第45話 熊本くんの小説25

 部屋は狭く、ベッドとソファーが窮屈に置かれていた。まつりはソファーに座り込んだ。

「どういうことだよ」

「なにが」

「これ」

 俺はぽち袋を見せた。

「ああ、それ。昔拾った。もしものときのためにとっておいたの」

 まつりは鼻で笑った。

「これは俺のだ」

「へえ」

 興味なさそうにまつりはいった。

「じゃ、返してあげたってことで」

 バッグからペットボトルを取り出し、一口飲むと、天井を見て、ふふふ、と笑った。

「ねえ、見てみてよ、ガラス張りだよ」

 天井に、俺たちが逆さになって映っている。

「こういうの、興奮すんのかしらね」

 くだらねえ、といってまつりは靴下を脱ぎ出した。

「なにやってんだよ」

「なにって、あんた人がやってることをいちいち言語化してもらいたいわけ? そうしないと理解できないの?」

 まつりはそういって制服を脱ぎ出した。

「やめろよ」

「べつにわたしが素っ裸になったところで興奮なんてしないでしょ。あんたは低脂肪の競走馬みたいなのが好きなんだから」

 かっとなり、俺は睨みつけた。

「だから、わたしはなんでもわかるんだって。そもそもそのリアクションの時点でばればれなんだけどさ。もっと狡猾にならなくちゃダメよ」

 この女になにをいっても無駄だ。

「いいから座んなよ」

 顎で俺を促す。俺はまつりの向かいのソファーに座った。

 下着姿になったまつりは、そのままベッドに置かれていた浴衣のセットを手にし、羽織った。

「あんたも脱げば? 楽だよ」

 そういってドアの横にあるエアコンのスイッチをいじる。

「どうする? カラオケでもする?」

 部屋が暗くなった。

「電気つけろよ」

「いま、昼間だっていうのにこんなに真っ暗ね」

 まるでミラーボールが回転しているかのように部屋じゅうに光が舞った。

「ウケるんだけど、これ」

「いいからもとにもどせよ」

「だめよ」

 影が近づいてきて、俺の横に座った。

「ねえ、わたし、臭い? 女臭い?」

 そういって影が俺の腿に触れた。

「やめろよ」

 俺は影の手を払った。

「乱暴をするなら、あんたを動けなくさせてもいいんだけど」

 脅しにしては、あっけらかんとした声だ。

「あんたに今日会ったとき、絶対に自分がしないことをしてやろうって決めた」

 俺は天井を、見上げた。ふたつの影。ぼんやりとしていて、自分が自分だと認識できない。

「わたしたち、二十歳までしか生きることができないらしいのよ」

「本気でいってんのかお前」

「ええ。あの女がそう決めたのなら、そう。あいつは意志が強い。誰よりもね。つまり、あいつが考えたとおりの結果となる。あいつは自分が決めたことを引き寄せていくの」

「あいつって」

「忘れたの? あの女のことを」

 忘れるわけがない。あの邪悪な目。現実感のないいでたち。

 肩に影が頭を載せた。女の子の生臭い匂いが鼻をかすめた。

「あの女のおそろしいところは、その能力を意識的に使えるってこと。普通はそんなことできない。人間の頭が、ありえないってブロックするから。つまり、自分が許せる程度しか願望を達成させることができない。駅にいったらちょうど電車がやってきて乗れたとか、頼んだご飯が多めによそわれたとかってくらいのレベルでしか、外部からやってくる幸運をつかむことはできない。あいつはねじが外れている。そして、他人にまで完璧に干渉する」

 影の熱が伝わってくる。影の手は俺の腿を撫で続けている。

「でもなんで、お前や僕が二十歳で死ななくちゃならないんだ」

「さあね。多分、楽しいからでしょう。あの女から見て、わたしたちがどうやって抜け出そうとするのか、そのさまを眺めるのが」

 意味がわからない。他人のさまを眺めるのが楽しくてしょうがない?

 影の手が、足の付け根にまで忍び込んできた。

「女たちが監視しているわよ」

 影が耳元で囁く。

「あんたが出会う女たち、全員が、あの女の使い魔みたいになって、あんたに困難を与えている。試している。あんた、女難の相があるよ、男好きのくせに」

 俺の周りの女たちの顔が浮かぶ。

「つまり、お前も使い魔ってことだろ」

 俺はいった。

「あんたの世界では、わたしもそういう役割にされているでしょうね。ムカつくけど。でも、悪いけどあんたのことなんて気にしてやれないのよ。わたしはわたしで、生きなくちゃならないから。わたしはね、これから先に出会う子に、伝えなくちゃならないから」

「これから出会うって、会うやつまでわかるのかよ」

 影が俺の股間をぎこちなくさすった。

「そうよ、夢で見た。だからわたしは絶対に生き残る。そして、あの女の顔を丸つぶれにしてやる。あのジジイのおもちゃにされてたまるか」

 性器が膨らみ出し、俺は影の手を掴んで動きを止めた。

「ジジイ?」

 どれだけ俺の知らない人間のことをしゃべるんだよ、と思うと。影は俺に抱きついた。

「やめろよ」

「やめないわ」

 俺の唇をぺろりと舐めた。

「気持ち悪いジジイに犯される前に、わたしはわたしの意志で、男を抱く。あんたはちょうどいい。あんたはわたしのことをなんとも思っていない。むしろ憎んでいるくらいでしょう。わたしはね……」

 わたしが嫌いなやつに身を捧げるくらいなら、わたしを嫌いなやつを抱いてやる。身の毛がよだつことよりも、もっとひどいことをしてやる。

 そういって影はズボンのベルトを外そうとする。

「よせよ」

 俺は立ち上がろうとした。影は俺にしがみついたままそのまま起き上がるかたちになり、俺たちはベッドに倒れた。

「知るかよ」

 そういって影は俺に乗った。震えているのがわかった。

「いい? あんたは、わたしのお兄ちゃん。お兄ちゃんなんだよ」

 頭がいたい。

 影は俺のパンツのなかに手を入れた。

「もしかして、あんただって、この呪いから抜け出せるかもしれないんだから……」

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