筆を机に突きたてた。HBの芯が弾け、頰に当たった。

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