第46話 熊本くんの小説26

 電話が鳴っている。

 寝てしまっていたらしい。真っ暗闇だ。俺は起き上がり、音の鳴っているほうへのろのろと向かった。電話をとると、「延長されていますがいかがしますか?」と声がした。

「すぐに出ます」

 そういうと電話は切れた。そのままそばにあった電気のスイッチを押した。

 部屋には俺しかいなかった。

 エアコンが効きすぎていて、体が冷え切っている。俺はまつりを探した。風呂にもトイレにもいなかった。荷物もない。俺は舌打ちをした。急いで服を身につけて、部屋を出た。階段を降りると小窓が開き、延長料金の明細を出された。俺はぽち袋から金を出した。

 部屋を出ると夕方が迫っていた。遠くから夜が忍び寄っている。

 何もかも現実味がない。体温と肌に吹きかけられた息、そして、いやだ、いやだ、お兄ちゃん、お兄ちゃん、と叫びながらきつくしがみついてきたその力強さの感触は残っていた。そして、何度もまつりに射精したことも覚えていた。

 おぼつかない足取りで、新京極へと向かった。


 宿泊しているホテルの前に水沢先生が立っていた。俺を見つけると、水沢先生は俺のほうへ駆け寄ってきた。

「あと十分遅かったら、ご両親と警察に電話するところだった」

 そういって、先生は俺の頰を叩いた。

「最悪だよ、生徒殴るとか、ぜってえしたくないことリストナンバーワンだ」

 俺はなにもいえず、黙ったままだった。

 そのまま教師の泊まっている部屋に連れられ、教師たちに囲まれ、尋問された。なにも答えることができなかった。

「反省しているし、無事だったわけですから」

 といって水沢先生が締めた。俺の頭を掴み、軽く下げた。


 部屋に戻ると今度は滝口たちによる質問責めだった。

「やった? ねえやった?」

「なんもしてねえから」

「なんもねえわけないだろ、いきなり新京極でふらっと消えちゃって」

「お前らがどうぞどうぞとかいったんだろうが」

「普通それでついていかないだろ」

 たしかにその通りだ。

「で、新選組の写真は?」

 俺は滝口のスマートフォンを奪って訊いた。

「熊本いないから場所わかんないし、ひとまずゲーセンいってからドトールで休憩してたら夕方になっちゃっていけなかった」

「このスマホでいくらでも検索できるだろうが……」

 あの美少女はいったい何者なんだ? 知り合いなのか? 紹介しろ。

 勝手に盛り上がる滝口たちを無視して、俺は部屋を出た。

「筒抜けだから」

 水沢先生が廊下で頭を掻いていた。

「あんまり騒ぐなよ。来年使わせてもらえなくなる」

「すみません」

 俺は頭を下げた。

「いいんじゃないか。そういうアグレッシブな女の子、向いてるよ。お前落ち着いてるから」

「そういうんじゃないんで」

 水沢先生はとくに返事をせずに、俺を横切っていった。

「あの、先生」

 俺は先生のうしろについていった。

「なんだよ」

「もしですよ、もし先生が二十歳で死ぬって誰かにいわれたら、どうしますか?」

「なんだよそれ、アニメかなんか?」

 水沢先生は興味がなさそうに答えた。

「そうじゃなくて」

「ていうか二十歳までなら俺もうすでに死んでるし」

 俺たちはホテルを出て、入り口のわきにあるスタンド型の灰皿の前に落ち着いた。

「じゃあ、あと五年くらいで死ぬっていわれたら、どうします?」

「うまくいけばオリンピック二回できるな。ワールドカップも……」

 そういって先生はジャージのポケットからマルボロを出し、火をつけた。煙があがっていく。

「そういう呪い? みたいなものをかけられているとして」

 呪いにかかっていると思い込んでいる女と、リアリティがないまま生きている自分みたいに。

「やっぱアニメか」

「そうじゃないんですけど……じゃあ、それでいいです」

 水沢先生はくわえタバコをしたまま、目をつむった。

「子供も生まれてくるし、それであと五年とかっていわれたら……絶望してる暇ないな。金稼がないとなあ」

 たしかにそうだ。この人は大人だ。だから、自分のことばかり考えたりしない。

「なんで泣きそうな顔してるんだ?」

 自分がどんな顔をしているか、人にいわれて自覚した。自分も、二十歳で死ぬと思っている。

「やりたいことをやればいいんじゃないの? 人様に迷惑かけないならさ」

「先生」

 俺はいった。

「なんだよ、今度はマジな顔になってんだけど」

「そういうとこ、好きです」

 先生はタバコの火を消した。

「俺も好きだよ、お前の」

 表情の変化が、といって俺の頭を叩いた。

 遠すぎて、もう記憶がぼやけてしまっている。全体を見ることはもうできず、ただ点だけが星のように、頭の中の暗闇で煌めいている。星座をつくるように、線でつなげることもできないまま。

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